持田誠「「博物館」と「学芸員」の問題は別々だと痛感した20年」

丹青研究所の発行する『MuseumDate』Number82(2021年11月発行)に掲載された持田誠さん(浦幌町立博物館 学芸員)による論考です。お読みください。

 

 

1.はじめに

21世紀に入ったころから、社会の仕組みがいろいろと変わってきた。この間の変化を振り返ってみると、日本にはつくづく「博物館学」はあっても「博物館政策」が無いのだなということを痛感させられてきた20年だったように思う。

博物館労働という点でみると、学芸員をはじめ、博物館職員の非正規雇用化がかなり進んだ。私は1973年2月生まれ。学芸員資格を得て大学院生となったのが2000年、博士課程を修了したのは2006年。以後、約15年間、博物館の世界で非正規雇用として、いくつかの館を渡り歩きながら勤務し、2021年4月に現在の勤務館で正職員として任用された。昨今の会計年度任用職員制度の導入で、ふたたび専門職の非正意雇用について議論が盛んとなっているが、大学院時代を含む自身の経験を踏まえ、20年間を振り返ってみたい。

 

2.大学博物館で垣間見た博物館の「非正規雇用」

博物館の非正規雇用というと真っ先に学芸員が浮かぶが、実はそれ以前から、博物館で働く非正規雇用の存在が知られている。事務、展示解説、清掃、警備など、博物館の管理を担う人々である(持田2010)。彼らは学芸員よりも朝早く出勤したり、学芸員が帰宅したあと博物館に泊まり込んで勤務をしたりしている。

今日、博物館の非正規雇用が取り沙汰されるようになった大きな契機は、2003年の指定管理者制度の導入と言われる。しかし、実際には1996年の労働者派遣法改正で、対象業務が26業務に拡大されたころから、博物館現場に派遣労働者の姿を見ることが多くなったように思う。1996年という年は、学術審議会学術資料部会が「ユニバーシティ・ミュージアムの設置について」という報告を出した年で、実際にこの後、日本各地の大学に「ユニバーシティ・ミュージアム」いわゆる「大学博物館」が続々と設置されていくことになる。

このころ北海道大学の大学院生となった私は、1999年の北海道大学総合博物館の設立、2004年の国立大学法人化といった変化を、なかでみつめていた。

「北海道大学総合博物館」には、学芸員も技官も配置されず、代わりに教授などの教員8名と、非正規雇用の職員がさまざまな身分で数名配置され、ほかには博物館ボランティアと無給の資料部研究員が、学術標本の整理から展示、さらには教育プログラムの遂行にあたっていた。

事務室には事務係長と職員が3名配置されていた。のちに大学職員は2名となり、派遣会社からの職員が1名加わった。さらにその後は派遣社員がとりやめとなり、代わって再任用職員があてられた。

公称約300万点の学術標本を有する「ユニバーシティ・ミュージアム」は、華々しく企画展やイベントを続々と開催する陰で、こうした人員組織実態で自転車操業している状況にあった(持田2009)。いっぽう、大学博物館のこうした実態に即して、ボランティアや学生を人的資源として博物館運営をはかっていこうという主張もみられた(たとえば大野1998)。だが、元来、ボランティアや学生は博物館の労働力ではなく、社会教育や生涯学習などの社会参画として自発的になされるものである。人員体制の脆弱さを安易にボランティアや学生を人的資源として活用しようという発想は、博物館経営の上で危険であると私は考えている。

この点、NPO法人大阪自然史センターの職員ついての道盛(2013)の見解は明確で妥当と思われる。道盛(2013)は、博物館内のNPOとして、ボランティアという社会参画の場を提供しつつ、そこで働く「スタッフの身分保障・生活保障に対して労働対価としての雇用という形を創造している」とする。人事体制の脆弱さをすぐボランティアに転化して解決しようとする動きに対するものであり、博物館労働や博物館関連団体の組織論としても参考にしたい。

 

 

3.「派遣」と「請負」が支える博物館

北海道大学総合博物館は入館無料だが、展示解説員を兼ねる受付の職員がいた。最初は大学が直接雇用する臨時職員だったが、のちに民間の派遣会社の社員が配置されるようになっていた。

