中澤秀一「最賃全国一律1500円の意義と課題」

東京土建一般労働組合が発行する『建設労働のひろば』第121号(2022年1月号)に掲載された中澤秀一氏(静岡県立大学短期大学部)による論文の転載です。どうぞお読みください。

 

 

 

はじめに―再始動した最賃運動

2020年はコロナ禍により最低賃金改革の気運が停滞してしまったが、2021年は再び改革に向け、最賃運動がリスタートした年であった。

21年10月に実施された衆議院総選挙において、新型コロナ対策とともに大きな争点となったのは、コロナ収束後を見据えた経済政策であった。ほとんどの政党が最低賃金についての改革を掲げた(表1参照)。ただし、最低賃金が選挙の争点になるのは、今回が初めてのことではない。2019年参院選で初めて各党が本格的に最低賃金改革を訴えるようになる。つまり、新型コロナの感染拡大に関係なく、すでに最低賃金は重大な政治課題になっていたのである。それがコロナ禍により中断されていたが、政治課題として再浮上したのである。

また、「分配と成長」が重要なテーマとする岸田新政権は「分配」策として、看護・介護・保育で働く労働者の収入アップや、賃上げ企業に対する税控除による支援など、いくつかの賃上げ策の実施を決定している。ただし、その内容を精査すると十分な所得再分配の効果を発揮できるとは思えない。おそらく根本的かつ効果的な「分配」策として、2022年の参院選でも最賃が注目されるだろう。

本稿では、いくつかの政党が公約に掲げ、そして徐々に社会に共感を拡げつつある「最賃全国一律1500円」の意義とその実現に向けた課題について考えてみたい。

 

表1 21年衆院選における各党の最低賃金に関する公約

自民党 賃上げに積極的な企業への税制支援
公明党 賃上げを行う中小企業等に対する支援の拡充
立憲民主党 同一価値労働同一賃金の法制化を目指して、時給1,500円を将来的な目標
国民民主党 全国どこでも時給1,000円以上の実現
日本共産党 中小企業への十分な支援とセットで最低賃金を時給1,500円に引き上げ
社民党 全国一律で1,500円に引き上げ
日本維新の会 公約になし
れいわ新選組 全国一律で1,500円に引き上げ

 

1.生計費原則が守られていない最賃

2020年4月に中小企業3団体が提出した要望書の影響を受けて、2020年の最賃は“凍結”された。正確には、中央最賃審議会が目安額を示さなかったものの、多くの地方最賃審議会で上乗せをしたために、全国加重平均額1円の引き上げだったのだが、中央が“凍結”の判断を下したのは大きな意味を持つ。諸外国はコロナだからこそ最賃を引き上げていたのに対して、日本はそのような政治的な決断を下せなかった。それは、ひとつに先に述べたように引き上げに対する経営者側の反発が強いことに加えて、日本では「生活できなくてもよい」賃金だからである。「生活できなくてもよい」賃金であることが、ワーキングプア(働く貧困層)を増やしてきた。そこへ今回のコロナ禍である。ますます消費は冷え込み、デフレ経済を加速させたのである。

本来は、労働者は働いて得た賃金で普通の生活ができなければならない。これが賃金の生計費原則である。しかしながら、現行の最賃はこの賃金を決定する大原則に則っていない。その理由は、もともと最賃は、世帯主に扶養されている専業主婦や学生がパートやアルバイトとして働くときに適用される賃金であったからである。つまり、被扶養の立場にあるから、その賃金で生計を立てることが想定されていないのである。だから、これまでずっと低水準が放置されてきた。しかし、これはあるべき最賃の姿ではない。

最賃も生計費原則は守られなければならない。最低賃金法9条2項で定められているように「労働者の生計費」「(地域における)賃金(の相場)」「通常の事業の賃金支払能力」の3つの要素で最賃額が決定される。さらに、このなかで「労働者の生計費」が最も重要であることは、同条3項に「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」と、わざわざこれを強調する条文が付け加えられていることからも明らかである。つまり、最賃は生計費原則に則っていなければならず、健康で文化的な生活が送れる水準でなければならないのだ。

 

