中澤秀一「最賃闘争について考える──春闘バージョンアップとの関連で」

中澤秀一(2023)「最賃闘争について考える──春闘バージョンアップとの関連で」『学習の友』第835号(2023年3月号)pp.13-18

 

学習の友社が発行する『学習の友』第835号(2023年3月号)に掲載された中澤秀一さん(静岡県立大学短期大学部)による論文の転載です。どうぞお読みください。

 

 

〇はじめに

2015年に全国各地で実施してきた最低生計費試算調査は、最新の結果を公表する岐阜県で27都道府県に到達する。それらの調査結果をふまえて最低賃金制度の問題点を学術的に指摘する一方で、筆者なりに最賃の引き上げの運動にも関わってきた。本稿では、物価高騰下における貧困の実態、そして最賃をめぐる学問的および政治情勢などもふまえて、現局面における最賃闘争の方向性について論じてみたい。

 

○貧困の実態

2018年の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は 127 万円となっており、これを下回ると「貧困」(=相対的貧困)となる。ちなみに、相対的貧困率は15.4%であり、およそ6.5人に1人が貧困状態にある。さらに、勤労世代(20~64歳)の単独世帯に注目してみると、その貧困率は、男性で19.8%、女性で24.5%である(資料:2021年3月公表「相対的貧困率の動向」東京都立大学子ども・若者貧困研究センター)。

現在の最低賃金は全国加重平均額で961円であるが、フルタイムで働いたとして得られる賃金は15万円程度、年収で約180万円である。ここから税金や社会保険料を差し引いた、いわゆる“手取り”の金額は貧困線を下回ることになる。つまり、現在の最賃では働いても貧困=ワーキングプアに陥ってしまうのである。最賃はそのような低水準にあるにもかかわらず、2021年後半から始まった物価高騰がさらに生活を直撃している。2022年12月の消費者物価指数は前年同月より4.0%上昇し(生鮮食品の除く)、第2次オイルショック以来41年ぶりの高水準となっている。ただし、41年前の賃上げの水準は物価上昇を上回っていた。ご承知のように、22年には最賃は3.3%しか引き上げられていない。物価上昇にも見合わない最賃をこのままにしておいてよいのだろうか。

 

○最賃をめぐる学問的な情勢

これまでの経済学における通説は、最低賃金を引き上げれば雇用に悪影響を与えるというものであった。ところが、近年になって反対の結論を呈する研究が注目を集めている。2022年の経済財政諮問会議には、内閣府経済社会総合研究所の調査報告書「最低賃金引上げの中小企業の従業員数・付加価値額・労働生産性への影響に関する分析」が提示された。同報告書では、近年の最賃引き上げが中小企業の雇用、付加価値額、労働生産性に与える影響について、地域別・業種別パネルデータを活用した分析を行っており、最賃水準が中高位の地域では最賃引き上げによる雇用の増減は確認されなかった一方で、最も低い区分(最賃Dランク)の地域では雇用が有意に増加しているという結論が導き出されている。また、同会議には、2021年にスウェーデン王立銀行経済学賞(通称:ノーベル経済学賞)を受賞したデヴィッド・カードらによる最賃に関する有名な研究も紹介されており、これまでの経済学における通説は、転換の時期にあると言ってよいだろう。

 

〇最賃1500円の経済波及効果

時給1500円未満の労働者数と労働時間から、年間の賃金増加額と家計消費支出の増加額を算出して経済波及効果を試算する試みが各地で行われている。愛労連や福岡県労連などで試算が行われているが、それらを参考にして静岡県労働研究所・静岡県評パート臨時労組連絡会でも、2021年に静岡県における最賃引き上げの経済波及効果の試算結果を公表している。なお、これは2021年9月時点における試算であり、当時の静岡県の最賃額は885円であった。

最賃が1500円引き上げられることにより、静岡県内における生産誘発額は3200億円、県内で新たに創出される雇用は2万5千人と試算されている。また、静岡県から全国への経済波及効果として生産誘発額は7100億円に達し、国と地方の税収は370億円増えるとの試算もされている。この試算は静岡県のみを対象としており、全国一律で最低賃金が1500円に引き上がれば、さらに大きな経済効果と経済の好循環が生み出されることを意味する。地域経済にとっても最賃引き上げはプラスに働くとのエビデンスが示された。

 

〇政治でも最賃が重要課題に

最賃がマイナーな政治課題であったのは、もはや過去の話である。いまや国政選挙のたびに最賃改革が重要な公約として掲げられており、政治課題として取り上げざるを得ないのである。2019年に自民党に「最低賃金一元化推進議員連盟」(最賃議連)が発足したのはその象徴である。同議連会長の衛藤征士郎衆院議員(大分県)は、議連発足に際して、「デフレを完全に脱却し、消費税率引き上げを乗り切るためにも賃金の上昇が必要だ」とし、日本が直面している「労働、経済および社会上の課題を乗り切るために」議連を発足させたと述べている。これには、地域間格差を拡げている最賃制度の改善を求める声が地方で強くなっていることが背景にある。全国知事会では、2017年に全国知事会男女共同参画プロジェクトチーム「平成30年度施策等に対する提言」のなかで、「地域間格差につながっているランク制度の見直しを図りながら、最低賃金を引き上げるとともに、これによって影響を受ける中小・小規模事業者への支援の強化」と政府へ最賃改革を要求しているほか、2018年の「女性の活躍~ウーマノミクス~加速で地方創生・日本再生」では、初めて「全国一律の最低賃金制度」に言及している。

