本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。
今回の担当は、3年生(2024年現在)のN・Rさんです。
垣根涼介『君たちに明日はない』新潮文庫、2007年
【帯文】
山本周五郎賞受賞
リストラ請負人・村上真介の恋と仕事を描く傑作エンタテインメント!
https://www.shinchosha.co.jp/book/132971/
【キーワード】不条理/リストラ/働く
【お仕事】会社員(リストラ請負会社の面接官)
【主人公の雇用形態】
正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他
【あらすじ】
「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。
【こんな読者層におススメ!】
・エンタメを楽しみたい人
・現状に迷っている人
・働くことの厳しさを感じたい人
【作者について】
垣根涼介
1966年長崎県諫早市生まれ。2000年『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞。2004年『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠受賞。2023年『極楽征夷大将軍』で第169回直木三十五賞を受賞。
【出版情報】『君たちに明日はない』新潮社、2005年→文庫化2007年
【時代】2005年
【場所】東京
【章立て】
File 1. 怒り狂う女
File 2. オモチャの男
File 3. 旧友
File 4. 八方ふさがりの女
File 5. 去りゆく者
【語り】一人称/二人称/三人称
【初読時間】2時間程度
【お仕事小説のパターンチェック】
①希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」
②当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES/NO/どちらでもない」
③「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他( )」
④同僚や上司に助けられる 「YES/NO/どちらでもない」
⑤最終的にやりがいや成長につながる「YES/NO/どちらともいえない(主人公のやりがいにはつながっている)」
⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO?/どちらともいえない/読者による」
【登場人物】
(主人公と、その家族)
・村上真介(むらかみ・しんすけ 33)
日本ヒューマンリアクト(株)の職員。リストラ対象者との面接を行う。面接では相手の情報を綿密に調査し、淡々と説得、誘導する。仕事ではトップの成果を挙げるなど、優秀な社員であることがうかがえる。以前は中堅の広告代理店に勤めていたが、不真面目な営業態度によってリストラ候補となり、現在の会社に転職する。その際に真介の面接を担当したのは高橋栄一郎である。
・高橋栄一郎(たかはし・えいいちろう 47)
日本ヒューマンリアクト(株)の創業者。真介が広告代理店を退職する際の、面接担当だった。
(職場関係)
・川田美代子(かわた・みよこ 23)
真介のアシスタントを務める、人材派遣会社からの派遣社員。真介からは「ぼんやりしている」と評されているが、面接者に対する気遣いを見せるなど、意外と周囲を観察している。
(社外)
・芹沢陽子(せりざわ・ようこ 41)
森松ハウス(株)営業企画推進部の課長。リストラ候補として名前が挙がり、真介の面接を受ける。結果として退職はしないものの、会社への愛着は失われる。人前で弱い自分を出さないよう気を使っている。勤務態度は問題なかったものの、部署ごとの削減人数の按分を理由にリストラ候補となった。
・平山和明(ひらやま・かずあき 48)
森松ハウス(株)川口支店の支店長。交際接待費の不正使用や、部下の離職率の高さからリストラ候補に名前が挙がる。
・緒方紀夫(おがた・のりお 37)
玩具メーカー「バカラ(株)」開発二課の研究主任。いくつものキャラクターを作り出し、ヒットさせてきた実績のある社員。しかし、周囲と比べて給料が高いにも関わらず、ここ数年の業績は新入社員並みとなっている。
・池田昌男(いけだ・まさお 32)
都市銀行「ひかり銀行」為替電信部の主任。成績は優秀だが、行内の派閥争いに巻き込まれ、リストラ候補となる。真介、隆志とは高校の同級生。
・山下隆志(やました・たかし 32)
真介の高校の同級生。筑豊の出身で、高校2年の時に主人公の学校に転校してきた。五菱銀行に勤めていたが転職し、現在はファンド「ジャパン・キャピタル(株)」で働いている。
・飯塚日出子(いいづか・ひでこ)
