小松康則「「仕方ない」から「あきらめない」へ―コミュニティ・オーガナイジングの導入で当事者目線の元気な活動を」

日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)発行『KOKKO(こっこう』第48号(2022年8月号)に掲載された、小松康則さん(大阪府関係職員労働組合(大阪府職労)執行委員長)の原稿の転載です。労働組合活動を元気にする上でのヒントが盛りだくさんです。どうぞお読みください。

 

※この原稿は、2022年 4 月22日に開催した「これからの国公労働運動を考える全国会議」での講演から構成したものです。 (文責=編集部)

 

はじめに

大阪府職労で執行委員長をしています小松康則と申します。ぜひ、こまっちゃんと呼んでください。

本日はお話をする機会をいただき、ありがとうございます。私自身、青年部も含めて、長く労働組合の役員を続けてきましたが、トップダウンのような形で勢いや力技で乗り切ってきた感もありますし、仕方ない、こんなもんだとあきらめそうになってしまっていたこともありました。

でも、あきらめずに、どうやったらもっと組合活動を活性化できるのか?次の世代につなげていけるのか? と考えていたときに、コミュニティ・オーガナイジングというものに出会いました。このコミュニティ・オーガナイジングとの出会いから、どんなことをやってきたのかということを、お話ししたいと思います。

 

「仕方ない」と思っていた子どもの頃

初めに、私がなぜ、労働組合役員を続けてきたのか、自己紹介させていただきます。

私は子どもの頃から太っていて、運動が苦手でした。野球が大好きな父は、子ども会のソフトボールチームの監督をしていました。運動神経のいい弟はソフトボールも上手で、うちの玄関には水色のユニホームを着て満面の笑み でトロフィーを持って立っている弟の写真が絵皿になって飾られていました。そして、休みの日になると、水色のピチピチのユニホームを着て、家族そろ って小学校のグランドに出かけていました。本当は絵を描いたり、料理をし たりしたかったんですが「行きたくない」とは言えずに、「男の子なんやから 仕方ないな」って思っていました。

高校を卒業して、親に負担をかけたくないし、誰かの役に立てればという気持ちで、大阪府の職員になり、府税事務所に配属されました。泉大津という大阪南部の海辺に面した地域の滞納整理の担当になりました。かつてはタオルや毛布など繊維業で栄えたところで、小さな個人経営の繊維工場がたくさんありました。自分の親より年上の人に向かって「税金を払って」と言うのはとてもしんどくて、これって何かの役に立つのか? そんなことを考えながら海辺の町をトボトボと歩いていました。

そんなとき、労働組合の役員でもあった先輩に「こまっちゃん、わしらの仕事はな、何も税金払わすだけが目的とちゃうで。なんで払われへんのか、その先に何があるのかしっかり聞いていっしょに考えることが大事なんやで」と言われ、はっとしました。心が軽くなった気がしました。

労働組合の活動にも参加するようになり、いろいろな職場で働く仲間と出会い、さまざまな大阪府の仕事を知ることで、自分の仕事にもやりがいを感じるようになりました。

 

おかしいことはおかしいと声を上げ続けたい

20代前半のころ、労働組合の企画で沖縄に行き、アブチラガマという防空壕を訪れました。暑い夏の日でした。草木が生い茂った中にひっそりと入り口があって、ゴツゴツした石に気を取られながら、真っ暗な洞窟を奥へと進んでいきました。なんかジメジメしていて、土の匂いがして、居心地はよくありませんでした。少し広くなった場所で、小柄で優しい雰囲気の漂うガイドさんが、涙を必死に堪えながら私たちに話しかけました。「どうか忘れないでください。ここで死んだ人、殺された人たちは、どんなに悔しくて、どんなに悲しくても、もう声を出すことはできないんです」―私の心に何かが刺さった気がしました。周りの空気に合わせていた自分を恥ずかしく思い、漠然と、何かしなければと、強く感じた気がします。

阪神淡路大震災のときは、青年部のみんなで、ガラスが全て割れた芦屋市役所の別館の一室に泊まり込んで、一晩中、救急車のサイレンが鳴り響く中、炊き出しの準備をして、あちこちの避難所をまわりました。あのとき、一杯の豚汁やぜんざいを手にした人たちから「ありがとう」と言われ、公務員に なり、労働組合と出会って本当によかったと感じました。

私たちの仕事の先には、たくさんの人の命や生活があります。目をそらしてはいけない現実がたくさんあります。やっぱり、おかしいことはおかしいと声を上げ続けたいと思い活動をしています。

 

組合員は大切なお客さま?

その後、青年部役員や支部役員を経て、2010年に府職労の専従の書記長になりました。

大阪府職労は今年で結成76年を迎える老舗の労働組合で1989年以前はほぼ 100%加入でしたし、専従役員もたくさんいました。自治労連においても大阪府内の労組運動においても、中心的な役割を果たしてきて、その責任の重さも感じていました。しかし、1989年の組織分裂以降、33年間、組合員は減り続け、役員は減り続け、今では 3 人の専従役員維持も危うい状況になってしまいました。

ところが上から降りてくる課題に基づく活動量や求められるものはいっこうに減りません。必死に自分とまわりを鼓舞させて踏ん張っていました。

「組合員が主人公」というスローガンを掲げつつも、役員が請け負うのが当たり前になっていました。また財政的な問題も生じていたので、とにかく組合員を増やすことにばかり意識がいっていました。

