川村雅則「「軽井沢スキーバス転落事故」の背景にある規制の脆弱性と労働問題」『Posse』第30号(2016年3月号)pp.183-191
『POSSE』第30号(2016年3月号)に掲載された原稿の転載です。お読みください。
本年〔2016年〕一月一五日に発生した軽井沢でのスキーバス転落事故は、その被害の大きさから多くのメディアに取り上げられました。バス運行会社のずさんな経営・管理体制が注目される一方で、一つの会社だけの問題ではなく、事故の背景には運転者の長時間労働など労働環境の問題やバス業界全体が抱えている問題があることも報じられています。本記事ではこれらの問題について、交通・運輸業界の労働問題に詳しい北海学園大学の川村雅則教授にお話をうかがいました。
規制緩和によって悪化する業界の労働条件
──まずは、ここ数年のあいだに立て続けに事故が起こる背景にどのようなバス業界の構造があるか教えていただけますか。
貸切バス業界がいまのような状態になったのは二〇〇〇年の規制緩和による影響が大きいです。
規制緩和をめぐる議論を思い出していただきたいのですが、当時、貸切バス事業に限らず、規制の存在が業界の高コスト体質をもたらしている、新しいサービスの創造を妨げているなどと、とにかく規制を緩和あるいは撤廃しなければならないということが盛んに言われました。それに反対するのは既得権益を守ろうとする守旧派、抵抗勢力であるという論調です。
貸切バスなど自動車運送業の規制とは、具体的には、新規参入や増車に関わる需給調整規制、運賃・料金といった価格の規制があります。これらを緩和することで競争が促進され、業界が活性化すると主張されたのです。
もっとも、やみくもに規制緩和を進めることで新規参入が相次ぎ、価格が下がれば安全性が損なわれるといった批判が反対派から出されました。しかし推進派はそれに対しても、交通業界にとって安全性は重要なサービスなのだから、悪質な業者やさまざまな問題行為は、消費者が選択しなくなることで市場から自然と駆逐されていくだろうと楽観的な評価をしていました。なかには、規制の存在によって発生している経済的なコストと、規制緩和をすることによって生じる事故などの犠牲のコストを比較して、後者よりも前者が大きいのであれば、規制緩和を大胆に進めるべきであるといった主張もなされました。これは、便宜上おこなっている人命の価値の計測が実際に可能であるかのような乱暴な議論だったと思います。
図表1 貸切バス事業・輸送状況の推移
出所:日本バス協会『2014 年版日本のバス事業』より作成。
さて、規制緩和後の貸切バス業界の状況ですが、新規参入で供給量は非常に増大しましたが、その一方で貸切バスに対する需要はそれほどには増えませんでした。そのため、運賃を切り下げて互いに仕事を取り合うような状況が発生します(図表1)。貸切バス業者に仕事を発注する旅行業者優位の体制が強化され、そのことがまた運賃競争に拍車をかけました。
運送業界における競争は、運賃の切り下げ競争に向かいやすく、新規サービスの創出で利用者を獲得するという方向にはなかなか結びつきません。結果、運送事業者は経営体力を失い、人件費を切り下げたり、車両をできるだけ長く使用することで対応しています。車両の老朽化にともなう輸送事故発生の背景にはこうした構造があります。
しかも、規制緩和の後に参入してきたのは基本的に小零細規模の事業者でした。利益を上げて事業規模を拡大していくというよりも、経営陣自らハンドルを握って現場に出ているような、生業としての側面が強い事業者の割合が拡大したのです。そうした事業者の増加と、互いにコストを切り下げて仕事を奪い合う競争の激化が並行して生じることになったのです。
事故が起きてから事後的に規制が強化されてきた
ところで、バスには乗合バスと貸切バスがあります。この間、問題になっているのは貸切バス事業における高速ツアーバスです。 高速の乗合バスは、私たちが普段利用しているバス同様、停留所(バス停)を設けて、乗客がいなくても毎日定期的に運行をしなければなりません。経費がかかりますので、担い手は経営体力のある大手の事業者となります。運行責任の所在も明確です。
それに対して貸切バス事業であるツアーバスは、二地点間を移動するという点では乗合バスと同じですが、こちらは旅行業者が客を募集して運行をバス事業者に委託するというかたちをとります。その点で運行責任の所在があいまいとなりがちです。また、停留所を設ける必要はなく、乗合バスと異なり、定期的な運行が義務づけられているわけでもありません。価格を抑えることができ、競争力があるため、ツアーバス事業はかなり伸びていました。