この民間会社は派遣会社だったが、当時、契約は「請負」であった。通常の派遣契約であれば、派遣契約期間後に正職員へ登用される可能性が制度として存在する。だが、発足当初の国立大学の職員は、法人化したとはいえ実態は国家公務員と同様の状況だったので、そのような契約はない。毎年の請負の契約を更新する、いわゆる「万年期限付き雇用」の状態を繰り返しているのが実態であった。

当時、この「派遣」と「請負」の違いが社会的にも大きく誤解され、「偽装請負」などの問題が頻発していた。「派遣社員」は、派遣元との間の労働契約で、就業規則も派遣元のルールが適用されるが、就業にあたっての指揮・命令系統は、派遣先のルールに基づいて行われる。勤務時間や業務内容の変更も、派遣先の事情により管理される。これは合法である。

これに対して、「請負契約」の社員には、派遣先は直接的な指揮・命令は出来ない。請負契約はあくまでも業務を一括で請け負っているのであり、業務内容に変更が生じた場合は、その都度、請負会社と派遣先との間で業務変更の連絡が交わされ、現場の職員には請負会社から通知がされる。清掃や警備などの業務を想像すると、これはよく理解できると思う。

この原則を理解した上で博物館の受付・展示解説業務を考えると、そもそもこれは「請負契約」には馴染まない職種だということがわかると思う。日常の博物館での来館者対応には、その都度、上司や学芸員の指示を仰ぐことが多いし、企画展示の度に展示内容を学び、その対処について学芸員の指示を仰ぐ。同じ博物館員として、「派遣先」の職員と協力しながら館務を遂行しているのが実態である。

それならば派遣契約にすべきなのだが、先述のとおり、派遣社員は数年の勤務後、派遣先が直接雇用への切り替えについて交渉するルールとなっており、公務職場ではそれは出来ない(ことになっている)。もし、それをやるならば、時給や日給で働く3年期限付き雇用の「公務非正規」に転換させるしか現実的に道は無い。そうなると、働いている当人としても所得等が直接雇用された方が悪くなってしまうのでメリットがない。

いまでも私は、当時のこの受付の雇用形態は、かなり問題があるものだったのではないか?という疑念を抱いている。実際に当時、働いている当事者にも話を聞くと共に、メーリングリストを使って全国の博物館の「展示解説員」の契約形態について聞いてみたことがあるが、大半の館園が直接雇用の非常勤、もしくは派遣契約で、請負契約でこの職種を雇用している博物館は他に存在しなかった。だが、当時この点について疑問視する声は、大学にも博物館界にも広まらなかった。

 

 

4.公契約条例の必要性

警備や清掃などの目に見えにくい部分では、相変わらず入札制度による低価格競争で、現場の所得をかなり低く抑えられている。警備や清掃業務は、その施設の特性によって細やかな知識や経験を要する部分も多く、長く働き慣れた人が就く方が、働く方も雇う方も都合が良い。

そのため、A社との請負契約が終了し、次年度からはB社に変更となったあとも、A社時代に働いていた守衛さんが、A社を辞めてB社へ移るという形で、繰り返し任用される形態が見られる。この場合、入札によってA社になるかB社になるかが決まるため、会社としては契約を得るために、なるべく安く受注額を設定する競争となる。そもそも入札とはそういうものだが、そのしわ寄せは現場で働く人の処遇にかかってくる。

当時、北海道の最低賃金として定められている金額以下の賃金で警備員を雇用していたことが明るみに出て、入札停止となった警備会社があった。働いていた警備員さんに実際に話を聞いたが、警備会社は警察OBとの結びつきが強く、現場でこうした実態に不満があったとしても、労働組合を組織したり、労使交渉が行われるなどのケースはまず無いのだという。「入札で会社を渡るたびに給与が下がることもある」と、半分笑いながら話す警備員や清掃の方もおられ、その深刻さは今も続いているのではないかと思う。

こうした、官公庁の契約が引き起こす労働環境の悪化を改善するため、2008年の山形県公共調達基本条例を皮切りに、いわゆる「公契約条例」の制定を求める運動が展開されている。しかし、上述のように博物館現場においても問題性は同じであるにも関わらず、その認識は低いままのように思う。これは、清掃や警備など、学芸員以外の博物館労働者の問題に、博物館界の関心が向きにくいためと思われるが、大きな課題だろう。

