道労連は、労働者を代表していると言えるのか
全労連結成から5日後の1989年11月26日、道労連は結成大会を開催した。30年超が経過するなか、道労連や産別組織の結成当時を知らない世代が多数を占めている。産業構造や雇用形態、地場産業が地域経済などの社会情勢は当時と大きく様変わりした。
非正規雇用は4割を超えたが、未だに労働組合がある職場でも「有為人材論」が平然と語られている。
夫婦と子ども2人の4人世帯はもはや「標準」ではなくなり、家計補助型から「家族多就労型」による生計維持が増大し、7人に1人は貧困に窮しているが、組織内における最低賃金闘争の優先順位と参加は低調だ。
過労によって生命や健康を奪われる人は以前高水準にあるものの、36協定の上限時間を抜本的に短縮する動きは鈍い。
女性差別は依然として職場でも家庭でも地域社会でもあからさまに存在し、左利きと同じくらいの割合で存在している性的マイノリティーの問題は、カミングアウトできない環境であることを脇に置いて「私のまわりにはいない」ことにされ春闘の交渉議題にすらならない。
労働組合は、誰と一緒に、何をすべきなのか。実現したい職場や社会はどのようなもので、そのために起こしたい変化はどんなものなのか。労働者が直面している雇用や生活実態に見合う運動と組織形態について、ローカルセンターと産別組織はこれまでのあり様を振り返りつつ、これからの役割と展望について具体化することが求められている。
私は断言する。いまの労働組合には組織変革が絶対に必要だ。道労連は、組織実態を調査し、「5つの指標」(①要求は前進したか、②職場の団結は強まったか、③新たな参加・活動家は増えたか、④道労連(単産・地域)の信頼は高まったか、⑤道労連(単産・地域)は拡大されたか)をもとに、前進面と課題を分析し、変革のための実践をすすめてきた。その一つに「コミュニティ・オーガナイジング(以下、略称『CO』で記述)の活用を位置づけてきた。
コミュニティ・オーガナイジング(Community Organizing、以下CO)は、市民の力で自分たちの社会を変えていくための方法であり考え方です。
オーガナイジングとは、人々と関係を作り、物語を語り立ち向かう勇気をえて、人々の資源をパワーに変える戦略をもってアクションを起こし、広がりのある組織を作りあげていくことで社会に変化を起こすことです。キング牧師による公民権運動、ガンジーによる独立運動、どれも数えきれないほど多くの人々が参加し、結束することで社会を変えてきました。
そして、普通の市民が立ち上がり、それぞれが持っている力を結集して、コミュニティの力で社会の仕組みを変えていくのが、COです。市民主導で政府、企業などさまざまな関係者を巻き込みながら、自分たちのコミュニティを根本からよくすることを目指します。
※詳細は「NPO法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン」ホームページをご覧ください。https://communityorganizing.jp/co/info/
強い危機感が組織変革への挑戦を後押し
もし、道労連が要求も組織も大きく前進していたならば、組織変革は不要だ。しかし、道労連は全労連の中で「もっとも組織を減らしたローカルセンター」だ。全労連発展の「足を引っ張っている」組織ともいえる。とても申し訳なく、そして悔しい。
政治的発信をすることが主たる役割だった。国政や道政におけるその時々の課題、選挙闘争、平和運動などが中心的な取り組みだった。組織的な課題や組織化の戦略などの具体化は「産別組織が行うこと」であり「聖域」とされてきた。連合体である道労連は、構成する産別組織の増減と一体だ。過去最高現勢(結成時2年目)から前半の15年で46%にまで減少し、その後は若干増加に転じる年もあったが、全体的には減少傾向に歯止めがかかっていない。医労連と年金者組合を除けば、軒並み減少している。