2.地域経済を疲弊させる最賃

最賃が政治課題になっていることは先述したとおりであるが、与党である自民党および公明党が掲げている目標は、より早期の全国加重平均1000円達成である。加重平均は人口の多い都府県の最賃額が重めに反映されるため、上位の都府県が最賃額1000円を超えれば達成できてしまう。つまり、全国加重平均1000円では最賃の格差が是正されることはないのである。

地域別最賃制度は全国をA~Dの4つのランクに分け、47都道府県でバラバラの最賃額を設定してきた。そして、最賃額が高いAランクではより高く引き上げ、逆に最賃額が低いC・Dランクでは低い引き上げしか実施してこなかった。これにより、最賃の地域間格差はずっと拡大し続けてきたのである(この15年間で格差は2倍強に拡大)。現在ではその格差は、最大221円にまで広がっている。

この格差が、地方から都市への労働力流出を招いている。時給221円の差は、1か月で約4万円、1年間では40万円以上の賃金格差につながる。水は低きほうに流れるが、人は(賃金が)高きに流れるのだ。若年層を中心にどんどんと都市に人口が移動する。結果として、地方経済は疲弊し、ますます人口流出を加速させるのである。では、人口が集中した都市にとっては好都合かというと、そうともいえない。人口密度が高くなれば、居住空間は狭くなり、公共交通機関は収容人数を超過し、暮らしやすさが奪われる。また、人口過密がコロナの感染を拡大させたことは紛れもない事実である。

 

3.最賃運動のエビデンス―最低生計費調査

最賃を原因とするこれらの問題解決するのが、「最賃全国一律1500円」である。この目標はやみくもに掲げられたものでない。確固たるエビデンスが存在する。それが全国で実施されている最低生計費試算調査の結果である。この調査は、全国労働組合総連合(全労連)に加盟する地域組織の協力で行われており、筆者が監修として関わったのは2021年6月までに23都道府県に達している(22年にはさらに4府県が加わる予定)。調査手法としてマーケット・バスケット方式を採用し、健康で文化的な生活に必要なものを一つひとつ丁寧に積み上げて、科学的に試算を行っている。表2は、この数年に公表された若年単身世帯の最低生計費試算結果の一覧である。

 

表2 最低生計費試算調査若年単身世帯総括表

(注1)25歳単身・賃貸ワンルームマンション・アパート(25㎡)に居住という条件で試算。
(注2)その他には理美容品費、理美容サービス費、身の回り用品費、交際費、自由裁量費(1ヶ月6,000円)を含む。
(注3)非消費支出=所得税+住民税+社会保険料。

 

この調査から見出されたのは、次の2つの事実である。一つは、ひとり暮らしの若者が健康で文化的な生活(=普通の生活)をするためには月額24~26万円(税・社会保険料込み)が必要であるということである。この金額を時給換算(月173.8労働時間)すると、1400~1500円になる。すなわち、1人の労働者が普通に暮らすためには、最賃は1500円程度が必要なのである。ただし、月173.8労働時間は正月も盆もGWも想定しない非現実的な労働時間(それでも、最賃審議会ではこの労働時間が使われているのだが…)であるので、もっと人間らしい(かつて政府が目標とした)月150時間労働で換算すると、1600~1700円程度になる。つまり、1500円という数字は決して高い金額ではなく、あくまで通過点に過ぎないのである。

二つめは、全国どこでも生計費はほとんど変わらないという事実である。人口の密集する都市は住居費が高くなるが、公共交通機関が発達しているので逆に交通費は低く抑えられる。反対に、地方は自動車が必需品になるため交通費が高くなるが、住居費が低くなる。住居費と交通費がトレードオフの関係にあるため、生計費にほとんど差が生まれないのだ。なお、物流が発達した現代では、モノ・サービスの価格に地域差がないことも生計費に差が生まれない要因となっている。近年、購入額が増大するネットショップはまさに価格の地域差がないことを示す事例である。

 

