田中綾とゼミ生たち 「お仕事小説」ブックガイド その1

本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。ディスカッションの都合上、若干ネタバレを含む記述もありますが、ご容赦ください。

今回の担当は、田中綾(教員)です。

 

朝比奈あすか『あの子が欲しい』講談社文庫、2017年(単行本は2015年)

 

【帯文】 うまくいったのだ。

社長の信頼さえ勝ち得た。

なのに、なぜ……

超リアル! 働く女子の心の3K(過剰自意識/過剰防衛/過剰反応)を描いて大反響!

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000212566

 

【キーワード】新人採用/心理戦/オワハラ/猫カフェ/転職/「ちょっと神の気分じゃないですか」

【お仕事】新進IT企業の人事(来年度採用)担当リーダー

【主人公の雇用形態】

正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他

【あらすじ】数度の転職後、新進IT企業「クレイズ・ドットコム」に勤めた川俣志帆子は、アラフォーで独身。仕事の早さが評価され、来年度採用プロジェクトのリーダーに抜擢される。さっそく少数精鋭チームを組織し、優秀な学生獲得のためネット戦略を練る。裏工作や心理戦も駆使して成果を上げるが、1人の学生にオワハラを拒否され、私生活でもコミュニケーション不足であった自分に気づかされる。

【こんな読者層におススメ!】就活生!/働くアラフォー女性

【作者について】1976年、東京都生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、出版社勤務ののち、2000年(24歳)に大伯母の戦争経験を記録したノンフィクション『光さす故郷へ』発表。2006年(30歳)、『憂鬱なハスビーン』で第49回群像新人賞受賞。『声を聴かせて』『彼女のしあわせ』『ななみの海』など多数。『君たちは今が世界(すべて)』は難関校で出題され、「国語入試頻出作家」と呼ばれている。(https://magacol.jp/2021/10/05/593116.html

【出版情報】『あの子が欲しい』講談社、2015年。⇒2017年文庫化。

初出は「群像」2014年9月号(原題「ザビエルが欲しい」)

【時代】2014年度(p90)

【場所】東京都。32階建てオフィスビルの13階。クライミング・カフェ併設のオフィス。

【章立て】とくになし。

【語り】一人称/二人称/三人称(だが、志帆子視点の語りが多い)

【初読時間】3時間以内で読めるが、純文学でもあり、何度か読み返して吟味が必要。

 

【お仕事小説のパターンチェック】

①希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」

②当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES(就活生に悩まされる)/NO/どちらでもない」

③「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他(        )」

④同僚や上司に助けられる 「YES/NO/どちらでもない」

⑤最終的にやりがいや成長につながる 「YES/NO/どちらでともいえない(主人公は「出世」し、経済的にも潤ったが、精神的な悩みを抱えることになる)

⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO/どちらともいえない(読者に自省や考えを促す内容で、単純なお仕事小説というわけではない)読者による

 

【登場人物】

(主人公と、その家族)

・川俣志帆子(かわまた・しほこ):「クレイズ・ドットコム」正社員。30代後半で独身。中堅旅行会社・営業から6年前に転職。セキの上司だった。「行動力と包容力を兼ね備えた女性上司」(p33)。仕事が早く、迷いが無い(p54)。3階建てアパート最上階角部屋(家賃95,000円)、2DKでセキと同居。弟が二人。上の弟は妻と三人の子と実家暮し。下の弟は独身で実家暮し。志帆子の飼い猫(実家で)は、最初はシロコ。4匹を産み、その1匹である灰縞のぶく(オス)を可愛がっていた。

・セキ:小説家修行中。オンライン小説大賞特別賞を受賞し、電子書籍で出版される。執筆専念のため営業社員だった「クレイズ」を退職し、志帆子の家に住まわせてもらう。都内に実家があり、時々小遣いをもらっている。手足が長く蜘蛛のよう。アレルギー体質でいつもマスク。友人が少ない。猫カフェのことを「ほとんどソープ」(p47)、「嬢を守る優良店」(p74)と発言。性欲が薄い。たらこパスタの件をきっかけに志帆子の家を出る。

 

(職場「クレイズ・ドットコム」関係)

・長谷川幸雄(はせがわ・ゆきお):人事部マネージャー。正社員。

・「営業豚」:正社員だったが、就活の面接担当後に転職。ネット書き込みが原因か?