倒産寸前の会社と状況は大差ない。「北海道の取り組みは面白い」「新しいことに挑戦している」などと声をかけていただくことがあるが、それは「このままでは終わる」という猛烈な危機感のもと、組織変革が迫られていることを痛感したことに起因している。
保守的になりがちな背景は「食わず嫌い」
かくいう私も、最初はCOのフルワークショップを「怪しげなセミナー」と半信半疑で参加した。従来の労働組合では、学習会が2日間あるといってもだいたい半日ずつで、夕方も早めに終わって懇親会がメイン、みたいなケースが多い。場合によってはゴルフがメインで参加する者もいる。論外だ。ワークショップというものに参加するのも初めてであり、しかも朝から夜までみっちり2日間もやるなど「拷問」ではないかと思いつつ参加したものである。
あの時、参加を躊躇していた私を強力に後押ししてくれた全労連の名取さんに深く感謝している。名取さんはカナダでのオルグ経験も持つ凄いオーガナイザーだ。労働組合の中には「書記の分際で」的な発想をもつ人が少なからずいる。しかし、「役員」かどうかの肩書に関係なく、現場の組合員であろうが書記であろうが、有能な人たちがもっとその資源を活かした活動をできるようにしていくことが、組織全体の活性化・利益につながっていく。
道労連の中で普及しようと提起した際は、COのことをほとんど知らないにもかかわらず、理論や実践にもとづく批判ではなくて「横文字」であることや、「日本にはなじまない」という声が少なからずあったことに驚いた。共産主義=中国というイメージで語るケースよりも稚拙だ。食わず嫌いともいえる。
公民権運動の象徴事例でもある「モンゴメリー・バスボイコット」が訓練されたオルガナイザーによって仕掛けられキャンペーンであることを、労働組合の活動家にはあまり知られていない。たたかいの中で、突如出てきた人たちかのように思われている。私も、COを学んで初めて知った。「15ドルのために」キャンペーンや、韓国の「ろうそくデモ」などの事例も説明し、これからの労働運動に必ず活きるものであるとのレクチャーを重ねた。
COや「ゆにきゃん」を受講したのちに必要性・可能性を実感し、「どう活用していくか」に挑戦しているのは比較的若い世代が多いことは、必ずこれからの労働運動に活きてくる。
ゴールまでの道筋と期限を明確にする
全労連非正規センターによる集会で、「最賃1500円と言うが、それをいつまでに実現するのか、戦略がない」との核心を突く指摘があった。たしかに労働運動の要求闘争の多くは「期限がない」ものが多い。「いつか、そのうち良くなるさ」という「ゴールなきマラソン」を走り続けられる人は稀有である。大半は疲弊し、失望し、やがて組織や活動から足が遠のく。
道労連の方針も、まず年間行事があり、中央行動や統一行動の日程が配置される。それに加えて、政府や財界が仕掛けてくる制度改悪などの攻撃に対応する臨時行動を配置していく、という流れになっている。
春闘は、統一要求への到達がはるか遠い水準で終わり、翌年には「リセット」された状態からはじまる。あるべき賃金・労働条件は何か、そこに到達するためのロードマップはどんなものかが見えない。
求心力を高めるには、「こうすれば実現できる」「実現すればこう変わる」という時間軸も含めて計測可能なゴール設定が必要だ。この点でも、COにおける「戦略」づくりの手法はとても優れている。労働組合の方針を、スローガンから計画書・設計図に転換していくことが必要だ。
活動家を増やすことで時間と距離を縮める
労組や労働運動の一時代をつくり出してきた先輩活動家が定年退職によって相次いで職場を去るなか、活動の質と量の低下が顕著になっていった。「働きやすい環境」をたたかいによって積み上げてきた人たちと、「誰かが積みあげてくれた状態」がスタートラインになる人たちでは、勝ち取った成果への評価や動機・熱量にも大きな差が生じるのは当然である。
支部や分会だけでは対応できず、「本部がいないと困る」という依存・請負型の活動がより強まった。結果的に組織減は緩やかになったが、活動家を育成する機会や芽を自らつむことになった。