4.社会に共感を拡げたことの成果

この最低生計費調査のエビデンスが最賃運動に成果をもたらしている。社会に共感が拡がり、政治を動かした2つの好事例を紹介しよう。

一つは、2021年6月16日、北九州市議会は全国一律最低賃金制度の段階的導入を要請する意見書を、賛成多数で採択した事例である(資料1参照)。ちなみに、政令指定都市で最賃の全国一律化を求める意見書が採択されるのは異例である。21年3月に、連合と全労協の地域労組でつくる北九州共闘センターが中心となって、最賃の全国一律化を求める意見書を国に提出するように北九州市議会に陳情したことが意見書の採択につながったのだが、そもそもの発端となったのは2020年の「共闘」でした。北九州共闘センターと、全労連傘下の北九州地区労連とが、連携して最賃の大幅引き上げを市議会に陳情を行った。このように地域の労働組合が上部団体の違いを超えて連携したことは大きかったが、最終的に意見書採択の決め手となったのは、自民党市議が賛同したことであった。背景には、最賃をめぐる世論の変化があった。意見書のなかで、「生計費については、都市部と地方との間で大きな差が無いことが団体の調査によって明らかになっています」と明言されており、2017年に福岡県で実施された最低生計費調査の結果が、マスコミ等で報道され、世論形成にも一役買っていたのだ。

 

 

資料1 2021年6月16日北九州市議会採択意見書

 

もう一つは、21年度最賃改定についてである。21年度改定は28円という大幅な引き上げ額が中央最賃審議会より答申された。この事実は、20年度の“凍結”の決定が過ちであったことを審議会(=政府)が認めたことを意味している。コロナ禍だからこそ引き上げが必要だと要求した最賃運動の正当性が証明されたのだ。さらに注目すべきは、全国一律の金額が答申されたことである。従来は、先に述べたようにAランクではより高い引き上げ額を、C・Dランクではより低い引き上げ額を答申し、格差を拡げていた。ところが、21年度は審議会が全国一律の引き上げ幅を示したのである。このことは画期的である。全国一律へ第一歩と言っても良いだろう。最賃運動が全国一律の制度を要求し、社会の共感を生み出した成果である。

 

おわりに―労働者全体の賃金底上げにつなげる

かつては、最賃は「自分には関係のない賃金」であった。ところが、1990年代以降、日本の雇用が一変し、正規雇用が非正規雇用に置き換えられ、非正規でも主たる家計維持者となる労働者が増加する。特に、最賃法が改正され上昇率が高まり始めた2007年以降は、最賃近傍で働く労働者数が急増する。つまり、最賃は「自分に関係のある賃金」に様変わりしたのである。ただし、最賃近傍の労働者数の増加は非正規労働者に顕著な現象であり、正規労働者への影響は限定的である。

 

図1 東京都1時間当たり所定内給与額階級別労働者数の分布(短時間労働者、2020年)

(資料)総務省「賃金構造基本統計調査特別集計」

(注)塗りつぶしたのは東京都の最賃=1013円を含む分布帯

 

図2 東京都1時間当たり所定内給与額階級別労働者数の分布(一般労働者、2020年)

(資料)(注)図1と同じ

 

図1および図2は、東京都における労働者の所定内給与額を時給換算したときに、10円幅ごとに何人の労働者がいるのかを示したものである。図1は短時間労働者の、図2は一般労働者の、それぞれの分布を示す。短時間労働者では最賃の位置が目立ち、その近傍で働いている労働者数が多いのに対して、一般労働者では最賃の位置があまり目立たない位置にあることが確認できる。つまり、最賃引き上げは非正規労働者に大きな影響を及ぼしたが、正規労働者にはあまり影響がなかったのである。最賃の引き上げを労働者全体にどうやって波及させていくのか。これが今後の運動の課題になるだろう。正規労働者も“うま味”を感じられなければ、最賃運動に参加することできず、運動が分断されてしまう。より早期に「最賃全国一律1500円」をめざすためには、この分断を乗り越えていかねばならない。

 

 

(参考文献)

後藤道夫他19名(2018)『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし 「雇用破壊」の乗り越える』大月書店

労働運動総合研究所(2019)『労働総研クォータリー』No.112本の泉社

中澤秀一(2020b)「総論:問題提起、論点と全体のまとめ」『貧困研究』vol.24明石書店

後藤道夫(2021)「世帯分布・生活維持構造の大変動と女性の異常な低賃金の持続―コロナ禍による生活困窮が露わにしたもの」『労働総研クォータリー』No.119本の泉社

 

 

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