「労働組合に入っていてもメリットがない」と言って脱退する人も少なからずいて、メリットやお得さを強調してみたり、まるで組合員は大切なお客さまとでも思うような対応をしていました。

 

「聞いてるだけで疲れるわ」

そんな中で2008年に橋下徹大阪府知事が誕生し、2010年には大阪維新の会が誕生し、今では大阪府議会の単独過半数を占める状況になりました。

当時の橋下知事の「大阪府は破産会社だ」という発言や職員の賃金カットなど、数々のパフォーマンスは連日、華々しく報道され、閉塞感の中にあった府民の多くはこれを歓迎し、同時に公務員バッシングも激しくなってきました。

後にも先にも 1 回きりでしたが、知事自らが直接出てきた深夜の団体交渉は数十台のテレビカメラが並ぶ中で行われ、その翌日には、財政再建に取り組む知事と、それに反対する既得権益集団の労働組合という構図が描かれ、組合事務所には府民からの罵声交じりの電話やFAX は途絶えることがありませんでした。

その後の団体交渉でも、若手職員が次々に退職していく現状を踏まえて、私が当局に迫っているシーンが部分的に映像で流されることもありました。 Yahoo !ニュースに取り上げられ、そのコメント欄には、「嫌ならやめろ」「お 前らがいるから大阪はダメになった」といったバッシングの声が並びました。これにはへこみましたし、ものすごい恐怖も感じました。

それでも、負けていられない、みんなを鼓舞しなければという思いを何とか維持し続け、会議ではいつも30分以上も時間をかけて、勢いよく力強く提案や報告をしていました。

ある会議でいつものように報告し終わった瞬間、ベテラン役員の看護師さんが、私にギリギリ聞こえるぐらいの声で「はぁ~聞いてるだけで疲れるわ」って言ったのです。もう、そのときはめちゃくちゃムカついたのですが、その場にいたみんなの表情を見ると、みんな口には出さないけど、同じ思いなのではないかと感じました。

その当時から次世代継承の課題も重くのしかかっていて、何も考えていなかったわけでもなく、役員の若返りや女性の参加を意識したり、「組合員をお客さんにしない」「みんなで考え、話し合い、決める」というスローガンなども打ち出し、さまざまな努力は続けていました。

 

わくわくしたコミュニティ・オーガナイジングとの出会い

そんなときに、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)のワークショップに参加しないかと誘われました。直接、面識があったわけではないのですが、全国各地の労働組合役員で先に受けた人たちから熱烈なお誘いを受けました。その中の一人に国公労連の井上伸さんもいました。

これが2016年のことだったのですが、当時はリアル開催だったので、東京でまる 2 日間、朝 9 時から夜 7 時までのワークショップだし、参加費も4 万5千円だし、往復の交通費や宿泊費も含めると、10万円ぐらいかかりそうだし、何より当時の私はワークショップというものが何かも全くわからなかったし、なんかうさんくさいとも思って、ためらっていました。でも、そこに参加することで、自分の抱えるモヤモヤが解消できるのではないか、そんな思いや期待も少しありました。

ワークショップの参加費などは予算化もしていませんでしたので、当時の大阪府職労の委員長に相談してみました。すると、委員長から「ぜひ、参加してみたら」と言われ、費用については、カンパを集めようと提案がありました。で、ある日の会議でカンパを提案すると、私の出身支部の役員が手を挙げて、「俺はもちろんカンパするけど、こまっちゃんはそこで学んだことを府職労のためにいかすんやから組合でお金出したらええんちゃうか」と言ってくれたんです。その結果、参加費は組合財政で出すことになり、交通費と宿泊費は十分まかなえるカンパがその場で集まりました。

そして、無事に 2 日間のワークショップを終えたのですが、ものすごい新しいスタイルを学んだ気がして、「おーこんなやり方があるんだ」と驚きの連続でした。そして、ストーリーを語って心を動かすことや、戦略を練ってキャンペーンを展開する大切さなどを学ぶことができ、府職労にどう取り入れようかを考えながら、わくわくしながら東京から帰ってきました。

 

一人ひとりの力を引き出す会議

そして、いろいろな実践を始めました。ワークショップを受けて何より強く感じたのは、もっと一人ひとりの力を引き出す運動をしたいということでした。これまでも「組合員が主人公」とか「組合員一人ひとりの力をあわせよう」というスローガンは掲げていたけど、全然できていなかったなと思いました。

最初に取り組んだのは会議のやり方を変えるということでした。これまでの報告メイン、特定の人がたくさん話して、多くの人がほぼ話さずに終わる会議を変えるということでした。どうすれば、みんなが話せる、参加できるようになるのかを考えました。

あるとき、初めて役員になった人に言われたことがあります。「あの会議は とても意見言える雰囲気じゃないですよ。わからない言葉いっばいだし、みんなわかってるのかなと思うと、こんなこと聞いてもいいのかなと思う」と。私自身は、みんな自由に発言していいよ、というつもりでやっていたけど、参加している側はそうは受け取っていなかったのです。

特定の人ばかり話す会議では、その人の意見は反映されるかもしれませんが、黙っている人の意見はまったくわかりません。同意しているから黙っているのかもしれませんが、何が良いと思って同意しているのか。どこに共感しているのか、まったくわからないのです。そして、それでも会議は進み、結局提案されたことがそのまま決まるのであれば、会議に参加する意義も感じられなくなります。