・段田(だんだ):社長。メディア露出が多い。

・沼田(ぬまた):創業メンバー。正社員。

・君塚(きみづか):創業メンバー。正社員。

・笹原千夏(ささはら・ちか):志帆子の部下。正社員。「ワークとライフのバランスを大事にしたい新入社員」(p33)。公式ブログ担当。

・蟻川隆之介(ありかわ・りゅうのすけ):志帆子の部下。正社員。20代後半。無駄に自己アピールせず、数字や日程に神経質。ゲームが趣味。「チームをなごましつつも我が道を行くヒットメーカー」(p33)。華奢で色白、アーモンド形の目。

・馬渕達也(まぶち・たつや):志帆子の部下。正社員。30歳半ば。志帆子の大学の2学年下。淡々として仕事が早い。「後輩の心配ばかりしてしまう中堅マネージャー」(p33)。ソープにセキを誘ったことがある。「普段は女性の味方だという顔をしているくせに、ブルマー姿くらいで蔑視する、平凡な中年男」(p120)。

・水岡徳行(みずおか・のりゆき):人事部。正社員。

・岩舘わかば(いわだて):人事部。正社員。

・五木宗也(いつき・むねや):人事部。正社員。

 

(社外)

・師岡(もろおか):蟻川の後輩で仲が良い。ネット掲示板の住人で、工作員になる。

・千夏の一期下の後輩。工作員になる。

 

(就活生)

・小柳弘文(おやなぎ):志帆子の弟と同じFラン大学生。コミュニケーション能力が高く、難関中高一貫男子校出身。

・牧瀬乃亜(まきせ・のあ):一次面接で「✕」をもらったが選考クリア。前髪パッツンで目立つ容姿。気が強い。地下アイドルをやっている。

 

(ブロッシャー製作会社・中規模プロダクション)

・カメラの女性(ブロッシャー担当)  ・スタイリスト

・ティファニー:27歳。モデル。英会話講師も。日本語がうまい。

・レナルド:米国ミシガン州出身の留学生。

 

(猫カフェ「HOFHOF」関係)志帆子の会社近くのビル5階。猫は7匹。

・小太りの中年女:ジム帰りふう。常連。「ザビエルちゃあん」と呼ぶ猫をマタタビで手なづけるが、マタタビを持ち込んだことで、後日出入り禁止となる。

・店員:猫耳バンドをつけ、金髪。10代。

・ザビー(猫):アメリカンショートヘア生後1年。人見知り。

・オーナー:貧相な男性。ザビーを志帆子に売る。

【描かれた仕事の内容】「昨年度の採用の惨敗状況(ブラック企業とネットに書かれた)」「チーム人選と採用方法の一新」「ブロッシャー(会社紹介の小冊子)の新規撮影」「転職後の実感」「ネット掲示板に工作」「(採用までの)書類選考→面接→グループワーク(拘束の手段)→最終選考」「内定承諾をさせ、オワハラ」「ネットブログに青田買い交渉を暴露される」「採用活動は成功(21人を採用)したが、残る虚しさ」

 

【仕事現場のリアルな描写】

・p18~p19 採用チーム編成のキモ。蟻川への評価→「仕事ができるできないの要は細かささだと志帆子は思っている。(略)細かさとは慎重さであり、真面目さなのだ」。馬渕への評価→「クライアントに嫌味を言われても、納期直前にデータが上がってこなくても、部下に対しての機嫌が変わらないという類まれな長所の持ち主」。

