本稿は、北海学園大学人文学部田中綾ゼミ「『お仕事小説』を読む」における発表資料の一部です。
今回の担当は、3年生(2024年現在)のO・Nさんです(一部、教員の田中が補記しました)。
村田沙耶香『コンビニ人間』文春文庫、2018年
【帯文】
「いらっしゃいませ!」
私はさっきと同じトーンで声をはりあげて会釈をし、かごを受け取った。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。
「普通」とは何か? を問う衝撃作
【キーワード】コンビニ/アルバイト/人間関係/人生観/異物/排除
【お仕事】コンビニエンスストアのアルバイト
【主人公の雇用形態】
正職員/非正規職員/契約社員/派遣社員/アルバイト・フリーター/その他
【あらすじ】
どこか人とずれた感性を抱きながら育った恵子。ひょんなことからコンビニバイトを始めてみると、それが彼女の一番の天職であったことに気づく。それから18年間、同じコンビニでアルバイトをし続ける彼女。そこへ白羽という男がやってきたことで恵子のコンビニ生活の歯車が軋んでいく。「コンビニ店員」を極めた彼女の生き様を描く。
【こんな読書層におススメ!】
コンビニのバイトに興味がある人/人間関係に新しい視点が欲しい人/コンビニが好きな人
【作者について】
1979年、千葉県生まれ。学生時代にはコンビニエンスストアでアルバイトもしていた。2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀作を受賞。2009年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。2014年、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞。
【出版情報】
初出「文学界」2016年6月号→単行本『コンビニ人間』文藝春秋、2016年→文春文庫、2018年
【時代】2016年(主人公の恵子がアルバイトを始めたのが1998年5月1日からで、そこから18年の時間が経過している)
【場所】不明(ビル街の描写があるため都市近郊であると推察できる。おそらく千葉・東京あたりである)
【章立て】なし
【語り】一人称/二人称/三人称
【初読時間】3時間程度
【お仕事小説のパターンチェック】
- 希望の職種・部署ではなかった 「YES/NO/どちらでもない」
- 当初、意地悪な人間や敵に悩まされる 「YES/NO/どちらでもない」
- 「バディもの/チームもの/個人プレイもの/その他( )」
- 同僚や上司に助けられる 「YES/NO(むしろ助けてあげる場面も多い)/どちらでもない」
- 最終的にやりがいや成長につながる 「YES/NO/どちらともいえない」
⑥読者を励まし、明日も働く意欲を与える 「YES/NO/どちらともいえない/読者による」
【登場人物】
(主人公と、その家族)
・古倉恵子(ふるくら・けいこ):スマイルマート日色町駅前店のコンビニアルバイト。38歳。日色町駅前店がオープンしてから18年間、アルバイトとして働き続けている。働きに関してはプロフェッショナルといえる。家族から『治る』ことを暗に期待されているが、自分でも自分の治し方がわからない。
・古倉麻美(ふるくら・あさみ):古倉恵子の妹。現在横浜方面の住宅地に住んでいる。結婚して子どもがいる描写があるが、夫は登場していない。幼いころから姉に甘えていたが、大人になるに連れて姉の異常さに気づき始めが、今でも恵子を支えてくれている。
・両親;名前未登場。幼いころからどこかおかしい恵子をやさしく見守っている。
(職場関係)
・泉(いずみ)さん:スマイルマート日色町駅前店のバイトリーダー。37歳。性格は少しきついが、きびきびとよく働く女性。
・菅原(すがわら)さん:24歳のアルバイト。声が大きく明るい女の子。バンドのボーカルをやっていて、以前は遅刻が多かったが泉さんが上手に叱ったおかげで、今では熱心な働き者になっている。
・岩木(いわき)くん:大学生の昼勤アルバイト。就活の関係でバイトに出る日が減っている。
・雪下(ゆきした)くん:フリーターの昼勤アルバイト。就職先が決まったのでもうすぐ辞めてしまう。
・佐々木(ささき)さん:半年前にやめたアルバイト。恵子の話し方の参考の一人。
・店長:30歳男性。常にきびきびとしており、口は悪いが働き者。日色町駅前店8人目店長。
・ダット君:夜勤に入ったばかりの新人ベトナム人アルバイト。結婚して子持ちの姉がいる。
・白羽(しらは)さん:180㎝は優に超える針金のハンガーみたいな男性。35歳。身の周りの人々を見下し、勤務初日からコンビニ業務を侮るような行為をしており、周りに嫌われている。ひょんなことから恵子の家に居候することになる。縄文時代のムラの話が好き。
(職場外)
・ミホ:恵子の同級生。同窓会で会って仲良くなる。結婚して地元に一戸建ての中古家を買い、子供がいる
