本田宏「ウクライナ侵略戦争に対するドイツの反省に学ぶ」

ウクライナ侵略戦争に対するドイツの反省に学ぶ

本田 宏(北海学園大学法学部政治学科教授)

NPO法人さっぽろ自由学校「遊」発行『遊通信』185号、2022年12月の原稿に加筆した(2023年1月11日現在)。元々はさっぽろ自由学校「遊」講座「ウクライナ戦争と日本の安全保障 憲法9条の平和主義を改めて考える」の第1回(2022年10月19日)「従来の戦争論議をゼロベースで洗い直す」の内容のうち、ドイツに関する部分をまとめたものである。》

 

遠く離れた日本と異なり、欧州の大国ドイツでは政府の政策がウクライナ危機に直接の影響を及ぼすので、過去の政策を検証する議論が論壇や政界で始まっている。

ではどのような政策がドイツではウクライナ危機との関係で失敗だったと議論されているのか。

第1に、融和外交の失敗である。1938年に英国とフランスの政府がヒトラーとの戦争を回避しようと、チェコスロバキアの領土内でドイツ人が多く住んでいたズデーテン地方のドイツへの割譲を勝手に認めてしまったが、ヒトラーは翌年ポーランドに侵攻した。これは最も有名な融和の失敗である。似たような失敗だと批判を受けているのが2度の「ミンスク合意」(2014年・2015年)である。これはロシアの支援を受けた武装勢力によるウクライナ東部の支配を既成事実として認める条件で和平をドイツとフランスが仲介しようとしたものだが、ロシア側の意図を読み違えていた。しかしミンスク合意の内容はウクライナ側に不利だったが、当時のロシアとの力関係においては他に有効な選択肢がなく、紛争の激化を一定程度抑制したという評価はある。

第2に、NATOの東方拡大がロシアに脅威を与えたという俗説がある一方で、ロシアを刺激したくなかったドイツとフランスが2008年、ウクライナとジョージアのNATO加盟申請に反対したことが、ジョージアやウクライナを攻撃しても黙認するという印象をロシアに与えたと言われる。むしろロシアが2度のチェチェン戦争を行ったことが東欧諸国のNATO加盟を加速させた面がある。それでもプーチンの大統領就任後間もない2002年には、ロシアとNATOの協議機関も設置された。両者の関係がその後悪化した一因には、ロシアの友好国セルビアの領土内のコソボ自治区(アルバニア系住民が多いが、欧米の経済的・軍事的援助なしには自立不可能)の独立を米国やドイツなどの西側諸国が2008年に強引に承認してしまったことが指摘される。これはロシア語話者の住民が少数派として居住する地区を「国」として独立させようとロシアが軍事介入する口実を与えた。そこでジョージアやウクライナがNATO加盟申請を急いだとも言われる。なお、今回の戦争でNATOはロシアとの直接対決を避けるべく、抑制的に行動している。

第3に、融和外交に内在する「植民地主義」と「帝国主義」である。ロシアとウクライナは同じ民族だというロシア帝国以来の言説は、ウクライナはロシアの勢力圏に属すべき植民地として扱うことを正当化してきた。またスターリンはクリミア半島の先住民のクリミア・タタールを極東などに強制移住させ、代わりにロシア人の植民を図った歴史がある。

ドイツはこうしたロシアの植民地帝国的な視点を受け入れてきたと批判されている。1960年代末からの社会民主党主導政権期以降、西ドイツは東側諸国との和解を追求したが、しだいにソ連支配下の東欧の独裁政権との協力関係の安定を優先するようになり、東欧の民主化運動に冷淡な態度をとったという批判がある。同様に2000年代からのドイツの東方外交はプーチン政権との融和を優先し、ウクライナを汚職の蔓延する失敗国家とみなしてきたと批判されている。

第4に、こうした政策の根底に第二次世界大戦の責任に対するドイツの「記憶文化」の偏りが指摘される。ウクライナが大きな割合を占める独ソ戦での犠牲者を「ソ連の犠牲者」として記憶しており、ソ連の後継と見なしたロシアへの遠慮を示す一方,スターリン体制下のウクライナ農村収奪に伴う大飢饉(ホロドモール)や粛清・強制移住、ドイツ占領下のウクライナでのユダヤ人やパルチザン(武装民兵)の殺害,ドイツへの強制労働移住、住民の武装抵抗の歴史への知識が薄い。またナチスの犯罪を相対化していると批判されることを恐れて、現在のロシアに見られるファシズム的傾向の危険性をナチズムとの対比で理解するのが遅れたとも言われる。

