木村憲一「労働組合の成果は「私」だけに返らない」

労働組合への加入を呼びかけたら、「私にどんなメリットがあるんですか?」と逆に質問をされた──そのようなことは、労働組合関係者の多くが少なからず経験しているのではないでしょうか。このメリット論はどう考えたらよいのか。日本国家公務員労働組合連合会(略称、国公労連)が発行する情報誌『KOKKO』第43号(2021年5月号)に掲載された木村憲一さん(北海道国公議長)の論文です。原文に加筆修正しました。どうぞお読みください。

 


「国」と「公」を現場から問いなおす情報誌『KOKKO』

 

答えてはいけない問答

労働組合のメリット論は、私たち組合役員にとって眉をしかめたくなる鬼門です。「休暇制度が充実した」「パワハラをやめさせた」「業務の簡素化を実現した」などの組合で取り組んだ成果が、金額に換算できるとは思えませんし、メリットがあるのかと問われれば、ついカチンときて「あなたの言うメリットはない」と言ってしまいそうになる。そんな衝動を堪えているのが私たちの偽れざる心ではないでしょうか。

この寄稿のテーマは、メリット論から逃げずにどう伝えるかというものです。ただ、身もふたもない話をしますと、私は幸いにも大きな労組の加入率の高い支部に属しており、加入を得やすい環境があります。なので、今のところ実務上ではメリット論は避けるが勝ちと思っています。もし、「組合が大切なのはわかるのですが、私にメリットってあるんでしょうか」と問われ、そのニーズに真正面から答えるなら、その捻りだしたチープなメリットは、とたんに見透かされて「私には組合は必要ありません」と告げられると恐れます。もっとも重要な加入勧奨の中に、そんな危なげなプロットは不要で、問われる流れを作らないことに神経を注いでいるのです。

しかし、少しでも声を掛けるタイミングが遅れ、同期が入らないことがわかったり、隣の先輩も入ってなかったり、組織率が悪い情報が耳に入ると、避けても、避けてもメリット論は次々と組合役員を襲います。あいつも、こいつも次々とメリットを問う隙を見つけては組合に関わることを拒みます。この答えてはいけない問答への対応策はあるのか。この貴重な機会をいただいて私も改めて考えてみることにしました。

 

組合の「メリット」は、短期的で個人的な費用対効果?

私たち組合役員を苦しめる「メリット論」を整理すると、「支払額に対する個人への短期的な費用対効果」だと捉えてよいのではないでしょうか。

現実的なやりとりとして、「あなたに何かあった時の保険のようなもの」として伝えることが、理解しやすく当面のベストとは考えますが、これも、保険の印象だけが強く残った場合、入る・入らないが自分を中心とした選択基準になることや、決して安くはない毎月の組合費が、保険商品価格として適正かとの視点になることで、後々自分の安心・安全が保たれたとき、保険を切り替えるように脱退することも想像できます。実態として壮年層の組合脱退は、ある程度自分の将来が見えた後、他人のために組合費を支払うことに耐えられなくなることが理由であるように感じます。

その点、「労働組合はパブから始まった」は、根源的なことを理解しやすくしてくれる歴史です。みな、パブを単なる個人の飲み食いのメリットとして利用したのではなく、仕事の話を共有したりカンパをしあったりして、職場で元気に働く様々な要素を自主的に決める場所として活用したのです。私たちはこの「メリットの違い」を説明しようとしています。「まずは一緒に食べに行こうよ。お店が潰れてもみんな困るし」こんな感覚を今、私たちはどう伝えたらいいのでしょう。

 

組織率は何にも勝るメリット。

冒頭に告白した通り、私自身は加入勧奨でメリット論を避けていますし、それを可能とするのは組織率の高い組合という背景です。言い方を変えると、現代においても組織率のメリットは、組合費に対する短期的な使用価値より、メリットとして上だということです。組織率のメリットは、下世話にいえばグループの一員となる安心感であり、断ることでの面倒を回避する算段でもあります。