「トヨハツ自動車(株)」の完全子会社である「T・スタッフ(株)」の職員。かつては「トヨハツ自動車(株)」の水泳の実業団選手だったが、所属部門の子会社化に伴い業務量が増加したことによって引退した。
【描かれた仕事の内容】
退職勧奨(リストラ候補者の調査、リストラ候補者との面接)
【仕事現場のリアルな描写】
①
「はい。どうぞお入りください」
銀色のドアノブが廻る。チャコールグレーのダブルを身に付けた平山が入ってくる。盤台面がこちらを向く。真介を捉えてきたその視線に一瞬嫌悪の影が走ったのを、彼は見逃さなかった。
おれは、こんな若造にクビを判断されるのか――。
言葉に出して言えばそうなるだろう。
確かにそうだ。真介は今年で三十三。この男とは一回り以上も歳の開きがある。
「平山さんでいらっしゃいますね」真介は丁寧に口を開いた。「どうぞ。こちらの席におかけください」
平山が近づいてきて、無言で真介の前の椅子に腰を下ろす。顔を上げ、ふたたび真介の視線を正面から捉えてくる。その肩口に早くも漂い始めている。屈辱の裏返しである怒りが。(11-12頁)
②
今、真介は相手に対して実質的にクビを言い渡そうとしている。ただ、クビという言葉は労働基準法により使えない。日本では指名解雇は違法だ。だから、こういうまどろっこしい誘導形式になる。さらに真介はオブラートに包んだ言葉を続ける。
「むろんそうなった場合、会社としてもできるだけのことはさせていただくそうです。追加退職金は規定分に、勤続年数×基本給の一ヶ月分。有給休暇の買取り。もしご希望なら、再就職支援会社も会社側の負担でご利用いただけます」
平山の顔になんともいえぬ表情が走る。計算が働いている。(14-15頁)
③
「しかし、そうは言われても……」
「今でしたらまだ、追加退職金、有給休暇の買取り、再就職支援会社の紹介、この三点の会社側の優遇措置をご利用いただけますが、いかがでしょう?」
これを逃すと、辞めてゆく条件はさらに悪くなっていきますよ――そう、言外に匂わせる。
不意に平山の顔がゆがむ。中年男の、一瞬泣き出しそうになる気配――営業一筋二十五年のこの男――必要とあれば泣き落としでも土下座でも平気でしてくるだろう(22-23頁)
【ハラスメント】
①上司によるパワーハラスメント。
「File 1. 怒り狂う女」では、支店長であった平山和明による部下へのハラスメントの描写がある。平山は営業目標の1.3倍を部下に課し、割増しした成果を自分の営業同行の数字として本部に報告していた。また、平山が交際接待費を不正に使用していたことによって支店が金欠状態となり、職場環境に悪影響を与えていたことも述べられている。これらの行為は、部下の離職につながるパワーハラスメントだったと判断できる。また、入社したての女性社員をエントラップメント型ハラスメントによって退職させている。
②追い出し部屋。
「File 3. 旧友」では、追い出し部屋の描写がある。
人材能力開発室という窓も電話もない地下二階の部署に送り込まれ、朝から晩まで『自分は能無しです。銀行には不要な人間です』と、ノートに書きつけることだけを命じられている元支店長もいる(212頁)
追い出し部屋は労働者の意欲を著しく損なう行為であり、パワーハラスメントに該当すると考えられる。(212頁)
【印象的なセリフ】
「『この二十年間、通勤に往復三時間かけて毎日会社に通って、部長にあと少しのところまで頑張って来たんですよ。それを一体なんだと思っているんです』――でもそれって、仕事の実績とは何の関係もないんだよね」(46頁)
【文芸作品としての読みどころ;直喩・隠喩・擬人化など】
・怒りに任せたパンプスの音が、両側の壁に反響する。お前は要らない、お前は要らない――会社全体の建物が、そう合唱しているように聞こえる。(30頁)
【個人的な読後感】
リストラというネガティブなモチーフを扱っていながらも、表現方法によってエンタテインメント小説としての軽さを備えている。主人公の恋愛模様が描かれることもあり、明るい小説として読む人もかもしれない。
しかし、自分にとってこの小説は暗い小説である。
この作品には、勤務態度や実績に問題がないにも関わらず、リストラ対象となった人がいる。例えば、芹沢陽子はリストラの人数配分を理由にリストラ対象者となった。このときのリストラ候補者は250人であり、そのうち200人ほどが退職を受け入れている。彼らのなかには芹沢のように、勤務態度や実績に問題がない人がいただろうと思う。このようなリストラ対象者にも村上真介は容赦なく退職を迫る。真介に対して理不尽だと感じる人もいたかもしれない。村上真介が作品内で躍動すればするほど、彼に退職を迫られた無数の人たち、退職していった人たちの姿が浮かんでしまう。
物事には始まりと終わりがある。今、内定が決まったと喜んでいる学生も、いずれは退職する日が来る。その退職は果たして幸福なものだろうか。バッドエンドの可能性もあるのではないか。この小説を読んでから、「お仕事のバッドエンド」を意識してしまうようになった。困ったことに、私は就職活動の真っ最中だ。
バックナンバー