 

 

5.雇用期限と均等待遇の問題

1993年に施行されたパート労働法は、全国的な非正規雇用の増大に応じて2008年に改正され、非正規雇用に対する均等待遇や、正規職員への転換などが定められるようになった。しかし、これを逃れるための期限付き雇用(雇い止め)は、むしろ横行するようになったのが実態である。

大学院を修了し、北海道大学総合博物館で研究支援推進員という非正規雇用職員として働き始めた私の周辺では、1年契約を2回まで更新できる、つまり3年間というのが一般的な雇用期限であった。全国には5年期限、7年期限など、さまざまな期限付き雇用形態が存在した他、10ヶ月雇用、11ヶ月雇用などの形で年度契約を途中で打ち切りとし、次年度以降の更新をかけるという方法も常態化していた。

このほか、大学博物館ではCOE(Center of Excellence)、現代GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)などの外部資金の導入による大型で、派手なプロジェクト型研究が導入され、こうした資金をもとに時限付の非正規雇用が多数導入される形態もみられた。

もともとパートタイムなどの非常勤職員制度は、家庭の中に主たる所得者(例えば正社員の夫)がいることを前提とした家計補助労働(妻が家計の足しにするために補助的にする労働)という発想のもとに制度設計されている現状がある。このため、税金や社会保険などの関係から、年間所得を一定以下に抑えたいという現場側の需要も確かに存在し、週あたり労働時間の上限や、10ヶ月雇用などの短時間勤務設計がされる事例があった。また、そうした立場の業務内容も、職場の基幹的な業務を支える補助業務という位置付けが従来の認識だった。

しかし、いわゆる「小泉改革」を契機に、公務労働者の削減や労働単価を低く抑えることが至上命題となる風潮が広がり、2003年の指定管理者制度導入もあって、制度設計は「家計補助労働」のまま、職場で基幹的な業務を担う労働者全般に非正規雇用が拡大してしまった。「常勤的非常勤」と呼ばれる勤務形態の一般化である。

その結果、正規職員の退職後に正規職員を補充せず、非正規雇用にこれを置き換えるという博物館も相次いだ。図書館などでは、管理職などの一般事務職のみが正規職員で、司書は全て非正規雇用というような、極端に歪んだ現場が広く見られる「専門職非正規社会」が実現して久しい。菊池(2018)は、こうした非常勤学芸員の採用動向を、各館の「募集要項」を資料に分析している。

正規職員の学芸員が配置されていて、その補助者として非正規雇用の学芸員を雇用するのではなく、そもそも「学芸員」を非正規雇用としてしか配置しないという博物館が続出したのである。その結果、大学院を出て学芸員となっても、月収が手取りで12万円程度という人が全国に溢れるようになった(聞き取りと募集要項からの推計)[1]

しかも、こうした歪な「非正規雇用社会」を是正するための労働法制として導入されたパート労働法や、2008年施行の労働契約法は、公務員系の非正規雇用、いわゆる「公務非正規」には適用されない。民間企業のパート労働者には当てはまる処遇の改善が、公立博物館の学芸員など非常勤の公務員には、そもそも適用される制度自体が存在しないという「法の谷間」問題である。当事者は半ば自嘲的に「官製ワーキングプア」と呼ぶ(図1)。

「ハローワークの窓口に座っている職員が非正規雇用で、細切れの雇用期限に苦しめられている」という、冗談のような社会に私たちはいま生きている。

 

 

図1.2013年5月に東京都内で開催された官製ワーキングプア研究会のようす。会計年度任用職員制度導入後も、さまざまな課題を抱えている官製ワーキングプア問題の解決のため、全国の有志が集まって問題を共有・発信している。同研究会のサイト 

 

6.会計年度任用職員制度の導入へ

「公務非正規」問題を複雑にしている原因として、国、都道府県、市町村それぞれにおいて、非正規雇用職員の任用形態がバラバラである問題があった。

帯広市の博物館にいた頃、私の地位は「特別職」の嘱託であった。地方公務員法第3条第3項第3号にある「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員」という特別職の規程を利用して、学芸員に限らず、市役所内のさまざまな部署の非正規雇用を「特別職嘱託」として任用するという形態であった。