それから大事なのは、誰もが参加しやすい環境づくりです。私自身の反省 も含めて言うと、大阪府職労も会議のあとは必ず飲み会がセットでした。会議中はみんな黙っていて、飲み会になると元気が出てしゃべりまくる、議論が白熱するということもありました。いまはコロナ禍なので、あり得ないと は思いますが、飲み会そのものを否定するつもりはありません。ただ、「会議 と飲み会はセット」を当たり前にしていたのはよくなかったと思います。そ もそも、夜の会議に参加できる人は限られますし、子育て世代はまず難しい。会議後の21時過ぎから始まる飲み会ともなると、ますます参加できる人は限定されることになります。これを常態化していたことは大きな間違いだった と思います。今は、会議はオンライン化し、基本的に土曜日の午前中にして います。回数も可能な範囲で減らしつつ、一定の時間は確保してしっかりみんなで議論できるようにしています。

「聞いてるだけで疲れるわぁ」と言われていた会議が、いまでは「参加していて楽しい」「会議を休みたくない」「自分の意見が反映されていると感じる」という声まで出されるようになりました。

 

最近のある会議の実際

参考までに、最近のある会議のアジェンダ、議題と時間配分を紹介します(図表①参照)。

まず、チェックインから始めます。「いまの気持ち」とか「最近うれしかったこと」など、テーマを決めて、みんなが発言します

そのあとは、これは最近始めたのですが、セレブレーション(お祝い)の時間を取っています。ここでは、前回の会議以降、できたことや運動が進んだこと、がんばったことなどを出し合って、みんなで、そのできたことをお祝いしています。

【図表①】ある会議でのアジェンダ

 

その後はできるだけ短く、経過報告や当面する取り組みを報告。そして今日の会議で何を話したいのかを毎回明確にして、 3 人ずつのグループにわかれて話し合ってもらいます。このときの会議では、 5 ~ 7 月の取り組みは何する?など 5 つのテーマに沿って、それぞれの課題をどう進めるのか話し合ってもらいました。そして、話し合った内容を全体でシェアします。

会議の最後は必ず振り返りの時間を取ります。参加して良かったことや学びや気づいたこと、改善すればもっとよくなる点などを全員から出してもらいます。

このときの会議の振り返りで話された内容を少し紹介すると、「うまくまとめて話すの難しい。○○さんは伝えるべきポイントをしっかり抑えていて勉強になった」「小グループで話をすることで新しいアイデアが浮かんでくる」「元気をもらえる。グループトークの30分はあっという間だった」「他の人と話すことで自分の考えも整理されていく」「自由に気兼ねなく話せる環境が良い」「オンラインは本当に助かる。終わったらすぐ子どもにごはん食べさせられる」「洗濯機を回しながら参加できるの有難い」などでした。

 

オンライン会議で参加率上がり、青年・女性が元気に

いま紹介した声にもありましたが、原則オンラインにした結果、参加率は確実に上がっています。何より青年や女性が元気になって、会議でもどんどん発言をしてくれます。オンラインで 3 人組のグループにわけると、 3 人だけの空間になるので、めちゃくちゃ話しやすくなるそうなんです。

コロナで仕方なくオンラインにしているというところもあると思いますが、大阪府職労では、コロナ前からオンライン化を検討し、部分的に導入してい ました。それは、先ほどからもお話ししているように、いろいろな環境の人 が参加できるようにしたいという思いからです。いちばん会議に参加しづら い条件の人、たとえば仕事が忙しい人や子育てや介護が大変な人、こういう人たちの声こそ、反映させる必要があると思っていました。

コロナ禍もあり、それが一気に進み、原則オンライン化となりました。オンライン環境が難しい人は、組合事務所で 1 人 1 台、パソコンを使って参加できるようにしています。先ほども紹介しましたが、「子どもといる時間を確保できる」「直前まで洗濯が干せる」「子どもが写り込んでもみなさん温かく見守ってもらえるのでありがたい」などの声が寄せられています。

 

学習会なども参加型のワークショップで開催

会議のほかにも、学習会なども基本的にはワークショップ形式での参加型の取り組みにしています。

これまでは、みんな教室スタイルで座って 1 ~ 2 時間講義を聞く、その後、分散会をやって、順番にしゃべって、そこでも長くしゃべる人がいっぱいし ゃべるという形態でした。

今では、みんなでコーヒーを飲んだりおやつを食べながら、席を移動したり、ペアトークやグループトークをしたりしながら、学びと実践演習を交互に進めるというやり方をしています。

こうして少しずついろいろと変えていくにつれ、もっと学びたい、広げたい、もっとスキルを身につけたいという私自身の思いも強くなって、その後もコミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)のワークショップにコーチとして参加し続け、府職労からも参加者を送り出しています。2019年の夏には、京都府職労のみなさんと共催で、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンに委託してのワークショップを大阪で開催し、このときには19人が参加しています。

 

大阪府の保健師・保健所職員増やしてキャンペーン

ここからは、このコロナ禍の中で、コミュニティ・オーガナイジングを使った実践、大阪府の保健師・保健所職員増やしてキャンペーンについてお話しします。

私が大阪府職労の委員長に就任したのは2019年10月でした。10月~翌年 3月の半年は非専従だったので仕事をしていて、まさにコロナとともに専従に入ったという感じでした。

