本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。
今回の担当は、3年生(2023年現在)のO・Kさんです。
新庄耕『狭小邸宅』、集英社文庫、2015年(単行本は2013年)
【帯文】 現役不動産営業マン共感!(30代男性)
この業界に入り立ての時はこんな感じでした。不動産のセオリーだと思います。
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-745283-9&mode=1
【キーワード】不動産営業/狭小住宅(ペンシルハウス)/特別でもなんでもない
【お仕事】不動産会社営業
【主人公の雇用形態】
正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他
【あらすじ】
明確な目的を持たずに不動産会社に就職した松尾。「売上」が全て、上司からの暴言、暴力は当たり前、そんな過酷な労働環境に翻弄され、結果を出せずにいた松尾は別の支店に異動させられる。そんなある日、幸運にも会社が手を焼いていた物件を売ったことで、周囲から認められ始める。着実に不動産営業としてのスキルを上げていく松尾だが、新たな問題に直面する。
【こんな読者層におススメ!】営業の世界を少しでも知りたい人
【作者について】1983年東京都生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書には『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『地面師たち』がある。
【出版情報】『狭小邸宅』集英社、2013年⇨2015年、集英社文庫で文庫化。
【時代】明確な描写が無いため不明(2010年辺りではないかと思われる)
【場所】東京都渋谷区⇨東京都世田谷区
【章立て】全5章
【語り】一人称/二人称/三人称
【初読時間】3時間程度
【お仕事小説のパターンチェック】
①希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」
②当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES/NO/どちらでもない」
③「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他」
④同僚や上司に助けられる 「YES/NO/どちらでもない」
⑤最終的にやりがいや成長につながる 「YES/NO/どちらともいえない」
⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO/どちらともいえない(ラストで考えさせられるので、問題提起型)/読者による」
【登場人物】
(主人公と、その家族)
松尾(まつお):本作の主人公。特に理由もなく不動産会社に就職した。はじめは、家を売れない無能社員として社内で冷遇される。途中、駒沢支店に左遷されることとなり、そこで豊川という課長に出会ったことをきっかけに、営業マンとしてのレベルが上がっていく。
(職場関係)
中田:松尾の同僚。松尾と同様に上司にハラスメントを受けている。
木村:新入社員。新人のため顧客が全然取れず、上司たちからハラスメントを受けている。
松本:松尾の同僚。
伊藤:松尾の上司。暴言、暴力を当然のように行う。
大山:松尾の上司。伊藤と同じようにハラスメントを行う。
斎藤:隣の課の課長を担当している。
武田:松尾の先輩。
山根:駒沢支店の部長。恵比寿支店の上司らと同じくハラスメントを行っている。
シシ丸:駒沢支店の社員。シシ丸はあだ名。
サトちゃん:駒沢支店の女性社員。山根に特別扱いされている。
河野(こうの):駒沢支店の社員。些細なことに過剰に動揺するため「パニック」と呼ばれている。
田村:駒沢支店の社員。ことあるごとに難癖をつけてくる古株。「マルメラ」と呼ばれている。
村上:駒沢支店の社員。新卒入社の叩き上げで、営業二課のエース。「ジェイ」と呼ばれている。
豊川:駒沢支店の課長。他の上司と違い、常に落ち着いていて淡々としている。松尾に対して「仕事を辞めろ」と発言する。後に、運よく家を売った松尾に不動産営業のノウハウを教える。
重村:中野店のエース。最近は売れていないらしい。
社長:松尾が働いている不動産会社の社長。他の上司とは比べ物にならないほど迫力がある。
(社外)
秋元:松尾の担当顧客。松尾に無理やり来店させられる。
圭佑:松尾の友人。充実した日々を送っている。不動産会社で働く松尾の身を案じている。
めぐみ:松尾の元恋人。今は大手保険会社に勤める年上の男性と付き合っている。
佐伯:40歳の未婚女性。ちょっとした資産家で、余裕のある性格。松尾が案内をとれない時に「ドライブ」と称して付き合ってくれる。
