本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。
今回は、ノンフィクションを取り上げました。担当は、3年生(2023年現在)のI・Wさんです。
野地秩嘉『世界に一軒だけのパン屋』小学館文庫、2022年(単行本は2018年)
【帯文】 「奇跡のパン焼き上がりました!」
「絶対不可能」といわれた国産小麦100パーセントのパンを作りあげたのは
北海道十勝の小さなパン屋『満寿屋』だった。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09407115
【キーワード】パン屋、ブーランジェリー、国産パン、フードロス
【お仕事】パン屋
【主人公の雇用形態】□で囲む
正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他
【あらすじ】北海道十勝に店を構える小さなパン屋『満寿屋』。
一見普通の店に見えるが、実は業界でも不可能といわれた国産小麦100%使用を成功させ、そして年商10億円を売り上げる、奇跡のパン屋なのである。
水は大雪山の雪解け水を使い、小麦はもちろんバター、牛乳、砂糖、酵母、小豆まで地元産を使用。安全、安心、そして究極の国産パンを造ろうとチャレンジを続けてきた世界でも希なパン屋3世代の熱いドラマ。
【こんな読者層におススメ!】パンが好きな人、食糧問題に関心がある人
【作者について】1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。『キャンティ物語』(幻冬舎)、『サービスの達人たち』(新潮社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』(小学館)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
(https://toyokeizai.net/list/author/%E9%87%8E%E5%9C%B0+%E7%A7%A9%E5%98%89)
【出版情報】『世界に一軒だけのパン屋』小学館、2018年。⇒2022年文庫化。
【時代】1950~2018年(作中に表記あり)
【場所】北海道帯広市、東京都自由が丘
【章立て】プロローグ、第1章~第11章、エピローグ
【語り】一人称(作者の実体験)/二人称/三人称(満寿屋のストーリー)
【初読時間】4時間
【お仕事小説のパターンチェック】
①希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」
②当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES/NO/どちらでもない」
③「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他( )」
④同僚や上司に助けられる 「YES/NO/どちらでもない(ともに働く家族に支えられる)」
⑤最終的にやりがいや成長につながる 「YES/NO/どちらともいえない」
⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO/どちらともいえない/読者による(パン屋やそれに近い職業の人、あるいは実現困難な目標を持っている人であれば励みになるかもしれない)」
【登場人物】主要人物は赤字
(主人公と、その家族)
・杉山雅則(すぎやま・まさのり):「満寿屋商店」四代目社長。高校卒業後、鹿児島の工業大学に進学するが、在学中に家業を継ぐことを決意。卒業後、小麦について学ぶため単身渡米。帰国後は、東京で製粉会社の商品開発や青果の卸売業などを経験。結婚を機に2004年、帯広に帰郷。父の夢を引き継ぎ、国産小麦100%のパンを完成させる。
・杉山健治(すぎやま・けんじ):満寿屋二代目社長。杉山雅則の父。定時制高校卒業後、拓殖大学入学。パンの勉強をするため「モンパルノ」にてアルバイト。大学卒業後、帯広に帰郷。1974年、モンパルノでのアルバイト仲間であった輝子と結婚。国産小麦100%のパンの製造を目標とするも、夢半ばで癌により死去(44歳)。
・杉山健一(すぎやま・けんいち):満寿屋初代社長。杉山雅則の祖父。東京のパン屋で修業後、帯広で満寿屋を開業。
・杉山輝子(すぎやま・てるこ):満寿屋三代目社長(現会長)。杉山雅則の母。劇団員時代にアルバイト先で健治と出会い、結婚。夫の死後、社長を引き継ぎ、満寿屋を発展させる。
・マス:健一の母。店名の由来となった人物。気性のはげしい女性だった。
・恵子(けいこ):雅則の妻。製パン材料メーカーの社長令嬢でプロのピアニスト。
・勝彦(かつひこ):健治と輝子の次男。雅則の弟。
・佳子(よしこ):健治と輝子の長女。雅則の妹。
(職場関係)
・山本トシエ:1936年生まれ。離農後、満寿屋に入社(当時33歳)。
・杉本麻希:満寿屋の東京本店の開店後、帯広から異動。
・石久保なつみ:杉本同様、帯広から東京本店に異動。
(社外)
・志賀勝栄:シニフィアン シニフィエの店主。ブーランジェ。
・西脇信治:江別製粉の営業担当。
・佐久間良博:江別製粉の元社員。
・山口小百合:江別製粉の社員。
・田村雅彦:日本甜菜製糖株式会社の社員。
