札幌地域労組「みんな最初は何も知らなかった 労働組合を始めるってこういうことなんだ」

仕事を辞めるか、それとも我慢をして働き続けるか──つらい仕事・働き方に対して、こうした二者択一しか示されない社会の風潮に対して、問題を解決する手段として労働組合(集団的労使関係)があること、それを就職前の若者たちに伝えるのは学校関係者の仕事でもあることを自覚して、労働組合の皆さんの実践をまとめてきました。ここで取り上げる若者たち(札幌地域労組田井自動車支部組合員)の実践もその一つです。

(話し手)
札幌地域労組田井自動車支部 支部長 橋本良太さん
札幌地域労組 副委員長 鈴木一さん

橋本さんたちは、労働法も労働組合もまったく知らなかった状態から、札幌地域労組への相談をきっかけに組合を結成し(2012年5月)、長時間労働に加えて違法な固定残業制という事態を改善させました。しかし、ことは簡単に進んだわけではなく、団体交渉を会社に拒否され、労働審判を起こされるなど、不当労働行為も数々経験しました。全面解決に至るのは14年の秋ですから、組合の闘いは2年以上に及んだことになります。

しかし、労働組合を始めた人たちが実は、自分たちと同じく労働法も労働組合も知らない存在であったこと、そして、数々の壁にぶつかりながらも組合活動を続けて、自分たちの働き方だけでなく会社をも変えるに至ったことは、若者たちに共感的に受け止められるのではないでしょうか

鈴木さんと橋本さんが高校生に対して、労働組合の総論と具体的な取り組みをお話しする機会に同席しました。この記録は、そのときの橋本さんがお話しされた内容をまとめたものです。(川村雅則)

注:川村雅則研究室『学校で労働法・労働組合を学ぶ』2015年11月発行からの転載です。

 

 

◆僕も高校在学中に労働法・労働組合を教わっていれば…

 

みなさんこんばんは。田井自動車支部の支部長をしています、橋本です。よろしくお願いします。

僕は高校を卒業してすぐ田井自動車に就職しました。学校でこういうことを教えてくれたかというと、全くなかった。高校側も、就職率を上げるのに生徒をとりあえずは就職させられれば、という思いもあったのでしょうし、僕自身も、何がやりたいという希望があったわけでもなく、プラプラしていたら、「消防車を作っている会社あるけどどうだ。仕事はやりがいがあるぞ」と担任から言われて、そのまま、流れで、会社を紹介されて就職しました。

今思うと、もっと色々なことを考えて、色々な会社を見ておけば良かったのかなと思うのですが、当時は、それこそ、今、鈴木さんがお話されていたようなことを学校で聞く機会などありませんでした。聞いていれば、これから話す僕らの問題も、もう少し早い段階で解決が出来たのかなと思います。そういう意味では、今日、みんなが、在学中にこういう話を聞く機会があるのがちょっと羨ましいなと思って、鈴木さんの話を横で聞いていました。

さて、これからお話しするのは、会社で僕たちが経験したことのごく一部です。

もちろん世の中はこういう会社ばっかりではありませんが、それでも、こういう会社が少ないわけではないと思う。実際、ブラック企業とか、みなさんも聞いたことありますよね。だから、今日の話を頭の片隅に入れておいてもらって、就職してから何かトラブルにもし巻き込まれたときには、そういえばあのオッサンがなんか言っていたなと思い出してくれれば嬉しいです。

◆残業代の支払いが止まった

(僕たちの会社は、消防車を作っている会社です)

 

まず田井自動車がどういう会社かというと、消防車を作っている会社です。以前は、開発局からの発注で、高速道路の除雪車の整備などもやっている会社でした。

僕は1998(平成10)年に入社しました。入社当時、会社の部長から、「田井自動車は給料が安いけれども、残業代で稼いでもらう会社だから。忙しくなったときに残業を頑張ってくれ」と言われて、働き始めました。田井自動車には、繁忙期という忙しい時期があって、その時期というのは、お盆があけて、9月から翌年の3月ぐらいまでです。ウチは札幌市がイチバンのお客さんで、消防車を作る仕事を入札で落として、そこからが忙しくなるのです。