ちなみに筆者は、2019年4月に全労連黒澤幸一事務局長(当時は事務局次長)らと共に最賃議連の会合に招聘され、最低生計費試算調査の結果を中心に最賃制度の諸問題についてのレクチャーを行っている。出席した議員からは、「最低生計費試算調査は科学的であり、説得力がある」「コンビニで働く労働者の時給や、医療・福祉分野の労働者の賃金などの格差は、合理的に説明することは困難ではないか」等の賛同が得られた。政治を動かすうえでエビデンスは重要である。

2022年11月には、全労連が主催し、自民党、立憲民主党、国民民主党、共産党の担当者を招いて最賃集会が開催された。各党の最賃政策が論じられたのであるが、なんと4党とも全国一律化については意見が一致していた。もちろん、すべての政党が一枚岩というわけではなく、とくに自民党内には反対派もいるとのことであった。それでも、最賃改革が党派を超えて普遍的な政治課題になっていることを改めて印象付けた集会であった。

 

○全国一律最賃1500円の意義

人口の減少や集中の問題に対して、政治はどんな方策を取ってきたのだろうか。少子化問題は1990年前半から社会問題として認識され始める。第2次安倍政権においては、2015年9月に公表されたアベノミクスの新3本の矢のなかに「夢を紡ぐ子育て支援」が掲げられた。また同時期に、安倍政権が掲げた政策に地方創生がある。地方創生の理念は「まち・ひと・しごと創生」のキーワードによって具体化され、「東京一極集中の是正」、「若い世代の就労・結婚・子育ての希望実現」、「地域の特性に即した課題解決」などが基本的な柱となっていた。しかしながら、少子化問題も東京一極集中も何ら是正・解決されることはなかった。

2021年には日本経済を牽引してきた東京も人口減少に転じ、2022年の出生数は統計を取り始めて以来初めて80万人を割り込んだ。とりわけ、少子化問題に危機感を抱いたのか、岸田政権は出生率を反転させるためにと、“異次元の少子化対策”をぶち上げたが、とうてい根本的な解決策になるとは考えにくい。紙幅の関係でここでは詳しく論じられないが、少子化の原因そのものにコミットしていないからである。なぜ、子どもの数がどんどんと減少し、地方から人口が流出し、日本経済の活力が失われてしまったのか。それは、人を、地方を、大切にしてこなかったからである。そのことの象徴が最賃である。暮らせない最賃、地域間格差を拡げる最賃をさんざん放置しておいて、「夢を紡ぐ子育て支援」も「地方創生」もないのである。もし、本気で人口の減少や集中の問題に取り組もうとするのであれば、真っ先に全国一律最賃1500円を実現させなければならないのである。

 

○春闘と最賃闘争

41年ぶりの歴史的な物価高騰のなかで、23春闘に突入した。労使ともに賃上げに積極的である。しかし、中小企業においては原材料費の高騰で経営を圧迫されており、どこまで賃上げが実現できるかは不透明である。また、非正規労働や「雇用によらない働き方」など、そもそも春闘とは無縁の働き手が増えている。どうやって、働き手全体に賃上げを波及させていくのか、労働運動にとって大きな課題である。

いっぽう、最賃のほうは、コロナ禍に突入した2020年を除いて、2016年以降毎年ほぼ3%ずつ上昇している。昨年10月には最賃は加重平均で31円引き上げられ、最賃近傍の時給で働く人たちは、フルタイムだと月額5000円ほど賃金が上昇している。

このような乖離は、春闘と最賃闘争とがリンクしていない問題が浮き彫りになったものである。春闘での賃上げが最賃引き上げに影響し、最賃引き上げが春闘に影響を及ぼす。このような好循環が実現しなければならない。では、春闘と最賃闘争をリンクさせるためには、どのような展望がありうるのか。まずは1日8時間働けば普通に暮らせる全国一律1500円の最低賃金をベースとして構築する。その上に特定最低賃金(産別最賃)や公契約による条例賃金などを上乗せすることにより、それぞれの仕事の価値に応じた最低基準を設定していく。この設定のためには、企業の枠を超えた社会的な賃金闘争が重要である。たとえば、日本医労連による看護労働や介護労働における特定最賃の新設を求めた運動や、各地で公契約条例の制定を求めた運動などが参考になるだろう。

 

○今後の展望―政治を動かす

最賃制度を変えるという最終決断をおこなうのは、政治である。どうすれば政治を変えられるのか。2021年6月に、北九州市議会は全国一律最低賃金制度の段階的導入を要請する意見書を、賛成多数で採択した。政令指定都市で最賃の全国一律化を求める意見書が採択されるのは異例である。この意見書採択に至るまでの経緯は、まず2020年に連合と全労協の地域労組でつくる北九州共闘センターと、全労連傘下の北九州地区労連とが連携して最賃の大幅引き上げを市議会に陳情をおこなう「共闘」があった。その後、国に最賃の全国一律化を求める意見書の提出を求める陳情につながった。最終的に意見書採択の決め手となったのは、自民党市議が賛同したことである。背景には、最賃をめぐる世論の変化があった。意見書のなかでは、「生計費については、都市部と地方との間で大きな差が無いことが団体の調査によって明らかになっています」と明言されており、これまでの最低生計費調査の結果が一役買っていたのである。簡単なことではないが、粘り強く政治への働きかけを続けていかなければならない。

 

○おわりに

最後に、春闘期における最賃闘争の意義を強調しておきたい。企業別労働組合による個別の賃金交渉はもちろん重要である。今後もストなどで交渉力を高めていくことが期待される。その一方で、社会的な賃金闘争により、最低賃金や“第2の賃金”ともいわれる社会保障などの社会全体にかかわる賃金の引き上げを求めることも重要である。個別の賃金が上がりにくくなっているなかで、産別、地域、全国などの統一闘争に結集していくことにより、相乗効果が発揮されていくのだ。

 

 

 

 

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