第5に、経済的相互依存が戦争を防止するという理論の破綻である。ドイツは2005年にロシアからバルト海の海底を通って天然ガスを直接導入するパイプライン「ノルト・ストリーム」計画を決定した。これは経済的相互依存の強化が権威主義国家を平和や民主化に誘導するという東方外交の「接近による変化」という理念に基づいていた。しかしそれまでロシアから欧州へのガス供給はウクライナ経由であり、ウクライナに通行料が支払われていたが,パイプラインが2012年に開通すると、ロシアのウクライナからの経済的自律性とドイツのロシアへのエネルギー依存が高まった。ロシアはウクライナに侵攻してもドイツが黙認すると考えたかもしれない。

こうした批判を受け、与党である社会民主党内ではロシアよりも東欧諸国の重視へ「東方外交」を刷新する方向性が打ち出されている。またショルツ政権はロシアによる侵攻開始後、ウクライナへの軍事支援とドイツ連邦軍増強を表明した。さらに12月には連立与党と野党最大会派の合意に基づき、上記のホロドモールを「ジェノサイド」として記憶する決議が連邦議会で採択された。ただし武器支援についてドイツは他国よりも突出しないように慎重に行っているが、これがしばしば国内外、特に東欧諸国から批判を受けている。ロシアからの天然ガスの購入についてはロシア側の動きもあって、急減した。

ドイツでの議論は様々な示唆を含んでいる。ウクライナ侵攻の背景に外交の不足を見ようとする人は日本に多いが、上述のように融和外交や経済外交が侵略戦争に誘因を与えることもある。外交交渉には軍事力という権力資源の裏付けが全く不要なわけではなく、また相手に間違った誘因を与えない慎重さが求められる。軍事力は侵略や市民の抑圧に使われる可能性があるが、防衛や市民の保護のために必要にもなる。戦時には軍隊の行動を社会が監視するのは困難となるが、衛星や監視カメラ、SNS上の画像といった公開情報を駆使した調査手法(OSINT)によって市民団体が軍隊の行動を監視することが昔よりは容易になっている。この「オシント」技術は、戦争犯罪を誰が行ったのかを検証する上で重要な役割を果たすようになっている。

強大な軍事力を持つロシアの侵攻にウクライナが持ちこたえている事実が示唆するものも多い。首都キーフへのロシア軍の接近にもかかわらずゼレンシキー大統領が逃げない姿勢を発信したことは大きい。成人男性の動員・出国禁止令も国民一丸となった抵抗の意思を示す意味があった。侵略されたら戦う意思があることを示すことは国際社会からの支援を受ける上で重要だった。

ゼレンシキーが戦争を煽ったという見方は誤りである。2019年の大統領選挙では、対ロシア強硬策とウクライナ語優遇策をとった現職に対し、政治経験のないコメディアンでロシア語話者のユダヤ人であるゼレンシキーが勝利したことは、世論の大勢が紛争の先鋭化を望まなくなり、国民の間の多様性を許容するように変化してきたことを示すと分析されている。2013年末~2014年初頭の「マイダン革命」の終盤で目立った少数の極右勢力は影響力を失っている。

ロシア軍は市民への暴力を戦略的に実行しているようなので、戦時の非武装抵抗には危険が大きく、軍事的防衛の代替にはならない。ただ軍と市民の両方でウクライナが抵抗できる背景には、第二次世界大戦中のパルチザンやソ連軍の兵士として女性も含めて戦った記憶、「不当な国家」(ナチス、ソ連、ロシア)の犠牲者としての集合的記憶がある。

プーチンがむしろ恐れ、抑圧したいのは平時の市民による抵抗である。ジョージアでは「バラ革命」(2003年)、ウクライナでは「オレンジ革命」(2004年)と「マイダン革命」(2013-2014年)、ベラルーシでは2020年に反体制デモが起きた。こうした流れがロシア国内に波及することは止めようというのが戦争の重要な動機の1つと考えられる。加えて、軍需産業を含めた工業地帯や港湾のあるウクライナ東部がロシアにとって持つ戦略的重要性も関係しているだろう。

 

 

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