山口真智子:松尾が夜のお店で出会った女性。物腰柔らかで優しい性格をしている。松尾と付き合うことになる。
トシユキ:大学時代、新聞配達のアルバイトで知り合った松尾の友人。
浜西:中年の女性。家族の引っ越し先を探しているらしく、松尾の前に現れる。
谷口:浜西の友人。
半田:松尾が担当した客。
藤沢:松尾が担当した客。プライドが高く現実を見れていない。
【描かれた仕事の内容】
案内の取り付け/物件の案内/客を店舗に来店させる
【仕事現場のリアルな描写】
p18「入社したばかりの頃、営業のやり方がわからない僕たち新人はひたすら探客をさせられた。輪転機で刷ったチラシを日付も変わった真夜中に企業や官庁の集合住宅に配ったり、現地物件や店舗の前で過ぎてゆく人に声をかけてまわったりして、家の購入を考えている見込み客を探した。」
p20「その中でも、広告などから問い合わせてきた反響顧客を回してもらえない新人にとって効果的な探客といえば、サンドイッチマンを除いて他になかった。」
p26「チラシなどの広告は顧客からの反響を目的にして出稿されることが多い。長く売れずに残っているような物件を掲載し、客から問い合わせを募る。顧客の気を引くために、エリア、沿線、広さ、間取り、価格、駅距離など、住宅の価値を決めるいくつかの要素の中から都合のいい情報だけを載せ、それ以外の情報はあえて伏せる。」
p28「物件を案内した後、客を店舗までに来社させることが社の決まりになっていた。」
p31「営業マンが一件でも多くの電話をかけるために、あるいは、気持ちが折れて電話をかけることから逃げないように、受話器と手をガムテープで巻きつけることはよくあった。」
p87会社の総会の様子。
p133~136売れる営業マンの特徴について⇨道、物件、鍵を覚えている。これらを完璧に覚えることで、より効率的かつ的確に顧客を案内でき、信頼も得られる。
p138~157「まわし」と「かまし」。本命の物件を確実に買わせるための手法の描写。
【ハラスメント】
パワーハラスメント
・暴言や暴力
p14突然、怒声をあげると、握りしめた新聞を木村に投げつけ、拳を机に叩きつけた。
P63罵られ、腰のあたりを容赦なく蹴りあげられた後、地図帳だか電話帳だかが投げつけられた。
P75机の脇に立てかけてあった、カレンダーを丸めた紙の筒で横っ面を張られ、怯んだところで蹴られた。
【印象的なセリフ(下線は引用者による)】
p10「てめぇ、冷やかしの客じゃねぇだろうな。その客、絶対ぶっ殺せよ」
p87(総会で社長が)「お前らは営業なんだ、売る以外に存在する意味なんかねぇんだっ。売れ、売って数字で自己表現しろっ。いいじゃねぇかよっ、わかりやすいじゃねぇかよ、こんなにわかりやすく自己表現できるなんて幸せじゃねぇかよ、他の部署見てみろ、経理の奴らは自己表現できねぇんだ、可哀そうだろ、可哀そうじゃねぇかよ。売るだけだ、売るだけでお前らは認められるんだっ、こんなわけのわからねぇ世の中でこんなわかりやすいやり方で認められるなんて幸せじゃねぇかよ、最高に幸せじゃねぇかよ」
p98(豊川が松尾に)「いや、お前は思っている、自分は特別な存在だと思っている。自分には大きな可能性が残されていて、いつかは何者かになるとどこかで思っている。俺はお前のことが嫌いでも憎いわけでもない、事実を事実として言う。お前は特別でも何でもない、何かを成し遂げることはないし、何者にもならない」
p173(松尾が同窓生に)「嘘なわけねぇだろ、カス。本当だよ。世田谷で庭付きの家なんててめぇなんかが買えるわけねぇだろ。そもそも大企業だろうと何だろうと、普通のサラリーマンじゃ一億の家なんて絶対買えない、ここにいる奴は誰ひとり買えない。どんなにあがいてもてめぇらが買えるのはペンシルハウスって決まってんだよ」
【文芸作品としての読みどころ;直喩・隠喩・擬人化など】
p85仕事は、暗室を手探りで歩きまわるような状態に変わるところはなかったが
p92苔生した外壁の隙間から、青い花を咲かせた紫陽花が顔をのぞかせている。
p101社殿の城内に足を踏み入れると、大きな楠が抜けるような空に隆々と枝葉を広げていた。
p115昨日浜西さんたちが訪れたことがほとんど奇跡のように思えてくる。
p135砂漠に水をこぼすように、言われたこと一つひとつが頭に染み入ってくる。
p154居酒屋のアルバイトが注文をとるような軽さで訊いた。
【個人的な読後感】
・家という人生で一回くらいしか買うことがないようなものを、競合他社がいる中で顧客を捕まえて売るということがどれだけ厳しいのか、不動産営業の過酷さを知ることが出来た。
・家を売れず、社内で冷遇されていた松尾が、着々とレベルアップしバリバリの営業マンになっていく展開には爽快感があるとともに、営業における大切なことも知れた。
・ハラスメントや人間関係、営業などの描写が松尾の心理描写と共に丁寧に描かれている。本書には不動産営業だけでなく、日本の労働者の現実も残酷に描かれていると感じた。