これまでの年間スケジュール的な取り組みをすべて見直さなければならなくなりました。その一方で保健所の仕事が急激にひっ迫し、「 4 月は30連勤した」「残業160時間を超えた」「もう限界だ」との声が届くようになりました。

これまでどおりの運動をやっていたのではダメだ。何とかしなければ、そんな思いが次第に強くなり、保健師、保健所職員 3 人と青年部役員もやっている書記に声をかけて、コミュニティ・オーガナイジングの手法に沿った戦略作りをしました。そして、このとき集まったメンバーが、それぞれの思いを語り合って、コアチームを作り、キャンペーンを進めていくことになりました。初めてのチャレンジで先の見通しもない中、不安もあったので、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンに実践伴走*1 をお願いし、定期的なコーチング*2 も受けることにしました。

 

*1 実践伴走とは、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)が実施している、実際に取り組まれているキャンペーンについてコーチングを行うことです。

*2 コーチングとは、相手に答えを教えるのではなく、質問と言い換えを中心にして課題を明らかにし、その課題をどう解決したいかを相手から引き出すことです。コーチングによって相手の主体性を引き出して、自己効力感を高めていくことができます。

 

力関係を変える戦略が必要

どんな戦略を立てたのか紹介します。

【図表②】

 

私たちが今回のキャンペーンを始める前の力関係は、このスライド(図表②)のように、明らかに知事や部長にパワーが集中していました。そもそも知事や部長には権力がありますし、マスコミや府民の支持・期待も得ています。

しかも、大阪府では、職員基本条例という特殊な条例まで作られて、原則、職員を増やさないというルールまで作られているので、知事や部長は職員は増やしたくないし、外部委託すればなんとかなるとか、大企業とワークシェ アすればいいとか、好き勝手なことを言って、職員にはガマンして黙って働かせようと考えていたわけです。

 

当事者の資源をどう使えば変化を起こせるか

では、この力関係をどうすれば変えられるか。当事者である保健師、保健所職員の持つ資源をどう使えば変化を起こせるかを考えました。

保健師や保健所職員の持っている資源が何かと考えたときに、出てきたのが、仲間のネットワーク、現場のリアルな声、組合の力、団結力などです。加えて、組合員の特技として、漫画を描くのがうまいとか、保健師のスキルがあるなどがあがりました。

それらを使って現場の声を発信し、オンライン署名にも取り組むことで、保健師や保健所職員に、声を上げてもいいんだと思ってもらえるのではないかと考えました。そして、マスコミや府民の支持や期待を、少しでも私たちのほうに傾かせることができるのではないか、そうすれば、これまでの力関係が変えられるのではないかと考えました(図表③)。

【図表③】

 

こうやって力関係を変えることができれば、私たちのめざすまず初めの第一歩のゴールである保健師、保健所職員を 1 人ずつでもいいから増やすということを達成できるのではないかと考えたのです。

【図表④】

 

そんな議論を経てできたのが、このキャンペーンタイムラインです(図表④)。保健師と行政職員をせめて 1 人ずつ増やすというゴールをめざして、結果として115人が参加したオンラインランチタイム集会をキックオフに、LINE グループの作成や保健師の声の発信を通じて、 6 万 4 千のオンライン署名を 集め、労働組合だけでなく、普段から保健所と関係する難病患者団体やアル コール依存症回復支援団体のみなさん、地域の社会福祉団体や若者支援組織 のみなさんの協力も得て、いっしょに声をあげていただき、記者会見も行い、マスコミにも大きく取り上げられました。

 

キャンペーンによってスノーフレークしていく

次に、どんなふうにリーダーシップチームができてスノーフレーク*3 していったのかについてお話します。まず立ち上がったのは、私のほかにコミュニティ・オーガナイジングを学んだ 4 人のメンバーでした(図表⑤)。

*3  スノーフレークとは、雪の結晶のようにリーダー(労働組合における役員等)の育成が広がっていくことを指しています。リーダーシップは、他のリーダーを育成することです。そして、その育成された人がさらに他のリーダーを育成していき、これが続いて雪の結晶のように広がっていくことで、多くの人が参加する運動を作れるスノーフレークリーダーシップのある組織になります。

 

【図表⑤】

【図表⑥】

 

若手の保健師の声も取り入れたいということになって、Aさんが若い保健師に声をかけて、あらたにリーダーシップチームに加わってもらいました。

その後はリーダーシップチームの中での役割分担もして、オンライン署名 促進のためのチームができたり、コロナ前も含めて、普段、保健所がどんな仕事をしているのか知ってもらうための四コマ漫画を作るチームができたり、主に取材対応にあたるチームや記者会見の企画をするチームなどができまし た。裏方的な役割で下支えしてくれるチームなども誕生しました(図表⑥)。

これらのチームには重複して参加している人もいれば、そのチームにだけ所属している人もいます。仕事やプライベートの状況もさまざまで、ただでさえコロナで大変な中なので、時間の制約も人それぞれで、担える役割や関われる時間は、人によって違いますが、リーダーシップチームと同じぐらいの思いでこのキャンペーンに立ち上がっていました。そして、キャンペーンが進むにつれて、それぞれのメンバーがリーダーシップを発揮して、個人の能力もチームの能力も向上していき、ゴールを達成することができました。

 

