『千年紀文学』137号(2022年1月31日発行)「特集・創刊25年と文学」からの転載です。
※文中の【 】はルビです。

「お米、とっても嬉しいです! 助かります!」
丁寧にお辞儀をして帰る学生たちを見送りながら、コロナ禍が可視化させた、さまざまな問題を考えずにはいられなかった。
子どもの貧困、貸し付け型の奨学金依存、不安定なアルバイト状況、働く貧困層――これまでも問題視されてきた多くの現象が、一気に顕在化したこの2年間。個人的に強く印象に残ったのは、勤務先での食糧支援である。
新型コロナウイルスの影響で学生のアルバイト収入が激減したり、実家からの仕送りを減らされるなど、若い世代の生活にも変化が現れた。そのため、各大学や地域で、生活に困窮する学生たちに食糧支援をする動きが起こり、現在でも継続されている。
勤務校でも、一昨年の2020年12月25日、クリスマスの日に教員有志による食糧支援の試みを行った。
本学には約8000名の学生が在籍しているが、その日は5時間ほどの間に260名近くが訪れ、カンパなどで寄せられたお米やレトルトカレー、りんごなどを手に、年末の家へと帰って行った。
かつて私は、国家とは、戦争と外交のためにあると考えていた。けれども20年ほど前、太平洋戦争終戦後、旧満洲から家族で引き揚げてきた方のお話を伺ってからはその考えを改めた。
「国家の使命とは、夜、子どもたちが、あったかーく、何の心配もしないで眠れる状態を保障することなんだよ」
引き揚げ当時10代半ばだったその方には、暖かな布団の中で安心して眠れる夜など一度もなかったという。
以来、私も国家の使命を、夜、子どもたちが暖かく、何の心配もしないで眠る状態を保障することと考えている。その国家観を、大げさかもしれないが、コロナ禍ではより強く確認することとなった。この国の将来を担う若者たちが、明日食べるものに不安を抱えている現状を、日本という国家は果たして注視しているのか、と。
話を戻したい。本学の食糧支援は、当初は教員有志が行っていたが、これを機に職員も積極的に関わるようになり、さらに、同窓生や大学関係者、近隣住民の方々からもカンパ等が寄せられるようになった。
そして、学生自治会執行部と大学生協が主催、教職員有志を後援とする組織的な取り組みとなり、2022年1月までに6回が行われている。有料の自治体指定ごみ袋や、生理用品なども配布対象とし、学生たちのほっとした笑顔にはこちらも励まされる。最初に支援を呼び掛けた有志のメンバーに、頭の下がる思いである。
けれども、取り組みの中で、ひとつ心残りのことがある。当初の2、3回、食品受け渡しのスタッフとして私も会場にいたのだが、授業の後に必ず話し掛けてくれる学生が訪れた際、つい、「○○さん、こっちからどうぞ」など呼んでしまい、その学生の表情が硬直してしまった。見られたくなかった、という表情で、その後もよそよそしくなってしまったのである。大人としての私の配慮の足りなさを、痛切に反省している。
さて、直近の、2021年11月に開催された第6回食糧支援のアンケート結果に注目したい。
申込者の627人のうち、アンケート回答人数は161人であった。
「現在アルバイトをしていますか」という問いに対し、
「アルバイトをしている 73.9%」
「していないが、アルバイト先を探している 16.1%」
「しておらず、特に探していない 9.9%」
回答者の約7割が現在アルバイトをしており、そのアルバイトをしている学生にさらに「自分が希望するだけの時間数を働けていますか」と問うたところ、
「働けている 72.9%」
「働けていない(もっと多くの時間数を働きたい) 27.1%」
という回答があった。
雇用の調整弁である学生アルバイトは、景気や需要によって勤務時間の増減を指示され、働く側の希望がなかなか反映されないことがある。そのため、こういった希望時間に対する問いは重要な情報でもあると思われる。
学生のアルバイトについては、その体験を短歌に創作してもらう授業を続けている。2012年から、一部(昼間部)と二部(夜間部)ともに担当し、毎年、合同歌集も刊行している。アルバイトの体験は歌材の重要な一つであり、2015年度からはアルバイトの業種と、それが「現在」の体験か「過去」の体験かも具体的に記述してもらっている(注)。
毎年さまざまな業種の体験が歌われてきたが、コロナ禍では、いっそうアルバイトの現場がリアルに伝わってきた。
次の一首は、一昨年の肉声である。
・やめられないコロナのおかげでやめられた。ウィルスもたまには良い仕事をする
S・K(飲食店/過去)
なかなか辞めさせてもらえなかったが、コロナ禍の調整弁のおかげでようやく辞めることができた、という皮肉のような事実である。
時短営業などを余儀なくされた飲食店では、とくに、働き手の希望通りに働くことが難しくなったようだ。 辞めさせられる、あるいは勤務時間を減らされる一方、感染者数が減少したときにはその反動で人手不足が起こった。
・おいまてよライン開いて固まった月初めからの十連勤
H・H(飲食店/現在)
シフトを見るとまさかの「十連勤」。学業との両立が難しくなる場合もある。
正規職員とアルバイトの立場の差も現れている。次の二首は、正規職員の穴埋めに追われるアルバイト学生の肉声である。
・協力もしないくせして休み希望多し代わりに出るのはオレしかいない
T・H(飲食店/現在)
・米足りないアレも足りないそれ足りないほうれんそう【報連相】足りない足りない
同
休憩時間を削って、サービス残業を余儀なくされるケースも少なくない。
・三十分わずかな休憩 分勝負 カップ麺も二分でオープン
I・T(カー用品専門店/現在)
他のスタッフに気兼ねして、カップ麺が出来上がる三分を待たず「二分」で生硬い麺をすする姿が想像される。
働きがいのある仕事の場合は、時給以上に働くこともしばしば。
・真剣になるほど時間ばかり奪われていく授業準備のセンセー
N・N(塾/現在)
・最低賃金【じきゅう】あがり喜ぶわれの知らぬ間に物価も一緒に上がってました
W・K
そのような中、注目されるのは、働く他者へのまなざしである。
・深夜まで帰れぬチーフ1月3日【翌日】の明朝出勤上は休日
M・M(スーパーマーケット/過去)
正規職員は、深夜を超えて明朝まで仕事に追われることもありがちだ。厚生労働省は、勤務の間に一定時間以上の休息期間(11時間ほどのインターバル時間)を確保できるような「勤務間インターバル制度」の導入を努力義務化してはいるが、アルバイトの学生が「チーフ」の休息時間の不足を案ずるような現場のゆがみは、将来への不安を募らせる問題でもあるだろう。
・レジ係のあの声が今日は枯れていてあと何時間立ってるんだろう
N・N
アルバイトかパートだろうか、「レジ係」の人の声が枯れ、交代要員も少ない忙しさに敏感になっている。
数年後は社会人として働く学生たちが、自分事として、労働の構造を、国家の政策を意識するには、このコロナ禍はむしろ好機であるのかもしれない。複雑な思いではあるが、情報提供などを続けていきたいとあらためて感じている。
(注)詳しくは、拙稿「学生アルバイト短歌―『連勤』『休憩時間』という〈新しい歌語〉」(日本現代詩歌文学館「日本現代詩歌研究」第十三号、二○一八年)をご笑覧ください。
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