田中綾とゼミ生たち 「お仕事小説」ブックガイド その5

本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。

今回の担当は、3年生(2023年現在)のH・Aさんです。

 

南杏子『ヴァイタル・サイン』小学館、2023年(単行本は2021年)

 

【帯文】 患者さんに、最期まで笑顔でいてほしいから―――。

    看護師のリアルに光を当てた現役医師による注目作!

https://www.shogakukan.co.jp/books/09386620

 

【キーワード】看護師、患者、患者家族、感情労働、ツイッター

【お仕事】看護師

【主人公の雇用形態】

正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他

 

【あらすじ】二子玉川グレース病院で看護師として働く堤素野子は、31歳になり今後のキャリアについても悩みながら忙しい日々を過ごしていた。患者に感謝されるより罵られることの方が多い職場で、休日も気が休まらない過酷なシフトをこなすが、整形外科医である恋人・翔平と束の間の時間を分かち合うことでどうにかやり過ごしていた。
あるとき素野子は休憩室のPCで、看護師と思われる「天使ダカラ」という名のツイッターアカウントを見つける。そこにはプロとして決して口にしてはならないはずの、看護師たちの本音が赤裸々に投稿されていて……。心身ともに追い詰められていく看護師たちが、行き着いた果ての景色とは。

【こんな読者層におススメ!】医療現場のリアルを知りたい人、身近に入院中の高齢者または認知症の方がいる人

【作者について】1961年、徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入し、卒業後、慶応大学病院老年内科などで勤務する。2016年『サイレント・ブレス』でデビュー。他の著書に『ディア・ペイシェント』、『いのちの停車場』、『ブラックウェルに憧れて』などがある。(https://shosetsu-maru.com/yomimono/essay/vitalsign

【出版情報】『ヴァイタル・サイン』小学館、2021年。⇒2023年文庫化。

【時代】2018年(作中に表記あり)

【場所】東京都二子玉川。病院の最上階に位置する四階の療養病棟。

【章立て】(それぞれ日付も明記されている)

プロローグ

第一章「日勤」

第二章「日勤」

第三章「日勤―深夜勤」

第四章「準夜勤」

第五章「休日」

第六章「日勤―深夜勤―準夜勤―休日」

第七章「日勤―深夜勤―日勤―準夜勤―深夜勤―準夜勤―休日―日勤」

終章

【語り】一人称(プロローグ)/二人称/三人称(第一章~終章 素野子寄りの視点)

【初読時間】三時間程度

 

【お仕事小説のパターンチェック】

  • 希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」

②当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES(患者、患者家族、上司などからの言動で精神的ストレスを抱える)/NO/どちらでもない」

③「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他」

④同僚や上司に助けられる 「YES/NO/どちらでもない」

⑤最終的にやりがいや成長につながる 「YES/NO/どちらともいえない」

⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO/どちらともいえない/読者による(お仕事小説というよりも看護師という仕事の実態を描いたものであるため、医療従事者であれば励みになる内容かもしれない)

 

【登場人物】

(主人公と、その家族)

堤素野子(つつみ・そのこ):二子玉川グレース病院の高齢者療養病棟で働く看護師。都立の専門学校卒。21歳から看護師になり、現在10年目。31歳で独身。認定看護師の資格取得を試みるなど、仕事に対し向上心が強い(p16)。一人っ子である。一人暮らしだが、ペットの半ちゃんという片目の見えない金魚を飼っている。仕事で上手くいかないこと続きの中、恋人の存在を支えにしていたが……。

 

素野子の母:63歳。素野子が小学五年生の時に夫と離婚し、女手一つで素野子を育てた。乳癌を患い、抗癌剤治療をしているが副作用に悩まされている。元看護師で、素野子が看護師を志すきっかけになった。元勤務先の病院に受診する際、元気なふりをして気丈にふるまうなど意地っ張りな面がある(p125)。

素野子の父:元整形外科医。若い看護師と不倫し、素野子たちを捨てた。

 

(職場関係)

大原桃香(おおはら・ももか):素野子の同僚。27歳。名門の中央医科大学出身。ぞんざいな言葉遣いで、化粧が派手。

小山田貴士(おやまだ・たかし):病棟に入職したばかりの看護助手。元引っ越し屋。29歳。すぐにメモを取ったり積極的に質問をするなど、非常にまじめな性格(p63)。

草柳美千代(くさやなぎ・みちよ):看護師長。素野子に対する当たりがきつい。

田口雅江(たぐち・まさえ):看護主任。看護師長の補佐役。

久保玲奈(くぼ・れいな):素野子の同期。

細内勇子(ほそうち・ゆうこ):パート職員。

吉田久志(よしだ・ひさし):医師。

海老原浩司(えびはら・こうじ):医師。

望月(もちづき):施設管理課の職員。

 

(受け持ち患者)

401号室 樋口早苗(ひぐち・さなえ):認知症患者

403号室 内田佐枝子(うちだ・さえこ):認知症患者

406号室 蜂須珠代(はちす・たまよ):認知症患者

407号室 林田利一(はやしだ・りいち):慢性肝炎

408号室 下村里美(しもむら・さとみ):末期の糖尿病患者

411号室 多部淳司(たべ・じゅんじ):末期の肺癌患者

415号室 大友千夏(おおとも・ちなつ):卵巣癌患者

417号室 上條美土里(かみじょう・みどり):子宮癌患者

418号室 猿川菊一郎(さるかわ・きくいちろう):重度のパーキーソン患者

419号室 徳寺松子(とくでら・まつこ):大腿骨骨折のリハビリ患者

 