しかし、二〇〇七年に大阪の吹田でスキーツアーバスの事故が発生し、そのころから政府のなかでもツアーバス事業の問題点が認識されつつありました。とはいえそれは、規制緩和という政策を見直さなければならないという議論に発展することはなく、二〇一二年の関越道のバス事故が発生することになります。その事故以前に、総務省が行政評価の一環として、業界の実態を調べたうえで、ツアーバス問題に適切に対応するよう勧告(「貸切バスの安全確保対策に関する行政評価・監視結果に基づく勧告」)を運輸行政に対して出していました。しかし国交省は、その勧告を十分に受け止めることはなく、特に対策を進めることもありませんでした。そのようななかで関越道のバス事故が起きたため、総務省から指摘されていた点など急遽見直しを図ることとなり、交替要員なしで運転できる距離の引き下げ、安全を考慮した運賃制度などが実現しました。
また、高速乗合バスと高速ツアーバスとの間の競争条件の差異が問題視され、両者は新高速乗合バスという事業形態に一本化されました。以前にはほとんど規制がないに等しかったツアーバスは、それによって、旅行業者の安全管理責任が強化されるなど一定の規制がかけられることになります。しかし、その規制の実効性が乏しかったため、今回の事故が起こることになった、というのが一連の経緯です。
事後規制強化の限界
──規制が強化されてきたにもかかわらず、今回、再び事故が起きてしまいました。その規制の実効性について、詳しくうかがいたいと思います。
今回のバス事故についての当初の報道によれば、運行指示書に記載がなかったり、当初予定されていなかったルートを会社に連絡もせずに走行していたり、あるいは、会社が健康診断をおこなっていなかったりなどさまざまな問題が明るみに出て、バス会社に非難が集中しました。事故を起こした運転者に大型車両の運転経験が乏しかった、にもかかわらず、十分な訓練を積ませずにハンドルを握らせたという事実も明らかになりました。バス会社の責任は重大です。
しかしその一方で、第一に、このような問題を抱えた事業者が、なぜ業界に参入できたのか、また事故を起こすまで営業を続けることがなぜできていたのかを問わなければなりません。
規制緩和の推進論者は、規制緩和をしても事後規制を強化すれば問題ないと主張してきました。この事後規制とは、自動車運送業の場合には、行政による監査と処分を意味しています。けれども、実際の監査体制をみてみると、トラック、バス、タクシー(個人タクシーを含む)で合計一二万を超える事業者に対して、監査にあたる職員数は報道によれば三六五人だそうです。トラック業界に関しては、トラック協会が指定され個々の運送事業者を巡回して違法行為など指導する適正化事業というものがありますので、その分は差し引く必要があります。しかし、それにしても、大きな事故が起きるたびに事後チェック体制の強化が喧伝されていたのに対して、いまなお職員数は圧倒的に少ない。
あわせて、現行の監査や行政処分が、問題の是正を運送業者に迫るものでは必ずしもないことも、指摘しておきたいと思います。
今回事故を起こしたバス会社には、二〇一五年二月に監査が入っています。監査の結果、健康診断を実施していないことなどが発覚し、事故の二日前に車両一台二〇日間の使用停止という処分が与えられました。処分まで一年近くも要しているうえに、バス会社に問題を是正させ事故を防ぐには至らなかった。いや、そもそも、今回の事故を受けておこなわれた特別監査の結果では、数々の問題が明らかになっている。言い換えれば、以前の監査では多くの問題点が見過ごされていたことになるのではないでしょうか。
しかも、事後規制というのは、あくまでも事故が発生してから、つまり犠牲が生じてからその事業者に業界からの退出を促すということなので(しかも実際に退出させたケースはわずかです)、事故を予防するという観点からすれば問題含みです。このように、事後規制に焦点を当てたいまの議論はさまざまな問題点を孕んでいます。
ところで、行政のあり方に加えて第二に、発注者である旅行業者の責任が問われる必要もあります。関越道のバス事故の後、安全を確保するうえで新たな運賃・料金制度が設けられ、法定基準として下限額も設定されました。ところが今回の事故では、下限額である約二六万四〇〇〇円を下回る約一九万円で契約がなされていた。しかも、こうした下限割れ運賃で契約を結んでいたからといって、そのことだけをもって、旅行業者を法的に処分することはできないそうです。さらに、見かけ上は運賃が適正に支払われていたとしても、旅行業者側から手数料というかたちで法外なキックバックを要求されることもあるなど、実効性が担保されていない。
今回のように大きな事故が起こると一時的に議論が盛り上がりますが、次第に忘れられていき、結局同じような事態が繰り返されている。国交省など行政機関の姿勢を問うていくことは大事ですが、そもそも立法府の方で規制緩和を見直す方向性を打ち出さないと、行政がそのための職員を増やすなどの対策をとることは難しい。広い意味の政治、つまり立法府と行政府の両方の責任が問われていると思います。