ところがその年に、札幌市の仕事を入札で取れなくて、会社の業績が下がりました。赤字が6千万円出たと言われました。そこで、まずは、年配の嘱託の方からみんな退職していきました。そして次に会社が言ったのは、残業代を払えませんということです。残業代を払うとこの会社が潰れてしまうというのです。

これは僕が入った頃なので、今から20年近くも前のことですが、ただ当時、働いている人たちはみんな、労基法のことなどよく分からなかったので、「会社が潰れてしまうのならしょうがないよな」ということで、その年から実際、残業代が出なくなりました。

正直、ただでさえ給料が安いのに、残業も出ないのだったら、会社をもう辞めてやろうかなと思いました。

とはいえ、まわりの上司にはいい人が多くて、何とか残ってもらえないかと頼まれて、僕自身も、とりあえずは石の上にも3年かなと思って、会社に残ることにしました。というのも、今は払われていないけれども、いつかはまた残業代が払われるようになると思っていたんです。

実際、会社も、労基法違反ということは当然分かっていたと思います。

次の年になったとき、労基法違反というのは分かっていますけれども全額を払うことはできません、今は2割しか払えません、と言ってきました。つまり、1時間の時給が1000円とすれば残業をして200円。200円しか払えない、と言ってきたわけです。当時たしか、1時間残業をしてもタバコも吸えない、みたいなことをみんなで文句を言っていました。

それで、働いて2年目で200円。3年目、4年目ぐらいにやっと5割ぐらい、つまり、1時間残業をして500円が払ってもらえるようになりました。それで何年か過ごしました。

(僕たちの組合結成にみんながかけつけてくれました)

 

◆固定残業制⁉の導入

ただ、残業が多くて残業で仕事をこなしていくような会社というのは相変わらずで、それこそ、2月、3月は徹夜が多い時期でした。

そういう、残業が多いということと、今のままでは労基法違反だということで、会社も色々考えたと思うんですね。

そこで会社がどういう手を打ってきたかというと、先ほど鈴木さんから説明があった、固定残業制、つまり、残業代を固定化する制度が導入されることになりました。

しかもそのとき、このことは、弁護士にもちゃんと相談して違法ではないです、ということが会社から説明されました。説明書きみたいなものはもらったんですけれど、僕らも、正直分からない。違法じゃない、弁護士にも相談している、と会社が言うんだったら大丈夫なんじゃないかなと思って。

ただ、当時、田井自動車は、手当ての種類が色々あったんですよ。

基本給に、役職が付いている人は役職給。それから職能給に調整給。もっとも、調整給って何だと聞いても会社は説明出来ないのですが。他に出勤手当て7500円というのもあって、これは、遅刻したり無断で欠席すると2500円ずつ引かれて、最大3日まで休んだり遅刻すると7500円全額がカットされるというものです。

これらが、固定残業制の導入でどうなったかというと、普通は、総額で20万円の給料をもらっていて、固定残業を5万円つけますよとなると、20万円にプラス5万円で25万円がもらえると思うじゃないですか。でも田井自動車では、当時の給与体系をあれこれ動かした。調整給を減らして、出勤手当てというものを無くして、残業手当は固定残業手当にした。なので、フタを開けてみたらみんな、給料の額はなにも変わってないんですね。逆に、マイナスになっている人もいた。だから僕らもさすがにこれはオカシイと抗議したんですけれども、でも会社が言ったのは、「従えないのだったら辞めてくれ。残業代を払える会社に行けばいい」という回答でした。

 

◆不満は色々あったけれども従うしかなかった

会社の労務管理というのはこういう感じで、そして僕らにも、自分の生活がありました。

当時は、職場には年配の方も多くて、定年退職を迎えるにあたって、やっぱり穏便に辞めたい、トラブルを起こして退職金には響かせたくない、という気持ちがあったと思います。そこは会社に従わざるをえないですよね。

ちなみに、当時会社には、社員で構成される「社員会」といった団体もあったのですが、社員会というのは給料の交渉をするような団体ではなくて、あくまで従業員の意向を会社に伝えるパイプ役のような組織だったので、何か抗議をするとかはなく、会社のいいなりでした。