さらに、北海道という地域性がハードルとなる。片道2時間のオルグなどは近い方である。中核都市で拠点組織が多く存在する釧路、函館などは札幌から片道4~5時間はかかる。労働相談も簡単ではない。時間的にも、財政的にも「気軽にオルグ」できる条件にはないからだ。一部の本部役員だけでオルグし、運動と組織を前進させることなど不可能だ。ここが他県とは大きく異なっている。時間の流れや物理的距離を変えることはできない。だからこそ、活動家を計画的・継続的に増やしていくためのトレーニングが必須である。活動家を増やすことが時間と距離を縮める最善の方策だからだ。
トレーニングで実演できるレベルまで引き上げる
それまでにもトレーニングの必要性を感じてはいたものの、道労連でも具体的な内容はまったく手付かずのままだった。オルグ講座などを通じて、労組の日常活動や模擬団体などのプログラムは構想し、一部実践もしいた。「オルガナイザー育成」という点に関しては組織化の実例や組織化を手掛けている活動家の教訓を聞くという程度に終わっていた。「いい話を聞けた」で終わってしまい、次につながらないのは当然だった。
どの労組役員に聞いても「対話が重要」と異口同音に発する。しかし、その対話の「実演」を見せることができた役員は一人もいなかった。「実際に経験して覚える」というのみである。よく言えば職人芸かもしれないが、単なる「無策」だ。一部、対話マニュアル的なものはあっても、実際のトレーニング・プログラムは皆無だった。コーチできる人もいない。COは、これら長年の課題を解決できる具体策である。
労働組合の活動家として、理論的水準や見識を高めるための学習は大切だ。系統的に行うことが必要だ。その需要は高まっていることも誤解なきよう付言しておく。その役割の主体として、それぞれの産業別労働組合が「責任」と「計画」をもって、次世代の活動家・役員を育成することを重視すべきだ。いつまでに、どの水準の役員・活動家が、どの職場・地域に何人必要なのか、という具体的な方針を持つべきだ。そのためのプログラムやワークの場は、ローカルセンターが担うべきだ。
コロナ禍でいっそう実感したコミュニティ・オーガナイジングの力
コロナ禍では要求を掲げることまで萎縮・自粛してしまう傾向があるなか、自分たちの組織内だけをみると、労働組合の活動・力によって賃下げや解雇など合理化を何とか押しとどめてきた。職場内で労働組合の役割を発揮し、奮闘してきた成果だ。
しかし、ひとたび地域を見回せば、雇用と生活の状況はひっ迫している。組合員の労働条件だけを守ればいいのだろうか。組合員がいる職場のことだけ取り組めばいいのだろうか。「崖っぷち」に立つ労働者、困難に直面している労働者へ、労働組合は何を呼びかけ、どんな運動を呼びかけるのか。存在意義が問われていた。企業内労組の弊害が顕著になっていた。そんな状況下で、あきらめムードを払しょくして「声をあげる機会と場所」をつくり、共感を大きく広げた2つのキャンペーンを紹介したい。
#子育て緊急事態アクション
1つ目は、「#子育て緊急事態アクション」
休業助成金を本当は受け取れるはずなのに受け取れていない子どもの親」「仕事を休みたいが休めない親」に向けて、安心して子どもを育てながら働き続けられる社会にしたいとう価値観を共有しつつ、小学校休業等対応助成金が個人申請できるようにする(戦略的ゴール)というキャンペーンだ。実際、このゴールを達成した。
いくつもあるポイントの中で、
①マスコミに対して顔も名前も出して訴えるという恐怖や不安を乗り越えて、自らの思いと経験、そして希望を語ることで子育てしながら働きたい、子どもが大事などの思いを多数の人と共有し、惹きつけ、パワーに変えたこと。
②すでに声をあげていた岐阜など他県のメンバーとつながりや、保守層も含めた議員への当事者によるダイレクトアクションなどによってパワーを広げたこと。
③COの手法を全面的に使ってキャンペーンを組み立て、「NPO法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン」(以下、略称COJと記述)から実践伴走コーチングを受けたこと。
