NPO法人さっぽろ自由学校「遊」が発行する『ゆうひろば』第192号(2024年10月号)に掲載された原稿です。
これからの地方自治について~あらゆる分断を乗り越えて
私は、現在3期目を務める石狩市の市議会議員です。突然ですが、皆さんの人生において、自分が「議員」になろうと一度でも考えたことはあるでしょうか。選挙カーに乗って、街角に立ちマイクで語りかけるには、何かのリミッターが外れていないとできません。私のリミッターが外れたのは、児童福祉や困窮支援の仕事に関わってきたこと、そして身体を壊し無職となり、38歳で実家に戻ったこと。たまたま、脱衣場で母が私の腹部に皮膚ガンを見つけたことでした。ガンは切除で完全治癒したのですが、時は安倍政権が戦争法案を強行採決しようとしていた頃。連日のニュースに怒りと焦燥感で身悶えながら、この拾った命で何ができるか考えていました。「私にはあの人たちに代わって語らなければいけないことがある」という気持ちが飽和状態となったときに、奇しくも「選挙に出ないか」と誘われてしまったのです。
1970年代から1980年代に生まれた就職氷河期(ロスジェネ)世代には、大卒でも非正規雇用や無業で社会人としてキャリアをスタートした人もおり、現在も雇用が不安定な人が多くいます。「私」を通して、結婚・子ども・マイホームが簡単なことではない「層」について、そしてその家族や労働・福祉の問題を提起したいと思ってきました。
そのような「初発心」を原動力としてこれまで9年間、会派には所属せず、ひとり誰に忖度することなく議会活動に取り組んできたわけですが、今、自分の胸に去来するのは、誤解を恐れず言うと「虚しさ」です。
この「虚しさ」は何か。まず半分は自分自身への「憤り」です。私は会派に所属していないため、どんなにがんばっても議会運営上の発言権がありません。そして、初めにお世話になった市民ネットワーク北海道では、住民の地域活動をベースとし、議員を代理人とする活動を行っていました。この仕組みは、杉並区長である岸本聡子さんが提唱する「ミュニシパリズム」の走りともいえる、生活者が自治する画期的な仕組みです。そこを自ら離れてしまった。新たな自治グループを組織することは、そう簡単ではありません。これは、目下の課題でもあります。
そして、もう半分は「住民自治」への虚しさ。地方自治の根幹は、代表民主制であり、住民によって選ばれた首長と議会議員が相互にけん制し合う二元代表制によって、適度な緊張関係で住民にとって必要な議論を行います。議会側の議決権の行使には、住民が意思の反映を求め、議会に力を吹き込まなければ機能しません。
市民自治を定めた自治基本条例、そして市民参加制度は、策定から20年を経過し、どこの自治体でも「とりあえず意見は聞きました」「一部の市民からの反対意見は参考にします」と、単なるアリバイに成り下がっているようです。市民関心が薄れるごとに、議会はその監視機能を失っていき、執行者は住民意見を重視しなくなります。そして議会は執行者の追従するだけの存在となっていきます。さらに、そこに追い打ちをかけるのは、国による地方自治法改正やマイナンバーなど地方に対する権限強化。
このように、地方自治の根幹である住民自治とその独立性が危ぶまれる事態となっています。それを如実に実感できるのが、国が急速に推し進める原発再稼働と再生可能エネルギーによる「脱炭素社会の実現」ではないでしょうか。
さっぽろ自由学校「遊」の「このままでいいの?再生可能エネルギーの進め方」講座をご存じでしょうか。この10月からなんとPART15を迎えるそうです。2012年から活動する「石狩湾岸の風力発電を考える石狩市民の会」の共同代表を務める糟谷奈保子さんは、再エネ問題の本質を広く知ってもらうことで、「再エネの否定=原発の肯定」という根強い誤解を解消し、本州送電のための北海道での過剰な再エネ推進がもたらす、自然環境、生活環境への影響の甚大さを訴えています。私たちの町の森林や海洋や水や大気、そして景観は公共財であり、競争市場経済で切り売りされてよいものでないはずです。
自然豊かな厚田区では、既に稼働しているものも含めて4事業最大57基の風車建設が予定されています。そして、石狩湾には、港湾内に巨大洋上風力発電が14基稼働し始めており、一般海域には、現在10社が名乗りを上げ、最大200基もの風車が立ち並ぶ計画をしています。開発を伴う「推進」は、「保全」と「規制」が両輪でなければなりません。不適切な開発に歯止めをかけ、守るべきものをどう守るか示すのも自治体の責務です。
石狩市は再エネを新たな産業と位置付け、地産地活、再エネ利用のロープーウェー構想などを進めています。国策とマッチさせることで財源と税収を確保し、持続可能なまちとしたいとする一方で、生物多様性の損失や、森林伐採による自然災害、住宅地に近接した騒音リスクについては真剣に向き合っているとは言えません。国は「風力発電から発生する低周波騒音は睡眠に影響を及ぼすが、すなわち健康影響があるとは言えない」という理解しがたい見解を示しており、計画基数が累積していくにつれ騒音被害のリスクは上がるのに、地元住民の懸念は、聞きっぱなしで誰も答えないままに、押しすすめられる制度となっています。このように問題が山積しながら、再エネ問題はその分かりにくさから、市民に広く共感を得られず、当初から一部強硬な市民による反対運動という印象をつけられてしまい、市民間、または行政との間に、埋め切れない溝が深まってしまいました。私自身も議会での対立を続けたことでその溝をより深めたと反省しています。反対運動による地元の分断は、全国の住民運動で課題となっています。しかし、石狩の会の長年の学習会の積み重ねや地域に入っての署名活動、前代表である安田秀子さんが前回市長選に出馬してまで市民に広く訴えたことで、確実にこの「おかしさ」への気づきが市民に浸透してきていると感じます。民意が動くと執行者もただつっぱねているわけにはいきません。
行政に背を向けた「電力イデオロギーの分断」から、「地域に根付いた自治的な民主主義や合意形成を目指す地域主権」ための議論に昇華できるか。地域主権者として、あらゆる分断を超える意識の変革が全ての住民に求められていると感じています。