ちなみに、今回の事故後に、安全対策委員会が設けられ、事業参入時の規制を厳しくするという案が出されているようです。また国交省がおこなっている監査業務の一部を民間団体に委託するという話も出されています。もっとも、トラック業界の適正化事業もそうですが、民間団体にどれだけの権限や強制力が与えられるのか。そのことも含め、事後規制の強化そのものに過大な評価はできない、やはり、事業参入時といった「入り口」部分での規制や運賃規制の強化が必要だと思います。
労働時間規制の不在が招く事故リスクの増加
──今回の事件でも長時間労働が問題の一つになっていますが、バス業界における労働時間の規制はどのようになっているのでしょうか。
まず日本では三六協定さえ結べばいくらでも時間外労働をさせることができてしまいます。時間外労働に関する厚労省のガイドラインがありますが、自動車の運転業務はそもそも適用除外になっていますし、ほかの産業でもほとんど守られていないでしょう。
それで安全を守れるのかと思われるでしょうが、代わりに、バスなど自動車運送業界には、運転者の労働時間など労働条件の向上を目的に厚労省が設けた、「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」、通称、「改善基準告示」というものが適用されます。改善基準告示は、拘束時間や、勤務と勤務のあいだの時間である休息期間、連続運転時間、休日出勤などを規制しています。
もっとも、規制しているといってもその水準は極めて低く、たとえば、一日の拘束時間は最長一六時間、一週間では七一・五時間まで延長可能です。この拘束時間を労働時間として考えると、過労死の認定基準として用いられる「月八〇時間(以上)の時間外労働」をゆうに超えています。あるいは、休息期間は、八時間確保していれば良いとされています。そのため、会社は、労働者が夜の一二時に仕事を終えても翌日の朝八時に出社させることができます。昼夜逆転の業務であってもそのことに配慮する必要性はないので、朝の八時に仕事を終えた場合には夕方の一六時に出社させることもできます。乗合でも貸切でも、バス運転者からの聞き取りでは、とにかく睡眠時間の確保が難しいことが訴えられます。
図表2 自動車運送業における週あたり労働時間数
出所:総務省「労働力調査2015 年」より作成。
図表3 自動車運送業及び運転労働者の過労死(脳・心臓疾患)請求及び支給決定件数
注:中段は業種、下段は職種。
出所:厚生労働省「2014 年度過労死等の労災補償状況」(2015 年6 月25 日発表)より作成。
図表4 重大事故のうち、運転者の健康状態に起因する事案等の発生状況
注1:2002 年に事故件数が急増しているのは、報告規則の改正による。
注2:「乗合」と「貸切等」で分けたバスの事故件数の発表は2009 年から。
注3:全体は、「バス」のほか「トラック」と「ハイ・タク」で構成(後二者は省略)。
出所:国土交通省自動車交通局「自動車運送事業用自動車事故統計年報」各年版より作成。
バス運転者の長時間労働は実際、かなり広がっています(図表2)。図表を見ると「週六〇時間以上」の割合、つまり過労死認定基準に匹敵する時間以上に働く者が、「道路旅客運送業(バス・ハイタク)」では就業者全体の二割を超えています。
長時間労働を背景とした、バス運転者の健康状態の悪化も深刻です。バスなど運転労働者(とりわけトラック)は、過労死の発生(労災申請、認定)件数が最も多い職種なのです(図表3)。また、高齢化も影響し、運転者の健康状態を起因とする事故が増加を続けています(図表4)。
長時間労働を規制するためにも適正な賃金の設定を
改善基準告示の水準は低すぎると言いましたが、厚労省の調査では、これすらも守られていないことが分かっています(図表5)。しかも改善基準告示を守らなかったからといって、そのことだけをもって処分されるわけでもありません。
図表5 バス事業における改善基準告示の違反事業場数及び主な違反事項
出所:厚生労働省「自動車運転者を使用する事業場に対する2014 年の監督指導、送検の状況」(2015 年12 月25 日発表)より作成。
以上のように、働き方に関する規制、広い意味での社会的規制が弱いわけです。仮にこの社会的規制が適切な水準で、かつ、強固に設定されていれば、経済的規制を緩和した際の事業者間競争の一定の歯止めになります。
たとえばもし人間らしい生活を営むうえで適切な労働時間規制が設定されていて、かつ、それが遵守されなかった場合にはバス業者や旅行業者が処分されるという制度設計になっていれば、それを守るのに必要な運賃が収受され、無理な運行も防ぎうることになるでしょう。いわば労働分野の規制が、旅行業者とバス事業者との間の運賃水準や契約内容を規制するわけです。逆にいえば、労働規制がしっかり機能していないなかで、経済的な規制を緩和すると、野放図な運賃競争や安全性を無視した仕事の受発注がおこなわれてしまうことになるのです。