この3点はとくに大きな要素ではないかと思う。
#100日後に一揆する看護師
2つ目は、「#100日後に一揆する看護師」
医療崩壊が現実のものとなり、日増しに現場での緊張や不安、疲弊は強まっていた。現場の看護師が直面していた困難のひとつに、これまでしてきたあたりまえの看護(患者・家族との接し方など)ができず、食事中の会話は「厳禁」とされコミュニケーションが取れずに「1人だけでやっている感」に押しつぶされそうになっていた。コロナを受け入れているかどうかにかかわらず、多くの看護師に共通するこの問題を解決するため、PCR検査を拡充して医療従事者、患者、家族が症状の有無に関わらず気軽に検査を受けられる事、その費用を公費で賄う事をゴールに設定したキャンペーンである。
ゴールを達成することはできなかったものの、キャンペーンを通じて大きな収穫があった。
これまたたくさんあるなかで3つに絞ると、
①当初はPCR検査の是非を問う声も少なからずあったが、なぜPCR検査が必要かを問うことで、本来の「あるべき看護」という大ゴール(産業別労働組合として最も重要なポイント)への理解と共感が広がった。
②動員型から自発型へ。従来の医労連の運動は「大きい組織」頼みだったが、今回の運動組織の大きさに関係なく、さらに非組合員にも活動が広がった。
③医労連の社会的信頼が高まった。Twitterのフォロワーは3倍になり、看護協会は「無視できない存在」として会長が懇談。これまでの記者会見は「専従者が代弁」してたいたが、現場の看護師が直接訴えることでメディアの注目・信頼も一気に高まった。
などの大きな変化が生まれている。
労働運動の未来は、私たちの選択にかかっている
どちらのCOキャンペーンも、①労組の横断的な役割と機能の発展、社会的な影響力の向上、活動家の発掘と育成という3つすべてが連動するものになっている。②業界の構造的課題や社会的な仕組みを、どうすれば変えていけるのか、実践を通じて見える化できる。③一部の役員・専従者中心の運動から当事者が名実ともに中心となり、なおかつそのキャンペーンを通じて新しいリーダーが増えていく。という点が共通している。
同時に、従来型の取り組みの限界と課題も見えてきた。「①事務局とお客さんという関係にならないよう組織内でのプレゼンとコーチングの文化を増やす。②おおまなか概要を確認した後は一定の権限・裁量をキャンペーンの実働チームに付与する。③COの手法・用語が共通化されるよう組織的な普及・活用を広げる。④役員かどうかなど肩書に関係なくチャレンジできる環境・条件を保障する。⑤産別の横断的機能と役割について、産別内での提起・議論をすすめる。」ことで、組織も要求も「計画的」に前進させることができる労働運動に転換する展望が見えてくる。
全労連としては、次期大会でCOの活用を明確に位置づけるとともに、ワークショップやキャンペーン実践に必要な予算化をすべきだ。ワークショップの料金や丸2日間という日程だけに着目して、「高い」「長い」などの意見も散見されるが、傾聴に値しない。労働組合として最も大切な活動家育成について、「早く、安く、簡単に」は馴染まないし、ありあえない。全労連が真っ向から批判してきたこの新自由主義的な発想に、その労組役員自身が毒されている証左だからだ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」-
これまでの経験則に固執して変化を忌避し沈みゆく泥舟と化すのか。失敗の中から課題と教訓を抉り出しCOなどを貪欲に取り込んで組織変革に挑戦するのか。労働運動の未来は、私たちの選択にかかっている。
筆者:北海道労働組合総連合 事務局長 出口 憲次
(※本稿は、月刊全労連2021年8月号の原稿に加筆したものです)
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