地方公務員法は第4条で法の対象者を一般職と定めていることから、特別職の嘱託職員は地方公務員法の対象とされない。また、一般職と異なって「専門的な業務を嘱託されている者」なので生活給の考え方が認められず、「給与」ではなく「報酬」であるため、各種手当てなどの支給も無い。

その後着任した浦幌町立博物館では、「準職員」という制度がとられていた。この制度の法解釈はさらに曖昧で、地方自治法第172条第3項の但し書き条項「〔同条〕第一項の職員の定数は、条例でこれを定める。ただし、臨時又は非常勤の職については、この限りでない。」を利用して定められた定数外の非常勤職員と思われるが、明確な根拠となる法令や条例が無く、学者によっても地方公務員法の対象となっているのかどうか考え方の分かれる、法の谷間というか、法そのものから「浮いた存在」であった。

こうした公務非正規の処遇の制度的な不統一は、現場の労働状件が改善されない最大の要因となるばかりか、実態の把握すら困難であるような状況だったため、2020年には会計年度任用職員制度が発足した。正規職員との均等待遇化を目指した「フルタイム会計年度任用職員」と、補助的労働を念頭に置いた「パートタイム会計年度任用職員」に大別され、共に「均等待遇」化を促進するため、期末手当をはじめとする各種手当ての導入が目玉となった。

ところが、実際の運用は各自治体でバラバラなのが実情である。例えば従来、手取り月収が15万円のパートタイム職員がいたとする。年収は180万円となる。会計年度任用職員制度の導入により期末手当が導入されたものの、なんと年収は据え置きのまま各種手当てを出すこととなったため、手取り月収が13万円を切るようになってしまうというケースが、全国で多発したのである。

「永年、非正規でも誇りを持って働き続けてきたが、もうこれが限界だ」と、会計年度任用職員制度の導入を前に職場を去って行った非正規の学芸員や司書が、全国には多数存在する。その悲痛な声は、いまも私のところへも届いている。

非正規雇用の問題は、給与など「お金」の面に留まらない。会計年度任用職員時代に、浦幌町教育委員会で公文書を起案する際の起案票(決裁)の押印欄は、正規職員である社会教育主事が職名表記なのに対して、学芸員や司書の押印欄は「会計年度(フル)」と表記されていた。この町ではいまも、会計年度任用職員は職名ではなく任用形態で分類される。

「法の谷間」に埋もれていた、公務非正規の処遇を改善することが目的だったはずの会計年度任用職員だが、制度そのものはともかく、自治体によるその制度運用の実態はやはりバラバラである。多くの現場で名目と実態の乖離は、むしろ著しくなったと見た方が良い。

 

 

7.「館」ばかりを見て「人」見て来なかった博物館界

この20年間、社会は大きく変化した。当然ながら、その波は博物館の世界にも及んでいる。しかし、博物館界は、永年この変化と正面から向き合ってこなかった。それはなぜだろうか?

思うに、博物館の世界を、なかで働く者の視点からみると、(1)社会の変化に「博物館」という業界が足並みを揃えた対応ができていない。(2)博物館という組織やハコに対する政策はあっても、学芸員という専門職に関する政策が無い。(3)博物館という業界団体はあっても、学芸員の職能団体が無い。

などの、永年抱えている問題点が一気に表面化してきている現状が見える。『Museum Data』で、なぜ長々とこのような事を述べてきたか?というと、この問題への認識を深めて欲しいと思うためである。

(1)の問題は、博物館そのものの多様性が大きく関係しているように思う。規模も館種もバラバラであり、それが良い意味で日本の博物館界の特徴でもあるのは確かである。だが、いつまでもこんな状態で、日本の博物館全体の底上げをはかるような「博物館行政」は可能だろうか?誤解を怖れずにいえば、玉石混淆の自称「博物館」を、いつまでも十把一絡げに「博物館」として扱っている限り、日本の博物館は国立・都道府県立博物館のような大規模館と、中小の町村立や私立の博物館の二極化が進むばかりであり、双方の利害が対立する一方だ。教科書的に描かれる「博物館学的な博物館像」は、いつまでたっても絵に描いた餅なのではないか。