各保健所に保健師1人増員を達成

そして、昨年の 3 月には残念ながら行政職員の増員は実現しませんでしたが、各保健所に保健師 1 人増員という目標は達成することができました。その後、第 4 波、第 5 波と続き、状況は悪化するばかりだったのですが、現場の保健師や職員からは「声をあげれば現状は変えられる」「声をあげてよかった」「公務員だからとあきらめなくていいんだ」という思いが広がり、各保健所で所属長と交渉したり、申入れをしたりという動きも出てきました。

その声は次第に大きくなっていきました。保健所は36協定の対象職場なので時間外勤務の上限を決めているんですが、コロナは「災害時の臨時の必要性があるんだ」ということで、上限規制がない状態になっているんですね。これでは全く意味ないじゃないか、「災害だから仕方ない」と言って、いつまで働かせるのか、これではほんまに命を落とす事態になりかねない、との声も大きくなっていきました。労働基準監督署に訴えに行きたい、でも、ここは労働組合として、まとまって行きたいという話になり、大阪労働局へ要請することになりました。そして、どうせなら、組合役員だけの取り組みにしたくない。職場のみんなに意義を伝えて、みんなの声を集めて、みんなの思いのつまった行動にしようという話になりました。緊急にとりくんだアンケートには258人が応じ、労働局に伝えるひとことカードは136人から集まりました。保健所職員460人ほどなので、アンケートには 6 割、ひとことカードには 3 割の協力がありました。

そして、当日は役員でない若い保健師さんたちも集まり、 9 人で労働局に要請し、全員が切々と現状を訴えました。労働局の基準監督課長の回答は、労働基準法は民間労働者を前提にしているという冷たいものでしたが、それでも「大阪府が人を増やすなど体制強化する必要がある」「地方公務員の災害時の働き方については総務省を中心に議論されるべきもの」という考え方も示されました。そのあと、記者会見も行い、その様子をツイッターで発信したところ、これが反響があって、3750人の方にリツイートしていただき、インプレッションといってツイッターを見た人の数は99万人に達しました。その後、NHKの日曜討論や国会でも大きく取り上げられました。

そして、今年 3 月には各保健所に保健師が 2 人増員となり、昨年実現できなかった行政職員も 1 人ずつ増員させることができました。 2 年越しにはなりましたが、見事、当初のゴールを達成しました(図表⑦)。

【図表⑦】

 

 

現場の保健師や職員が「仲間を増やしたい」という強い思いに

こうした結果も受けて、うれしい変化は他にもありました。まず、現場の保健師や職員が仲間を増やしたいという思いを強くしたということです。このキャンペーン中の 2 年間で保健所では約30人の組合加入がありました。今
年 3 月に増員とキャンペーンの成果を知らせ、加入を呼びかけるチラシを作成したときには、「今すぐ職場で配りたい」「早く送ってくれ」という声まで寄せられました。

保健師や職員とのLINE ではこんなやりとりもありました。「働きやすい職場にするために組合があること、声を上げたからこそ増員できたこと、○○さんからも組合のある職場とない職場の違いを具体的にお話ししていただき ました! 明日からも少しずつ声をかけて仲間を増やしたいなと思っていま す」「すごく反応がよくて、前向きに考えますと言ってくれました。びっくり したのは、新採さんから『組合員が増えないと要求が実現しにくいですよね』と発言があり、その通りですとお伝えしました」「○○保健所では□□さんが、職場代表を引き受けてくださいました。△△リーダーが全面サポート、相談役をしてくれます」

そして府職労全体でも非常に前向きな変化が生まれています。専従の委員長である私自身が、この保健所の問題にどっぷり足を、足をというか全身丸ごと突っ込んで現場といっしょにキャンペーンをやったことで、労働組合がものすごく身近な存在に感じてもらえたのではないかと感じています。余談になりますが、このキャンペーンをやってみて、現場の保健師さんに「小松さん、いつでも保健師になれますよ」と言われたのが何によりもうれしかったです。

自分で言うのもなんなんですが、かつての大阪府職労の委員長ではあり得ない動きをしていたと思います。

このキャンペーンをはじめ、これまでのさまざまな改革の結果、本部役員になるというハードルがすごく下がったと思います。その結果、昨年10月の役員選挙では、18人のうち女性が10人と 6 割を占め、半数は45歳以下で、同じく半数が小学生以下の子育てをしているという役員体制になりました。おそらく、どれも府職労史上初だと思います。

他には、私たちもキャンペーンがしたいという声もあがり始めていて、青年たちが「孤独な状況に置かれている若手職員をつなぎたい」とキャンペーンの検討も始めています。

そして、この動きは単組内だけでなく、外にも広がりつつあり、京都府や京都市の労働組合が協力して、労働基準法33条の見直しや基準作りを求めるキャンペーンも始めているところです。

 

現場発でスタートし組織が全力でバックアップする理想の運動形態

では、ここからは、この間のさまざまな改革やキャンペーンを実践して、私が得ることができた学びや気づきをみなさんに共有したいと思います。

まず 1 つめは会議のあり方、スタイルです。昔と違って勤務時間内の活動も制約され、仕事も年々多忙化するもとで、限られた時間を有効に使って、より多くの仲間が参加できる、とりわけ当事者が参加できるようにすることが何よりも大事ということに気づきました。

コロナ禍で保健所がひっ迫して、毎日終電に間に合うかどうか、土日も休めないという中で、保健師さんたちとミーティングをするのは容易ではありませんでした。私自身、何度も心が折れそうになりました。 1 週間か10日に1 回は30分でもいいからミーティングしようね、と決めていましたが、感染者が増えたときには、その時間をとってもらうのが本当に心苦しかったです。でも、ミーティングをやってみると、いつも最後の振り返りでは「やってよ かった」「元気が出た」と言ってもらうことができて、続けてこられたと思い ます。