「万が一の保険」効果も期待できる印象は与えますが、そのメリットのみで加入の可否を分析すれば、実のところ労使のトラブル解決能力はオープンになっておらず判断がつきません。この不確かなメリットより、皆が入っているグループに入るメリットはさらに上にあるのでしょう。このことは、都市部での加入率が減少し続け、地方の加入率は依然として高いことからも明らかです。「離島で入らないものはいない」は組合あるあるかもしれませんが、小さなコミュニティでは、人間関係を悪化させないことこそがメリットであることを物語っています。

いずれにしても、私が日々強調している加入メリットは、「メリット論」とは異なるものです。私たちは、「今の若いやつ」を話題にするのが好きですが、私は利用するツールは変わっても、それほど人間の精神構造が変化したとは思えません。人間は社会的な動物なのです。「皆が入っているメリット」は今でも十分通用します。

 

泥船には乗らない若者たち

ここであらためて重要だと感じるのは、若い彼らも労働組合の役割や重要性は、これまでの教育課程や社会情勢において十分に承知しているということです。むしろその理解度は高まっているとすら感じます。そして、労働組合の重要性を前提としたうえでの「メリット論」にかかる問いは、「金額も高いしせめて何かあってほしい」といったオプションとして捉えられていると私は理解します。

事実、積極的な青年層のとりくみは、飲み会やレクリエーションのみではなく、学習機会を増やすなど運動が高まる方向性にかつてより効率的に動いています。彼らは適切な場さえあれば極めて的確に情勢を読むのです。

つまり、若者たちが心配なのは「泥船に乗ること」です。機能していない労働組合に入れられて、ただ金を浪費する日々であり、儀式的な組合の念仏を聞き、あまつさえ断れない者に役員を押し付け合う時間の浪費です。一方、機能的かつ民主的な労働組合を提示されて拒否することは、一人前の社会人とは言えないことをほとんどの若者は理解しています。

ですので、若者は断る方便としての「メリット論」をいうべき時を心得ているのです。「メリット論」への答えがないことを知っていて問うのです。

ちなみに、組織率の高い労組における未加入や脱退理由は、大抵が「お金がない」であり、理由を述べず「任意ですよね」の一本やりです。けして「メリット論」では挑んでこないことからも、その傾向は十分見て取れます。

 

「メリット」を聞かれたら・・・

では、結局「メリット論」を問われたらどうするかを考えます。これまで考察してきたとおり、「あなた個人にこんな見返りがある」と、ただ答えたところで、メリットにはなりきらず負け戦です。また、職場全体・労働者全体の壮大な話をしても、「答えになってません」と、やはり負け戦です。気づくべき視点は、その質問には、「お金を少しでも払いたくない」シンプルな思いと、「その理由では職場の人間関係が悪くなる」との葛藤があるということです。それならいっそのこと、どうしてそのことを聞きたいのか、なぜ聞こうと思ったのかを聞き返してみるのはどうでしょうか。

もし、労働組合をある程度理解しているなら、お金以外の労働組合への不安が言葉に出てくるはずです。それは、「役員を強制されるんじゃないか」「イベントに若者は出ないでしょ」「公務員のいざという時なんてあるの」などの不安かもしれません。そしてその不安の解消こそが、彼らに必要なメリットになると確信します。ここで畳みかけるように、個人的なメリットを伝えます。新規採用後間もないなら同期と会う機会を組合が作ること、元気がよさそうなら飲み会はタダになること、安定志向なら自主共済保険の話、仕事が忙しそうなら残業代を支払わせた実績など、若者のタイプや状況に合わせて話すことがポイントです。