(2)についてはさらに深刻である。日本博物館協会は、2009年11月号の『博物館研究』誌上で「公共博物館における非常勤学芸員」を特集したことがある。ようやく協会もこの問題に本腰を入れて取り組むかと思ったが、なかを読んで失望を禁じ得なかった。小林(2009)や安高(2009)は、いずれも非常勤学芸員の置かれている現状をさまざまな角度から報告している。しかし、特集全体の論調は残念ながら「自らは安全・安定な側に立つ者の楽観論」で終わっているように感じられた。現実の現場に立脚した切迫した状況が伝わらず、どこか他人事な態度に思えたからである[2]

「博物館経営(ミュージアム・マネージメント)」という立場からの「学芸員論」は、これまでにもたびたび議論されてきた。だが、その多くが「博物館のための学芸員論」であり、実際に働く者の立場に立った「学芸員論」ではなかった。「博物館」をより良くするための施策は議論されても、「学芸員」の立場に立ち、博物館の専門職として存分に働ける労働環境を築いていこうという視点が欠けているものが、まだまだ多いと思う。

ましてや、学芸員以外の博物館員は置き去りである。学芸員と共に博物館を支える、展示解説員やミュージアム・ライブラリアン(博物館図書室司書)や、事務職員や、ミュージアムショップや清掃や警備や飼育員やボイラーマンや、無数に存在する学芸員以外の「博物館の職員論」が、これまでどのくらい議論され、博物館業界として施策を社会に投げかけてきたであろうか?

菊池(2019)は、「働き方改革」のかけ声による非正規雇用化の推進が、博物館におけるワークライフバランスの実現に結びついている訳ではないと、現状の問題性を指摘している。こうした指摘を業界として集約し、実際の制度改正へ働きかけていく、「館」ではなく「人」に対する取り組みが、いま博物館界には必要と思う。

 

 

8.「学芸員発令」が抱える「学芸員とは何か?」問題

例えば、学芸員の「発令」の問題がある。2021年4月、私は従来の準職員から教育委員会の正規職員へ「新規採用」された。4月1日の辞令交付式で、受け取った辞令を見て私は仰天した。事例には「浦幌町教育委員会事務職員に任命する。博物館係長を命ずる」と記されているだけで、準職員時代はたしかに「学芸員」として発令されていたにも関わらず、正規職員となった途端に自分の職名から「学芸員」の文字が消えていたからである。

「私は学芸員として働くためにこの町へ来たのであり、実際に町からはそれを期待されて採用されたのだから、この辞令では受け取れない。任用資格である『学芸員』は、発令されなければ意味が無いのだから、辞令できちんと明記し、発令し直して欲しい」と訴えた。

幸い、教育長をはじめとして町の関係者は真摯にこの訴えに耳を傾けてくれた。数日後に出し直された辞令の職名は「博物館係長・学芸員」となる。

だが、多くの自治体で、このように任用資格を発令で正しく位置づける処理がなされていない現状がある[3]。一般行政職や総合職として発令され、「学芸員」の職名は辞令上存在せず、各博物館園が自主的に「学芸員」と「通称」しているに過ぎない館園が多い。また、この傾向は職階が上がっていくにつれて顕著となり、館長や主幹が自らを「学芸員」として公式にカウントして良いのかどうか、自分でも判断しかねているケースが多い。

 

図2.『令和2年度要覧 十勝の教育』(北海道教育庁十勝教育局2020年発行より転載)。

 

この曖昧さは統計でもはっきりと表れている。図2は北海道庁の十勝教育局が出版した『十勝の教育』という要覧に示された、管内の社会教育職員の統計である。この統計では、北海道十勝地方の学芸員の数は、わずか4名である。これに対して、日本博物館協会の『全国博物館園職員録』から拾い出した学芸員の数は19名。実に5倍近い開きがあるのだ。これは「博物館原簿」を所管する北海道教育委員会ですら、世の中の学芸員を把握できていないという、日本の学芸員制度の問題点を如実に表している[4]

満足に統計ひとつとれないような「学芸員」の処遇を、いったいどのようにして改善していこうというのか?制度が改正されたとして、その対象となる「学芸員」とは誰なのか?なお、皮肉なことに、先述のように、非正規雇用で採用される学芸員は、「学芸員」として任用されているので、日本で正式に「学芸員発令」がされている職員は、非正規雇用の方が多い可能性がある(おそらくいま司書はそうである)。

考えてみれば、日本には「博物館協会」という業界団体はあっても、「学芸員」の職能団体が無い。「館」を見てばかりで「人」を見ていない。「博物館学」はあっても「学芸員論」が育たない、その根底には、「学芸員」という職種を横断する組織が無いことも、一因として存在するのではないだろうか?