先にも述べましたが、飲み会とセット、飲み会ありきの時間の余裕のある人が中心の活動ではなく、当事者の声が聞ける会議を今後も追求していきたいと思います。

もう一つ、チーム運営で大事だと思ったのは、チームの自主性を尊重し、裁量を与えるということです。今回はチームのメンバーに委員長である私が入っているということもありましたが、組合の機関会議では、キャンペーンをやること、そのキャンペーンに関することはチームで決めたことを組織としてバックアップするという方針を決めて対応していました。チームで決めたことが、機関会議でひっくり返されたり、止まってしまうことがないようにしました。トップダウンで下りてくる上からの指示を優先するのではなくて、やはり、こうしたキャンペーンは現場発でスタートし、それを組織が全力でバックアップするというのが理想の運動形態だと感じています。

 

ツイッターは全労連加盟組織トップのフォロワー数に

もう一つ、今回大きな学びとなったのは、SNS です。今回のキャンペーンでは、忙しい保健師、職員とのつながりはLINEグループでした。深夜、早朝のわずかな時間で保健師や職員のリアルな声を聞いていました。

そして、そのリアルな声の発信に使ったのはツイッターでした。何となく、はやりにのって、だいぶ前に私が大阪府職労のアカウントは作っていたのですが、ほぼ活用していなくて、フォロワー数は600人ぐらいだったと思います。国公労連の井上さんたちにも教えを請いながら、このツイッターを使って、 保健師の声の発信を始めました。いま現在153本の保健師の声を発信しています。これを始めるときは、正直怖かったです。先にも述べましたが、公務員バッシングも受けてきましたし、吉村知事や維新を支持している人もSNS の中にはたくさんいますし、不安や警戒、ためらいもありました。でも、いま、このコロナ禍で、労働組合が現場の声を外に発信できなければ、この先ずっ と公務の仕事が住民に理解されることはないんじゃないか、そんな思いもあって、連日発信をしました。

発信してわかったのは、「現場こそ最強」ということです。現場のリアルな声はものすごい共感を持って広がり、バッシングや攻撃的な反応は、ゼロではありませんが、ほぼありませんでした。600人だったフォロワーもこの 2 年で17倍以上に増えて、いま現在 1 万522人(※2022年 7 月26日現在。全労連加盟組織の中でトップのフォロワー数)になりました。

キャンペーンと連動して現場の声を発信したことで、恐怖や不安が勇気や希望に変わっていくのが実感できました。

具体的にツイッターに寄せられた声を少し紹介します。「府民の一人として、ずっと声を上げ続けておられる府職労に勇気をもらっています」「現場の方が 声を上げてくれなかったら事実が知られないままでした。どうか、その誇り 高い責任を持ち続けて、今後も発信してほしいと思います」「大阪府職労さん のツイートは、現場のありのままを伝え、住民には大変有意義です。だから発信に感謝しています。住民と自治体職員は、連帯し行政を改善させることができるのです。これからも自信を持ってツイートしてください」「過労死ラインを超える長時間労働、府民の命と健康を守るため奮闘するからこそ、かかってしまう大きな惨事ストレス、大阪府職労さんの発信がなかったら、知ることすらできません。事態改善のため、忙しい中、署名を集めたりと、度々府に訴えていたことも知ることができませんでした」

 

現場の仲間と一緒に走る楽しさ

そして、何よりこのキャンペーンをやってきて思うのは、とにかく楽しか ったということです。もちろん、コロナ禍での取り組みなので、つらい現実 も目の前にあって、そのこと自体は楽しいわけではありませんが、キャンペーンそのものは楽しく取り組めました。組合役員を30数年やってきましたが、一番心に残る取り組みになったのではないかと思っています。もちろん、初めてのこともいっぱいでしたし、緊張も不安もありましたけど、それでもこのキャンペーンができてよかったし、何より楽しかったと思っています。

とくに、現場にいる仲間とのつながりが強くなり、広がったことも大きな 財産です。LINE グループも50人近いもの、20数人のものなどいろいろ運用し ているのですが、深夜や早朝に実態が寄せられ、それにコメントを返すと、みんなが反応してくれて、いろいろ意見が出てきます。こうして現場にいる仲間との一体感と広がりを実感しつつ、取り組めました。一人じゃない、現場と結びついてるんだなと感じながら走り続けることができたのです。いま現在は、もっともっと現場と一緒に走り続けたいという意欲が湧いています。

 

一人ひとりの心を動かすストーリーを語る

最後に、 4 つの点について、まとめの代わりにお話ししたいと思います。

まず、 1 つめは「大きな主語」で語るのではなく、一人ひとりに焦点をあてる運動を進めようということです。

労働組合では「私たち労働者は」「私たち公務員は」と大きな主語で語りがちです。これでは聞いている人に響かないし、組合員が「私たちの一員だ」と感じることもできません。

例えば、「コロナ禍で府職員は長時間過密労働を強いられているんだ」と訴えても聞いている人にはあまり響きません。これを、たとえば「○○保健所の保健師の○○さんは、小学生の子どもが 2 人いて、毎日夜遅くまでの残業や土日勤務も強いられて、子どもとかかわる時間が少なくなりました。すると子どもが学校に行けなくなったのです」と語ると、ぐっと共感がわくというか、響き方が違うと思うのです。