そんなんで、相変わらず、ナンボ残業しても残業代は出ない。しかも固定残業が導入されてからは、今度は数百円どころか朝まで残業しても出ない。

 

◆24時間を超える、過酷な超長時間労働

朝8:30から17:30までが田井自動車の就業時間で、それからが残業になるのですが、一番酷いのは、そのまま24時を超えて次の日の朝8:30になって、それでもまだ帰れないという状況もあった。帰らせてもらえないんです。そこからまたずっと夜の20時まで働かされる。

結局、連続35時間ぐらいの労働を強いられた計算になりますかね。

しかもその間も会社の幹部職員、管理職というのがまわりで見張っている。「もう限界なので帰らせてください。せめて若い人間だけでも」と上司に言ったら、「ふざけるな、お前ら、この忙しい時期に帰れると思うな」と言われました。そして、「帰りたいなら帰ってもいい。ただ、ボーナスの査定に響くからな」と言われた。それはやはりみんな、困るわけですよ。

だから結局、どうしても体調の悪い者は帰らせましたけれども、いずれにせよ、当時は、文字どおり、家に帰れなくて会社に缶詰状態だった。土日も無かった。一番酷い時期には、正月休みが31日と1日しかありませんでした。それ以外は、会社にずっと缶詰状態。

当然、体調を崩す人もいましたし、若い人が入社しても、もたずに辞めてしまう。お盆ぐらいまではなんとかなるのですが、そこを過ぎてから残業がずっと続いて、しかも、残業しても残業代が出ないものですから――入社時には残業代が出ると会社は説明をするのですが、実際には、固定残業代で出していると説明するわけです。そうなると、やっぱり若い人でももたなくなって、連休の後や、正月休みがあけると来なくなる。連絡がつかない。

家族に聞いて、やっと連絡がついて、「どうした?」って聞いたら、もう限界だという。そうやって辞めていった仲間が一杯居ました。

(組合での勉強会の風景)

 

◆有給休暇は自由には使えない?

みんなが就職したくなくなるかもしれないので言いづらいのですが、当時の田井自動車では酷いことが本当に色々とありました。

例えば有給休暇という制度があります。この制度について、僕も組合を作ってからちゃんと理解できたのですが、まず正社員の場合、半年を働いてから10日が付与されます。使わずにいると、多い人で最大20日間が付きます。しかも、この休暇の使い途については、例えば、極端な話、明日パチンコに行くから有休を使います、と言ったってそれでも構わないわけです。

だけど当時の田井自動車では有休の取得は許されなかった。

有給休暇を誰がどんなことに使おうが、本当はいいのです。仕事が続いて眠たくてたまらないから、明日は有休を使って体を休めようというのも、もちろんありなんです。でも田井自動車では許されなかった。

関連して、「代休制度」というものがありました。忙しい時期の休日を9月までの間に先に取得させる制度です。5日分あって、それをまず使うように言われました。それを消化してからでなければ有給休暇は使えないのです。

しかも代休を使い切ったので、では、今度は有給休暇を使おうと思ったら、「代休を使ったんだからもう休む必要はないだろ。有休使うんだったら評価を下げさせてもらうぞ」と。そういう会社でした。組合を作ってからは僕も、有給休暇を全部使っています。

 

(労働組合では本当に色々なことを学んでいます)

 

◆怪我と弁当は自分持ち?

それから労災です。会社では仕事中に怪我をすることがあります。消防車を削ったりする作業があるのですが、そのときに、鉄粉が目に刺さったりするんですね。

こうした仕事中の怪我というのは、労災保険というもので病院代が全部支払われることになっているのです。だけれども、当時は、会社からお金を1万円渡されて、個人の保険証で病院に行って来てくれと言われておしまい。僕らも、病院に行って自分の保険で対応して帰ってくる。

そして、大きな労働災害や事故もありました。やっぱり寝不足ですから。指を落とすまではいかないけれども、指を深く切って、後遺症で今でも指が曲がらないとか、あります。さすがにそういうのは労災になりましたが、いずれにせよ、本当に命に関わるような大きな労働災害が起きた時期もありました。これだけ夜中まで残業しているわけですから。

 