私は以前から、館種や身分に関わらず、全国の学芸員を横断的に結ぶネットワークとして、「全日本学芸員労働組合総連合」略して「全学連」を作ろうという主張を、半分は冗談で、半分は真剣に考えている。いま、「館」の組織とは別に、博物館の専門職員である「学芸員」の地位について真剣に考え、その処遇について、一致して政府と交渉できるような組織の必要性が高まっているように感じている。

 

9.おわりに

21世紀も20年を過ぎ、ICOMでは博物館の定義が、日本では博物館法の改正議論が、高まりを見せている。こうした制度改正が、学問的な「博物館学」に終わらず、博物館現場で、実質的にこれらの課題の抜本的な解決策となるのか?自身の問題としてとらえ、議論する時期である。

 

10.参考・引用文献

持田誠, 2010.博物館を支える人たち:総合博物館へ行こう第6回.きぼうの虹, 328: 7.

持田誠, 2009.大学博物館の活動:総合博物館の現場から.北海道の教育 : 教育実践の集約と理論化2009, 249-252. 合同教育研究全道集会実行委員会, 札幌.

大野照文,1998.大学博物館が研究以前に行わなければならないこと.地学雑誌,107: 836-843.

道盛正樹,2013.NPO法人大阪自然史センターのスタッフキャリアについて.Musa 博物館学芸員課程年報, 27: 7-11.

菊池真,2018.採用募集情報に基づく非正規学芸員の動向.博物館学雑誌, 43(2): 109-124.

持田誠,2021.学芸員の地位を向上させるためのしごと.北海道博物館協会学芸職員部会コラムリレー「学芸員のしごと」第32回(ウェブ公開)

小林央, 2009.非常勤学芸員の業務実態と課題.博物館研究, 44(11): 7-11.

安高啓明, 2009.非常勤学芸員に関する諸問題.博物館研究, 44(11): 3-6.

菊池真,2019.博物館学芸員の非正規雇用と労働の流動化.人文地理学会大会研究発表要旨,  2019: 116-117.

福島正樹・瀧端真理子,2007.教育委員会の機構改革・必置規程見直し動向を考える:文化財保護行政と博物館行政の現状と課題.Musa 博物館学芸員課程年報, 21: 15-36.

 

【注】

[1] 2013年5月28日、学芸員を志す大学生や若手研究者を念頭に、非正規雇用の学芸員の就労実態を知ってもらうことを念頭に、自らの源泉徴収票を自身のブログで公開した。活動日誌「嘱託学芸員の年収です」 

[2] 日本博物館協会では、2018年7月号の『博物館研究』において、あらためて「増加する非正規雇用学芸員」の特集を行っている。2009年特集に比べ、2018年特集は現実感のある内容となり、業界で問題を共有認識する上で、非常に役立つ内容だったと思う。

[3] 学芸員発令に関して、長野県教育委員会事務局を事例とした埋蔵文化財系の学芸員および学芸員補の実態を赤裸々に語っている福島・瀧端(2007)の興味深い報告がある。

[4] この問題については2021年7月15日に北海道白老町で開催された北海道博物館協会主催「第59回北海道博物館大会」ポスター発表において報告した。

 

 

(関連記事)

川村雅則「道内の会計年度任用職員等の臨時・非常勤職員の任用実態──総務省2020年調査の集計結果に基づき」

瀬山紀子「非正規公務員の現場で起きていること—働き手の視点から—」

反貧困ネット北海道学習会「「なくそう!官製ワーキングプア」運動に学ぶ」

山下弘之「役所が生み出すワーキングプア」

 

 

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