情勢を語ることも必要かもしれませんが、その情勢を踏まえて、一人ひとりに焦点をあてた運動が必要だと感じています。

力強さや正しさだけでなく、一人ひとりの心を動かすことが大事です。そのためにも、自分のストーリーを語ることが必要だと思っています。

 

スケジュール闘争からの脱却

次に、スケジュール闘争からの脱却です。これは何もスケジュール闘争をすべて否定するという意図ではありません。私たちも、年 2 回、夏季闘争、秋季年末闘争をやっていますし、それは私たちにとっては、数少ない要求交渉の機会ですから、必要なものです。ただ、そのように毎年繰り返している取り組みについても、一つひとつ、その意義やどんな効果があるのかという ことを点検、検証することが必要だと思っています。ついつい、「毎年やって るんだから」となりがちですが、それをやることで、どんな効果を生み出し、どんなゴールを達成するのか、そのために何をしなければならないのかをし っかり考えなければならないと思っています。

そして、このスケジュール闘争からの脱却に加えて、いますぐに解決が必要な課題に焦点をしぼって、個々に戦略を立てて、キャンペーンを展開する、そして、そのキャンペーンを通じて組織化していく、運動の広がりを作るという視点が大事だと感じています。

 

「仲間を増やしたい」と感じる労働組合運動

もう一つは、「組織拡大」を目的とするのではなく、「仲間を増やしたい」と感じる労働組合運動をしようということです。どこの組合も組織拡大は、重要かつ差し迫った課題だと思います。大阪府職労も同じです。ただ、だからといって、組織拡大をゴールにするのではなく、組合員一人ひとりが仲間を増やしたいと感じる運動をすることが必要だと感じています。今回、保健所のキャンペーンをやって、職場で声をかけたい、組合員増やしたいと感じている組合員は間違いなく増えていると思います。

 

体系的トレーニングや実践伴走が必要

そういう労働組合になるためにも、オンラインの活用で、誰もが気軽に参加できるようにすることや、理論学習だけでなく、体系的なトレーニングや実践伴走コーチングなども必要だと感じています。

そして、これは私自身の反省でもありますが、私が書記長時代にそうだったように、強い鼓舞するリーダーではなくて、共感し勇気と希望を与えられるリーダーになることが求められていると感じています。

最後は、国公労連のみなさんも、私たちも、同じ公務労働者として、お伝えしたいのは、公務員だからこそできること、しなければならないことがあるということです。

私も30数年、公務員として働いてきて思うのは、公務労働者は、憲法の実践者として存在しているということです。「全体の奉仕者」として、社会全体を見渡して、憲法を生活のすみずみに生かすために働かなければならないと感じています。そういう立場で、声をあげられるのは、公務労働組合しかありません。公務現場で何が起きているのか、どんな思いで、どんな仕事をしているのかを発信できるのは、私たちだけです。それが今まで十分に行われていなかったことで、公務員バッシングに負けてしまっていたのではないかと思います。もっともっと、広く発信することで、公務員と市民の距離は必ず近くなり、それは、必ずや社会をよくするための大きな力になると感じています。

そういう運動をつくっていくためにも、大阪府職労もさまざまなことにチャレンジしつつ、国公労連のみなさんとも力を合わせて、ともにがんばっていきたいと思います。

 

[質疑応答]

〈質問〉みんなが話す会議に慣れていない人、その重要性を認識できない人、労働組合の会議はこういうもの!と固定的にとらえている人がいた場 合は、どう対応していますか?

小松 長く続いてきた会議スタイルにみんな慣れていますもんね。でも、そのスタイルの会議も、初めて参加する人はきっと「こういうものなのか」と感じて、いつしかそれに慣れていったのだと思います。会議のやり方を変えると、初めはいつもと違うことに戸惑う人もいるかもしれませんが、少しずつ慣れていくのではないかと思います。固定的に捉えている人も、やっていくうちにその良さに気づくと思います。実際に大阪府職労では、参加者から「初めは慣れなかったけど、少人数で話すことで、どんどん考えが整理されて、アイデアが浮かんでくるようになった」、「以前の会議のやり方よりも、いろ いろな人の意見を聞けるのがとても楽しい」、「自分の意見が運動に反映され ていると実感できる」などの感想が寄せられるようになりました。こういう感想を会議の最後の「振り返り」で共有することで、固定的に捉えている人 たちも、その良さを実感し、みんなが変化しています。

 

〈質問〉小松さんは次世代にどのような引き継ぎをしているのか知りたいです。

小松 この間、いろいろやってきたことも、まだ始めたばかりで、十分な引き継ぎができている状況ではありません。ただ、講演でも述べたように、組合役員になるためのハードルは下げたいと思っています。そして、知識や経験がなくても、その都度、現場の労働者とともに学び、共感し合える人なら誰でも役員になれるようにしたいです。それから、コミュニティ・オーガナイジングのようなトレーニングの機会をできるだけたくさん用意して、たくさんの人に参加してもらえるようにしたいと考えています。

 

〈質問〉小松さんこそ「スーパーマン」ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

小松 「スーパーマン」と評価していただき、ありがとうございます(笑い)。何でも一手にしょい込むスーパーマンにはならないでおこうと思っています。かつての私は逆でした。今は自分の経験や使える時間を最大限に生かして、一人ひとりがもっと参加しやすくなる労働組合活動となるように改革するた めのスーパーマンになりたいと思っています。