◆労働組合との出会いと躊躇、そして決断

そんな状況で、従業員の入れ替わりもあって、年が経つごとに、若い従業員が意外と増えてきました。そして、みんなでたまっていた、あるときに、組合を作ろうかみたいな話になりました。

後からの話に繋がるんですが、業界で一番の会社に森田という会社があります。

ウチも森田みたくならないかなぁ、なんてみんなで愚痴っていて、そういう中で、じゃあ組合を作ろうっていう話になりまして、若い従業員が鈴木さんのところに駆け込んだんです。そこで、鈴木さんから指摘をされるわけです、「今、田井自動車で起きていることは違法なんですよ」と。それで、その若い従業員から、「今度鈴木さんのところに話を聞きに行きませんか」という話になって、僕も聞きに行きました。そして、まさに今日みんなが聞いたような話を僕も聞かされて、「何だ、ウチって本当に酷い会社なんだな」と思いました。

でもそのとき僕は、正直に言うと迷っていたんです。昇格がかかっていたという事情もあります。若い仲間には申し訳ないんですけれど、ちょっと迷っていた部分がありました。

ただ、あるとき会社の発言を聞いて愕然としました。ウチでは、会社の打ち上げがビール園で毎年4月に行われます。そのときに、会社の常務と社長が挨拶するんですけれど、「田井自動車の3月の残業、徹夜は伝統です。田井自動車のためにこれからもみなさん続けて下さい」と言って、「カンパーイ」となった。

これを聞いて、もうこの会社は終わったなと思いました。これからもこんなことが続くのか、と。若い社員が一番かわいそうだったし、やっぱりここは会社を変えていかないと。せっかく良いものを作っているのに、それが全部台無しになってしまうと思った。

ちなみに、今の若い人は意外と先を見ています。僕なんか最初は何も考えていなかったんですけれど、ウチの若いやつらは、将来のことを考えていて、仕事に対してもプライドがある人間が多かった。

それで、よしっ組合を作ろうと決断して、僕の方から、組合に入りそうな人間、信用出来る人間に声をかけて24名で組合を結成しました。

 

◆組合結成と同時に、不当労働行為が発生

まず組合を作ってからどういうことがあったかというと、何せ、僕らも組合結成なんて初めてだったのでドキドキでした。そこに会社がやってきたのは、先ほども鈴木さんが説明をした不当労働行為です。労働組合に対して会社が行ってはいけない、とされている行為です。これがすぐに始まりました。具体的にはまず、監視行為が始まりました。

会社に組合が出来ましたという通知を鈴木さんが昼休みにウチに持って来てすぐ、それこそ、昼休み後には、課長クラスの人間が仕事場に来まして、何も言わないんです。ずっと黙って、僕らが作業している後ろで見ているんですね。ずーっと何も言わないで。

ただ、それも鈴木さんとの学習会のときに聞いていた。そういうことをやってくるやつがいるけど、それは不当労働行為だからと。だから、何も教わらずにそういうことをされるとみんなドキドキするんですけれども、ある程度分かっていたから、みんな半笑いで、「あ、やってきた」と。だからその辺は安心できましたね。

それから、「組合が出来たら会社が潰れる」ということはよく言われました。もっともそれも、必ず言ってくるからと鈴木さんから勉強会で習っていたので、安心でした。みんなも、会社が潰れるって言われたらやっぱり躊躇しますよね。会社を守らなきゃって。

でも、そういうことを言うのは、だいたい仕事の出来ない人です。「お前たち、組合を作って会社を潰す気か」とか、本当に子どもみたいなことを言う。みんなも、自分が就職した会社で、そういうことを言う人には気をつけたほうがいいですよ。

 

(初めての団体交渉にのぞむ)

 

◆会社の不当労働行為は、ボーナスの不支給にまで発展

組合を作って初めて団体交渉を行いました。

僕たちが会社に主張したかったのは、固定残業代は本来の残業代ではないでしょということなのですが、会社は、いや、これは残業代だと主張するんです。最初こそ誠実な弁護士さんが会社に就いてくれたのですが、彼が解任されて、今度は、まともじゃない弁護士さんが就きました。そこからが本当に大変な闘いでした。会社も色々な酷いことを僕たちにしてきました。