また、バスなど自動車運送業界の給与体系は運行本数や運行距離・運転時間といった歩合制のウェイトが大きく、そのため、固定部分の収入の少なさを補うためにより多く働かなければならない労働者側の事情や、そもそも会社から残業を指示されたときに断ることが難しいという職場の権力関係によって、労働時間が長くなる傾向があります。熊沢誠先生の言う強制性と自発性がないまぜになった状態で労働者側が仕事を引き受けてしまうという構図がそこにはあります。
そのため、労働時間規制の議論をすると、規制が強化されると収入が少なくなって困るという労働者の意見が必ず出てきます。つまり、労働時間の規制は、フルタイムで残業なしで働いてそれで生活していけるといった、適正な賃金水準の実現とセットで進めなければ、むしろ労働者からの反発を買いかねない。
また議論の際には、仕事内容を基準とした職務給的な発想が必要です。バスなどの大型車両の運転は高度な技術が求められ、肉体的にも精神的にも労働負荷が高いものです。そのことを考慮すれば、バスの運転労働に対する賃金水準は高くてしかるべきです。
まとめると、生活できる水準までの底上げを急ぎつつ、職務分析に基づく賃金の基準を業界労使で作っていくことが必要です。そしてそれをベースにして、運賃の基準を設定していくという下からの積み上げの発想が求められている。
その際、公契約条例の制定運動は参考になると思います。この条例は、公共サービスで働く民間労働者の賃金や労働環境の悪化は、自治体からの発注価格があまりにも低すぎることに起因しているという視点から出発し、働き方や賃金をベースに、自治体と民間事業者とのあいだで結ばれる公契約の適正化を図るものです。貸切バス業界においても、このようなイメージで、労使の共同で、発注条件を規制・適正化していくことが必要です。
法制度による規制だけではなく、労使による規制の観点を
―─バス業界の現状はどのようにして変えていくことができるとお考えですか。
現在のような過当競争を防ぐためには、二重の規制が必要です。一つは法律や制度による規制の強化です。具体的には運送事業に関する規制や、改善基準告示、三六協定など労働分野・労働時間に関する法制度的な規制です。
もう一つは、労働組合による規制です。業界は競争が激化しているとはいえ、大手バス会社には労働組合があって、たとえば運行距離や時間外労働などに一定の規制がかけられています。そのような、労使間で築かれた規制をベースにして業界の「標準」を作っていく。
同心円をイメージしていただきたいのですが、中心に、組合規制が存在する大手のバス会社で働く人たちが存在して、その外側には、労働組合を持たない中規模あるいは小零細規模の事業者で働く人たちが存在する。いや、中心のすぐ外側には、もしかしたら、労働組合のある職場なのだけれども組合規制からはじかれている非正規雇用の運転者もいるかもしれない。こうした状況で、働き方や賃金に関する規制を中心部から外側に広げていくという、社会運動的な労働組合運動が必要だと思います。自社だけでなく業界全体に働き方の規制を拡大していかないと、競争が苛烈になっていくなかで自分たちの足下もいつか切り崩されてしまうことに、大手の労働組合は気づく必要がある。
規制緩和という政策、法制度の欠陥はもちろん是正される必要があるのですが、他方で、労働組合による規制がまったく話題にならないのは遺憾なところです。
―─日本では、今回の事故のような問題が起こった際に、労使関係をしっかりと形成して、そこで社会的な規制やルールを作っていくということが、取り組みとしても視点としても抜けたまま、すぐに法制度の問題として捉えてられてしまいがちです。それゆえに対策の実効性が乏しくなってしまうという状況があると思います。
安全が最優先で求められる交通運輸産業、とりわけ運転者の状態が即事故につながりかねない自動車運送業の場合は、法制度による規制の必要性はいくら強調してもしすぎることはありません。それを次々に緩和してきたことの問題性が問われなければならない。
しかし、現状では、法制度規制だけに注目が集まり、労使による規制の視点が抜け落ちてしまっている。業界の労使団体が働き方や賃金の標準を作っていき、さらにそれを運賃の適正化など業界秩序の確立につなげていくという道にも光があてられるべきでしょう。実際、職場や業界における労働組合規制の追求なくして、法制度による規制強化だけが進むことはないでしょう。
今後、人口減で運転労働者の不足に拍車がかかるなかで、業界の賃金・労働条件の整備は急がれる課題であり、そこで労働組合が果たす役割はとても大きいと思います。
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