母が涙した理由
わが家に初めてテレビがやって来たのは、私が四~五歳の頃だったろうか。勿論、白黒である。
その当時の記憶は殆どないのだが、テレビのことで鮮明に記憶している出来事がある。それは荒野に積まれた頭骸骨の山、それに手を合わせる僧侶、そしてそのシーンを観て流れた母の涙だ。
それが市川昆監督のビルマの竪琴であると知ったのは、ずっと後になってからだ。
私はたぶん、大人が泣くということを、そのとき始めて見たのだと思う。しかも、泣いているのは、幼子にとっての太陽とでも言うべき母なのだ。その時の私は、たぶん相当うろたえたに違いない。
当時の私には、その映画の内容を理解できるはずもなかったが、戦争というものは頭蓋骨の山ができること、そしてこの世で一番大好きな母が悲しむことを理解した。
こうして、母の戦争を憎む気持ちは、私の思想の根幹となった。東京での高校時代は、ときに機動隊に殴られながらもベトナム反戦デモに参加し続けた。その経験は、現在の戦争反対にこだわる労働運動につながる。
いま、戦後67年間続いてきた世界一戦争しづらい国家が、「美しい国」とか「強い国」などという怪しげなフレーズとともに揺らいでいる。
私は後の世代に対し、「あの当時、心の中では皆戦争に反対したんだけどね・・・」などと言い訳はしたくない。
戦争に駆り出されて骸骨の一かけらにされるくらいなら、たとえどのような妨害弾圧を受けようとも、世界中の母が流した涙を武器に、戦争に反対し続けようと思う。
2013年12月6日 毎日新聞(北海道版)掲載 Re:北メールより
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