時間がないので詳しくは話せないのですが、ダメージが大きかったのは、その年の冬のボーナスが支払われなかったことです。ボーナスを組合員にだけ払わないということをしてきたのです。組合員じゃない人たちには払って、組合員には払わないと。

会社の言い分は、僕らが残業拒否闘争をしたからだと言うんです。つまり、僕たちは、固定残業制という違法状況の中では残業をしませんと主張して、ハチマキを巻いて、腕章を巻いて、会社と争議行為をしました。会社は、そういう人たちにはボーナスを払いませんと言うんです。闘争を解除しない限り、払わないと。

これは辛かったです。田井自動車で働く者にとって12月の賞与というのは、何せ普段の給料が安いので、下手をすると年収の3分の1ぐらいは占めるものだった。人によっては、それで年間の生活をまかなっているなんて人もいた。会社はそういう事情を知ってしかけてきた。そういう意味では、本当にずる賢いと思いました。

当然、組合として抗議はしたんですけれど、社長に抗議しても「弁護士に言え」と言われ、常務に抗議しても「社長に言え」と言われ、担当じゃないから答えられないとたらいまわしにされて。

組合員の中には、子どもが大学受験だという人もいたので、本当に大変でした。

でもそのとき、札幌地域労組が「闘争資金」を切り崩して、僕らに貸し付けをしてくれました。そのおかげで、年を越すことが出来ました。

 

(労働組合だからこそ、違法な行為に対して毅然と向き合うことができます)

 

 

◆勝利和解と、新たな労使関係の構築へ向けて

闘争資金をお借りして、裁判も進んで、今日は時間がないので、そこから話は一気に飛びますが、去年、急転直下なんですけれど、裁判も終盤にかかってきたときに、和解したいという話が会社のほうから出てきました。和解させてください、と。

それで、僕たちは今、会社と和解をして、経営陣も交代しました。社長が交代して、さきほど話した、森田グループの田井自動車として再スタートすることになっています。今度の会社は組合を認めてくれている。だからもちろん僕たち組合も、今後は会社をちゃんと認めていくことになる。

労働組合と会社とで新しい関係、労使関係というものを作っていくことになると思います。今はそういう段階です。

(寒い冬だからこそみんなで団結⁉)

◆会社に労働組合ができるということ

最後に、組合を作ってから、とくに和解をしてからの会社の状況を話しておこうと思います。

まず有給休暇は取りやすくなった。みんな、好きなときに有休を取っています。

それから、僕たちをあれだけ苦しめた固定残業制も撤廃されました。

新しくウチの社長になる森田の社長が会社に来て、うちは固定残業制ではない、残業代はキッチリ払いますということで去年ぐらいから残業代は支払われています。なので、繁忙期になれば、給料も倍近くまで上がります。そういう部分では、みんな、生活が改善されたと思います。自分たちの労働環境が180度変わりました。

ちなみに、組合員の何名かは昇格しまして、僕もその1人です。

昇格したことで、それこそ、昔僕らに対して「帰れると思うな」とか「休めると思うな」と言っていた上司は、今度は僕の部下になりました。だからといって僕が逆に「休めると思うなよ」とか彼に言ってしまえば、同じ人種になってしまうからそれは言っていませんよ(笑) そういう大人になってはいけません(笑)

 

◆労働組合・組合活動にとって不可欠なのは仲間の存在

(組合活動は仲間がいればこそ)

 

変な言い方に聞こえるかもしれませんが、僕たちが組合を作って闘ったお陰で、会社も変わった、良くなったと思います。

そして、これまでの闘いを振り返って、何が一番大事だったのかなと思うと、やっぱり仲間です。信頼し合える仲間。僕1人で闘うなんていうのは絶対に無理だし、もたなかったです。みんながお互いに支え合った。何でも愚痴を言い合える仲間がいたからこそ、厳しい闘いもなんとか乗り切ってここまでやってくることができた。

これから僕たちは、本当に良い消防車を作っていきたいと思います。消防車を見かけたら、僕たちの働いている田井自動車で作ったクルマだと思ってもらえると嬉しいです。

今日はどうもありがとうございました。

 

 

(仲間の存在と多くの支援で勝利することができました)

 

 

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