(社外)

市川翔平(いちかわ・しょうへい):素野子の二つ年下の恋人。別の病院の整形外科の医師。雑学好き。

猿川真紀子(さるかわ・まきこ):猿川菊一郎の娘。ヒステリックな性格で、素野子に様々なことでクレームを入れ精神的に追い詰める。

天使ダカラ:ツイッターのアカウント名。看護師のリアルでは口にできないような本音をツイートしている。

 

【描かれた仕事の内容】

「ヴァイタルチェック」(脈拍・呼吸・体温・血圧・意識レベルのチェック)

「介助」(入浴介助・医師の診察介助・食事介助・排泄介助)

「おむつ交換」「衣類交換」「摘便」「体位交換」「薬液調合」「点滴」「エンゼルケア」

 

【仕事現場のリアルな描写】

・p30~p32 患者による介護への拒絶反応。入浴介助の際に「いじわる! 虐待よ!」「やめろ! 人殺し!」などの暴言を吐かれる。肉体的なきつさよりも看護師の重荷になる。

・p86 ウイルスなど感染症にかかるリスクと隣り合わせの現場「危険物に触れる恐怖と闘いながら、もう一度、赤い袋の中に手を突っ込む。この作業中に感染してしまうかもしれない。恐怖で体中に脂汗が出てきた。」

・p180 「薬だけに頼らない看護をしたいと思いつつも、一方で時間の制約があり、やむを得ず睡眠薬の頓服を出してしまうことがある。」理想の看護と現実とのせめぎ合い。

・p277 人手の少ない夜勤中、誰も手が離せない状況下でのナースコールのブッキング。⇒排泄介助中の樋口早苗(認知症患者)をトイレに残し、多部淳司(末期の肺癌患者)の元へ向かったところ、早苗が転倒し頭部を打撲してしまう。

 

【ハラスメント】

  • 「パワーハラスメント」

・休憩中に仕事をするよう主任に促される桃香。

P49「大原さん、これから休憩入りでしょ?ちょうどいいじゃない。誠実に仕事してる看護師なら、こんなこと普通は喜んでやるものだけどね。

・医師に威圧的な言動を取られる素野子。

P83「何やってんだ、バカ!」p283「ちっ、やっぱり目を離したのかよ。ダメじゃん、バカ。」

 

  • 「ペイシェントハラスメント」

・猿川菊一郎p106「なら、あんた俺と一緒に寝てくれ。ここで裸になって、ちんぽ舐めてくれよ」

・林田利一p128「つっかえねな~。しょうがない、あんたでいいか。」

・徳寺松子p202「妖怪みたいで気持ちが悪いから、顔を見せるな」「お前の顔を見ると気分が悪くなる」、水をかける、おしぼりを投げつける。

・猿川真紀子p248土下座して謝ることを素野子に強要する、p310「あなたは、私たちに『使われている』ということを忘れているんじゃない?あなたをクビにすることなんて簡単なのよ」

 

【印象的なセリフ(下線は引用者による)】

・p32「たとえ患者にひっかかれようが殴られようが、柵になりきり、じっと耐え続ける。落下事故を起こすことに比べれば何でもない。」

・p141「『看護師残酷物語、なんだよ』いつものように、そんな言葉で状況を茶化して話を終わらせる。医療従事者でない人たちと会話をする際の常だ。」⇒医療従事者の仕事の大変さは他人に理解されにくい

・p224「感情労働の現場でお客様は、働く者の心のありようまで求めてきます。ハンバーガーショップの店員はゼロ円のスマイルを要求され、看護師は『無償の愛』と『限りない善意』に貫かれた『白衣の天使』のスマイルを求められるのです。」

・p395(病棟のホールにあるテレビ画面を見ている素野子)「『殺人事件』『殺人犯』『容疑者の看護師』という言葉が、一つ一つ地続きで迫ってくる。あの点滴を作り直さなければ、カメラに追い回されていたのは自分だったかもしれない。自分も彼女の、まさに延長線上にいる人間なのだ。」

 

【文芸作品としての読みどころ;直喩】

・p13 弾んだ気持ちが泡のように消えていった。

・p52 まるでヒエラルキーのミルフィーユだ。

・p112 立ち並ぶ飲食店から、「お帰りなさい」と声をかけられているような感覚

・p126 行進曲のように頼もしかった母は、こちらが子守唄を歌って保護してあげなければならない存在になった。

・p390 (この日の看護は)冷たく清らかな水が川面をよどみなく流れていくかのようだった。

 

【個人的な読後感】

・作者が現役の医師ということもあり、非常にリアリティのあるお仕事小説である。

・「感情労働」について深く考えさせられる作品であり、自身の心を日々犠牲にしながら働くことのストレス負荷の大きさを感じた。看護師という仕事が社会に必要不可欠な仕事であるにも関わらず、医師や患者、患者家族、世論からは軽視される描写が多く見られ、このことも看護師の精神的負荷に直結していると感じる。

・看護師による患者への暴力、虐待、殺害などの事件が度々報道されているが、日頃看護師が受けている患者からの暴力、暴言などは世間に知らされていない。事件を擁護することはできないものの、事件を起こすに至るまでの看護師の精神的苦痛にも目を向けなければならない。

 

 

 

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