 

〈質問〉コミュニティ・オーガナイジングの新たな手法の活用など、旧態依然とした役員の方々には抵抗が大きかったのではないのでしょうか?その方々がどう変わっていったのか? もしくは離れていったのか?知りたいと思いました。

小松 初めてコミュニティ・オーガナイジングのワークショップをやったときは、抵抗感のある人も数人いました。「さぁ、みなさん、立ち上がって近くの人とペアになって!」と呼びかけても、頑として席を立たない人もいました。でも、今ではその人が率先してワークショップを楽しんでいます。その人はオンライン会議にも抵抗感があったのですが、最近では少人数のブレイクアウトセッションで率先して話しています。私自身もそうでしたが、初めは懐疑的になるのも理解できます。でも、実際に仲間の変化を目の当たりにして、その人が実際にやってみて、若い人をはじめ周りの反応なども知っていくと、最初は抵抗感を感じていた人も良さに気づいて変化していくのだと思います。

 

〈質問〉現場の保健師さんらの深夜にくるLINEにも対応していたら、小松さんの休みがなくなるのではないでしょうか?

小松 深夜に来るLINEへの対応は「必ず」ということではなく、可能な範 囲での対応でした。たまたま起きてたら対応してましたし、気づかずに寝ていることもありました。ただ、現場の保健師や職員はとにかく多忙だったの で、朝や帰りの通勤時間帯ぐらいしかLINEできないという状況だったので、私も可能な限り対応していました。私自身は専従なので、深夜まで対応した翌日は少し遅めに出勤したり、朝のLINEのやり取りに集中するため、それ が終わるまで自宅にいて、落ち着いてから出勤するということもありました。もちろん予定を調整しながらですが、他の書記局メンバーの理解や協力も得 ていました。みんな限られた時間の中での活用なので、お互いの負担を少しでも軽減できるよう協力し合っていました。

 

〈質問〉グループLINE やツイッターでの書き込みには、意見とともに業務内容についてもオープンになってしまう恐れがあると思うのですが、プライバシーや守秘義務との兼ね合いはどのようにしていたのでしょうか? あらかじめ書き込み内容に制限は設けたのでしょうか?

小松 グループLINEはみんなが自由に発言できる場所になるようにしていました。なので、愚痴や不満、怒りなどさまざまなものがありました。「こんなことあったんやけど、ちょっと聞いてよー」みたいなのもたくさんありました。というかそういうのが大半でした。また、そこを通じて直接面識のない保健師さんから私のところに、相談LINE がきたことも多々ありました。ツイッターはそんな中に埋もれている過酷な実態や思いを私がチョイスして140字にまとめてツイートしていました。当然、個人情報には最新の注意をはらっていましたし、悩んだときは、LINE を通じて「これでツイートしていい?」と聞くこともありました。

 

〈質問〉コミュニティ・オーガナイジングで組織拡大も進むということでしょうか?

小松 コミュニティ・オーガナイジングと組織拡大の関係ですが、 2 つのことをお答えしたいと思います。

1 つは、コミュニティ・オーガナイジングには、相手の悩みや課題の解決方法を考え見つけるコーチング、関係づくりを効果的に進める方法、行動ヘ の誘いかけの手法など、いろいろなことを実践的に学ぶメニューがあります。もちろん、 1 回学んだからといって、うまくいくわけではありません。です から、大阪府職労では、取り組みや会議の中でも、トレーニングメニューを取り入れ、みんなが練習できる機会を増やしています。先日も「仲間づくり のためのトレーニング」を開催し、実践例をロールプレイ形式で見て、みん なでよかったところや自分ならこうするというアイデアを出し合ったり、実際に対話したり、お互いの悩みや課題をコーチングしあうということを実践 しました。参加者からは「気づきがあってよかった。練習と思って何回も繰り返しやって職場でも活用していきたい」「何回も繰り返すのが大事だと思った」「自分にもつながる悩みを考えることができてよかった」「今日から職場のこと見直して、頑張りたいと思った」などの声も寄せられ、その後、さっそく職場での実践が報告され、確実に組織拡大へとつながっていると感じています。

もう 1 つは、コミュニティ・オーガナイジングを使って、職場組合員、当事者の困難・解決したい課題から出発するキャンペーンを実践することで、職場組合員が労働組合を近く感じ、自然と仲間を増やしたいと思うようになり、組織拡大につながるということです。

大阪府職労が取り組んだ「保健師、保健所職員増やしてキャンペーン」では、確実に職場の組合員の中で労働組合への信頼や共感が広がりました。そして「声をあげていいんだ」という気持ちが高まり、みんなの資源や力を集めたことで、ゴールも達成しました。その結果、職場での組合加入呼びかけが進みましたし、呼びかけチラシを渡しただけで自ら加入するという人も少なくありませんでした。保健所では、このキャンペーン期間(2020年 4 月〜2022年 7 月)に、45人の組合員を新たに迎え、数十年ぶりに増勢へと転じ、その後も加入者を増やしています。また、その間、 1 人の脱退者も出していません。

組織拡大の議論をするときに、よく「増やす人を増やす」ということが言われますが、まさに、コミュニティ・オーガナイジングは、キャンペーンの実践とトレーニングによって、「増やす人を増やす」ことにつながっていると実感しています。(※これは2022年 7 月29日時点で追記した回答です)

 

 

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