そして、最後の難関が組合費の金額ですが、私は組合費に高い安いはないと言い切ります。その金額は労働組合として動くための必要経費であり、そのほとんどは、私たちの代わりに労働運動を支える専従者の人件費だからです。要求実現のためには専従者が一定数必要です。組合が機能するために一定額が必要であるならば、後は組合員が減れば個人の組合費負担は増えますし、組合員が増えれば個人の組合費負担は減るだけの話です。専従者の人件費は、自分たちの給与そのものですから、その金額を買い叩いたところで良い結果に結びつかないのは自明の理です。果たして、「組合の能力を最低限備えた月額500円の激安プラン」を誰が信用するでしょうか。それは私たちが、組合がどう動くか本質的に知っていて、組合費は使用価値によって決まるものではないと、実のところ気付いているからではないでしょうか。

 

組合弱体化から解き放たれる希望は、人

これまで幾多の労働者が語り継いできたように労働組合は数です。そしてまた、組織拡大も数です。だからこそ、組織率の低い環境は労働組合のメリットを見えにくくし、「メリット論」も横行します。こうした状況で私たちはどう糸口を見出すかを最後に考えてみます。

私が共有できる体験があるとすれば、役員の勧誘です。私たちは比較的組織率の高い労働組合ではありますが、それゆえに役員のハードルも上がります。また、過去を振り返ると、先輩方には大変失礼ですが、その役員構成はオールラウンダーの優秀な役員がいる一方で、厄介ごとを押し付けられたお人好しや、本流から外れたもの好きたちの集まりとも見られていたように思います。この環境で役員を打診しても負担ばかりが目について、まさに泥船には乗らないことが「賢い選択」となっていました。どんなに組合員がいても、役員の見込みは立たず、組合役員の固定化が組合機能の低下と捉えられ、年代の近い役員も少なくなって「メリット論」の隙を作る。そんな危機感を抱えていたように思えます。

そうした中で、当時の若手役員が重視したのは、自分と関係性があり、かつ職務も優秀な職員、誰からも評判がよい職員にターゲットを絞ることでした。そして、彼らの家庭、業務やキャリアパスで組合が力になれることを探しました。このプロセスは、今まで述べてきたことを踏襲しています。つまり、信頼関係の高い小さなコミュニティを活かし、役員になる不安を聞き、わずかながらも個人のメリットを実現するため動き、「まずは一緒にやってくれないか。組合が潰れてもみんな困るし」とお願いしたのです。決して簡単ではないですが、たった一人、優秀と評価される役員が入ると世界が変わります。そして次はその役員と勧誘するのです。人が人をつなげ、今間違いなく役員全体の印象は変わりました。

ポイントは、ターゲットの選定と勧誘時の枠の区切り方です。まずは皆に評価されている人です。そして、声をかける時は、出来る限り小さなコミュニティにおいて多数派となるよう工夫します。それは、「同期の中で」特に仲がいい2人でもいいですし、「慕っていた唯一の」上司でもいいと思います。

この手法は組合加入にも通じるはずです。繰り返しますが、加入させたいその人は、メリット論では組合に加入させられず、人間関係のメリットを示すことで加入へと繋がるのです。

 

労働組合のメリット(実り)とは

組合加入を拒まれた。脱退の申し出があった。その度に、役員である私は当人に会い、話を聞き説得し、幾度となく失敗してきました。同じ環境で勤め、それぞれに苦しんで組合費をねん出する加入者に申し訳なく、怒り、無力感に陥り、引き留める方法はあったのだろうかと自問自答を続けています。

正直いって、「メリット論」の視点からみる最も効率的なメリットとはフリーライド(未加入)でしょう。こうした生き方は常に生まれますが、私は、私自身も、多くの人にとっても豊かな生き方になりえないと感じています。

そう感じる核心は、公務の職務や、労働組合の日々の活動で芽生えていくはずです。メリット論とは、突き詰めれば、自分の子供に「おまえに金をかける価値はあるのか」と聞くようなものです。労働組合は自分で育てるもの、その成果は、自分だけに返るものでもなく確実性もありませんが、その実りは何ごとにも代えがたい。

労働組合がこの社会で生きる人にとってそんな存在になれるよう、私も微力ながら今後もかかわっていきたいと思っています。

 

 

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