・エイミー・シャーバー:雅則がアメリカで研修を受けたベーカリー「エイミーズ・ブレッド」の創業者。
・原田英男:元農林水産省畜産部長。
(農家の人々)
・津島明:音更町の小麦生産農家。
・伊藤弦輝、泉吉広・吉紀兄弟:帯広の小麦生産農家。有機農法だけを行い、いち早くハルユタカの栽培に協力。
・前田茂雄:本別町の小麦生産農家。国産小麦栽培の第一人者。
【描かれた仕事の内容】
パンの製造・販売/試作・レシピ開発/クレーム対応
【仕事現場のリアルな描写】
(パン職人の勤務時間)
・p27~28 「志賀もパン職人だから、夜中に働く。前日に仕込んだパン生地を夜中から早朝に焼きあげ、具合を確認して家路につくという。」
・p153 「夕食にサンドウィッチを食べて、エイミーズ・ブレッドに出かけていき、工場に入る。機械がこねた生地を細長く成型して、焼く前にクープを入れる。それを一晩に五百本、作るのが職人たちの仕事だった。早朝、仕事が終わったらアパートに帰り泥のようになって眠る。」
(販売)
・p19 (東京の店舗で)「陳列台のパンは瞬く間に消えていった。奥のキッチンでは職人が大車輪でパンを焼き、できたものを陳列台にピストン輸送する。しかし、トングが伸びてきて、陳列台の上はすぐに寂しい状態になってしまう。」
・p143 「そして、職人たちは販売についても気にしていた。苦労して作ったハルユタカのロールパンは従来のロールパンよりも売れ行きが鈍かった。」
・p159 「いま、帯広の満寿屋は六店舗あります。残ったパンを全店から回収して、市内の本店に集めます。そして、夜の九時半から夜中まで深夜販売をする。全品二割から三割引きです。完売するまで店を開けています。」
(試作・レシピ開発)
・p101 「生地を作る。そして、焼く。できあがったら自分が食べ、その後、みんなで試食する。それがレシピ作りだ。健治は西脇が持ってきた粉が続く限り、毎日、ハルユタカを使ってパンを焼いた。何度目かの試作では店で販売してもいいくらいのパンが仕上がった。しかし、その時と同じレシピでパンを作っても毎回は膨らまない……。」
・p136 「それでも、ハルユタカを使った試作は毎日、行った。ある日の食パンはちゃんと膨らみ、しっとりとした出来だった。だが、翌日、同じ分量の粉、水、砂糖などで作っても膨らみが足りなかったりする。同じ分量で同じ時間をかけても、膨らみ方が違うからまるで大きさが違うものになる。」
(クレーム対応)
・p190~191 「イベントのために「栗あん」のあんパンを特別に作って販売したのだが、客からクレームが入ったのである。(中略)彼の対処法は新聞に広告を載せ、パンを買った人たちに注意を促すことだった。」
・p192 「結局、案ずるほどのことはなかったのだが、それでも、雅則はいい経験になったと思った。食品を売っている以上、いずれは商品に対するクレームがやってくる。その時のための勉強になった。」
【ハラスメント】
パワーハラスメント(?)
・無給での労働
p152 「雅則はAIBの職員に紹介してもらった「エイミーズ・ブレッド」という手作りのベーカリーで研修を受けることにした。給料はもらえない。」
【印象的なセリフ(下線は引用者による)】
・p155 (東京の製粉会社で商品開発を行っていた雅則)「雅則たちが開発したパンは人気となり、販売成績はよかった。(中略)発酵時間を短くするためにイーストフードを使った。その結果、生産開始から出荷までのリードタイムは短くなり、一方、添加物のおかげで消費期限は延びた。利益の上がるパンだった。しかし……。雅則本人にとっては「こんなことをやっていていいのか」と考え込んでしまう仕事だった。」
・p196 「パンの試作とレシピ作りの作業は、「一に忍耐、二に我慢、三、四がなくて、五に辛抱」といった気持ちにならなければやれないのだ。」
・p200 (全店舗地元産小麦100%を達成した翌朝の雅則)「起きたとたん、(中略)緊張し、体がこわばった。なぜ、緊張したかと言えば、いよいよ次の目標のためにみんなをそちらに向けていかなくてはならないという事実に直面したからだ。組織は目標がなければ、ただの集団で終わってしまう。」
・p236 (食の「安心」を得る方法について答える原田)「国産にせよ、外国産にせよ、自分で見たものを食べるのがいちばん心が落ち着くんですよ。完全な安心安全を求めようとするならば自分も努力しなければならない。」
【文芸作品としての読みどころ;直喩・隠喩・擬人化など】
(直喩)
・p113 「オレの身体はオレがよく知っている」とヒーローのように呟いては出かけていった。
・p153 早朝、仕事が終わったらアパートに帰り泥のようになって眠る。
・p244 そろそろ行きますかというように後部座席のドアが開く。
【個人的な読後感】
・実現不可能といわれた国産小麦100%のパンの開発という満寿屋の挑戦が、作者の視点から丁寧に描かれており、その過酷さをありありと感じられる。
・父の夢を引き継ぐ家族の絆、農家・材料の仕入れ先の人々との信頼関係、パンや地元への愛などが盛り込まれており、心温まる作品である。
・パン屋、パン職人の仕事にとどまらず、パン作りに欠かせない小麦や砂糖の生産に関しても詳細に説明されており、学びが深まる作品である。
・フードロスやポストハーベスト、食品添加物など、様々な食糧問題についても言及しており、自身の生活や社会全体の消費行動を考え直すきっかけとなる作品である。