・ミホの旦那さん:バーベキューの時に登場。
・ユカリ:恵子の友人。結婚して小さい子供がいる。
・ユカリの旦那さん:バーベキューの時に登場。恵子が体が弱いと言っているのにバイトをしていることを訝しんでいる。恵子に結婚を強く勧める。
・サツキ:恵子の友人。まだ子供はいないが結婚はしている。ミホと頻繁に会っているせいか同じ喋り方と表情をしている。
・ミキ:恵子の友人。恵子と同じくまだ結婚していないが、海外出張が多い。
・エリ:恵子の友人。
・マミコ:恵子の友人。
・白羽さんの義妹:白羽さんのお兄さんの妻。白羽さんを嫌っており、GPSを使って白羽さんに借用書を渡しにきた。合理的な物の考え方をする。
【描かれた仕事の内容】
レジの対応・接客/お客様同士のトラブル対処/商品の発注/商品棚整理/店内の飾りつけ など
【仕事場のリアルな描写】
・p35「『今日は新商品のマンゴーチョコレートパンがおすすめ商品です。皆で声かけしていきましょー。それと、クレンリネス強化期間です。昼の時間は忙しいですが、それでも床、窓、ドア付近はこまめに掃除するようにしましょう。時間がないから誓いの言葉はいいや、それでは、接客用語を唱和します。』(中略)」
・p64「トラブルが起きた場合は、迅速に社員に対応を任せることになっている。そのルールに従って、私は急いで制服に着替え終え、レジへと向かった。店長お願いしますと言ってレジを代わると、「うわ助かった、ありがと!」と小さい声で店長が言い、すぐにカウンターの外に走っていき、男性客と若者の間に急いで入った。私は宅配便の控えをお客さまに渡しながら、店内で殴り合いにならないか横目で見ていた。そういうときは、すぐに防犯ベルを鳴らすことになっている」
・p156「今日は暑い日なのに、ミネラルウォーターがちゃんと補充されていない。パックの2リットルの麦茶もよく売れるのに、目立たない場所に一本しか置いていない」
【ハラスメント】
白羽の言動には、セクハラやモラハラの要素が多い。また、恵子の友人やその配偶者の言動は、日本的な同調圧力の強さを物語っており、“ハラスメント”そのものを考えさせる内容になっている。
【印象的なセリフ(下線は引用者によるもの)】
p50「『とにかく、体感温度ってのが大事だからね、お店では! 前日との気温差も激しいし、今日は冷たいものが売れるから、ドリンクが減ったら補充するように気を付けて! 声かけは、フランクのセールと、デザートの新商品のマンゴープリンでいこう!』」
p57「店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。
それが「変わらない」ということなのかもしれない。」
p131「そうか。叱るのは、「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も問題は起きていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいるほうが、妹はずっと嬉しいのだ。そのほうがずっと妹にとって理解可能な、正常な世界なのだ。」
p158「コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びがある場所でなくてはいけない。」
【文芸作品としての読みどころ;直喩・隠喩・擬人化など】
p44「こんなにオフィスしかないのに、コンビニで働いていると住民風の客も訪れるので、一体どこに住んでいるのだろうといつも思う。このセミの抜け殻の中を歩いているような世界のどこかで、私の「お客様」が眠っているのだとぼんやり思う。
夜になると、オフィスの光が幾何学的に並ぶ光景に変わる。自分が住んでいる安いアパートが並ぶ光景と違って、光も無機質で、均一な色をしている。」
p59「甥っ子は眠っていて、頬に人差し指で触れると水ぶくれを撫でたような奇妙な柔らかさを感じた。」
p70「何かを見下している人は、特に目の形が面白くなる。そこに、反論に対する怯えや警戒、もしくは、反発してくるなら受けてたってやるぞという好戦的な光が宿っている場合もあれば、無意識に見下しているときは、優越感の混ざった恍惚とした快楽でできた液体に目玉が浸り、膜が張っている場合もある。」
【個人的な読後感】
コンビニ店員というモチーフを使って「普通とは何か」を描いていているのだが、芥川賞受賞作というだけあって人間の生態や振る舞い、感情も緻密に描かれていて、最初から最後まで楽しんで読めた。個人的にはさっぱりした読後感だと思う。恵子のどこか周りとずれた感性がはっきりとは悟ることはできず「どこかおかしい」と思わせる作者の書き方が非常に面白い。
アルバイトのお手本にするには少し出来すぎているが、働くこと・職への熱量を真似したり、人間関係の仕組みを観察した一例としてはとてもいい小説だと思った。
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