・p30 ブロッシャーの製作会社選定の内情(付き合いのない会社に自由に参加してもらうコンペ形式への変更)。「人生と賭して就職活動をしている学生たち」(p31)に選ばれる内容の必要性。

・p45 数度の転職について。「転職は、すればするほど季節の感覚を失わせた。休みの取り方が自分だけの暦に依ってくるからだろうか。同期がいなくなり、入社何年目という括りも薄れる。所属している場所が仮のものであるという感覚は、なかみを入れ替えられるシステム手帳に似ている気がした。」

 

【ハラスメント】

①「モラルハラスメント」

セキが志帆子に感じているだろうことを、志帆子が代弁。

P102「あなたは、僕の立場や、僕の反応を知っていて、思う通りの傷つけ方ができると分かっていて、分かっていることをそのまま言う人なんですね。」(実際にはセキは口にしなかったが……)

 

②「オワハラ(就活終われハラスメント)」

志帆子が、最終面接前の学生23名一人一人に電話し、うち7人に直前に面談。

p126~127「今ここで内定承諾書を書いてもらえますか」

「……えーと、それは」

「それと、進行している他社を今この場で全部切ってください」

(略)

「わたしの首がかかってしまうから」。これを言うのは何度目だろう。結果、交渉をかけた全員が、承諾書にサインし、他社の人事担当者に志帆子の目の前で電話をかけて選考辞退を伝えた。守秘義務の念書に拇印も押した。

 

【印象的なセリフ(下線は引用者による)】

・(上司としての心構え)p55「性格の良さで乗り切ろうとする人間とは引退後に付き合いたい。リーダーともなると、どちらが正しいか、判断のしようもない決断を求められることが多々あって、性格の良さなど何の役にも立たない。正しいか正しくなかったかはどうせ随分と時間が経たないと分からないことなのだから、倫理に反しない限りは直感に従うべきだというのが志帆子の考えだった。」

・(就活について)p83「ですよね。なんか、集団見合いの心理戦って感じだったもん、就活って」と、千夏。「嘘とか見栄とか駆け引きとか、会社相手にも同級生相手にも、やってましたもん、みんな」

・セキが志帆子に詰問。p96「うちを希望している有象無象の若いのを、退路を断った上でピックアップしていくのって、ちょっと神の気分じゃないですか

・p96を受けて、志帆子のやや自虐的な内心。p132~133「目の前にいるのは、内定をひとつも持っていない無力な若者だ。わたしは何の言質も取られてはいない。違法なことはしていない。だのに厭な味の唾を呑み込んだ感覚を覚える。こんな感覚を前に味わったことがあると思いながら記憶をたどるとセキの言葉が浮かんだ。/ちょっと神の気分じゃないですか?

 

【文芸作品としての読みどころ;直喩】

・p45 (複数の転職は)なかみを入れ替えられるシステム手帳に似ている気がした。

・p58 流れる文字は一方向に凪いでいる襞のように滑らかで

・P121 セキのからだは蜘蛛みたいに細くて、薄かった。

・p158 ポストカードの中の子みたいな静止画

 

【個人的な読後感】

・小島貴子さん(キャリアカウンセラー)による「解説」が綿密で、本書そのものの解説を超えて普遍性がある。

・女性上司が男性部下(年齢も下)のパトロンになるという今日的な設定だが、ハッピーエンドに至らないところにリアリティーがある。

・そもそも人が人を値踏みする・査定することへの疑念が基調にあり、今日の就職活動そのものを問う、批評性濃厚な作品。

・ラスト、志帆子はあれほど入れ込んだ猫にすら自信を持てなくなり、猫アレルギーにもおそわれる。復讐譚のよう。自分の目(人を見る目)は果たして確かなのか? 「ちょっと神の気分じゃないですか?」=いや、決して神ではない、という反語的なメッセージが秀逸。

 

 

 

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