駒川智子・金井郁 編著『キャリアに活かす雇用関係論』が世界思想社から2024年1月に出版されました。金融・労働研究ネットワークの事務局長である田中均さんが同書に寄せてまとめられた文章をご提供いただきました。どうぞお読みください。(管理人)
今年1月に出版された「キャリアに活かす雇用関係論」(世界思想社)は、職場における男女格差をどう解消するか、働く者の権利をいかに発展させるかが編集の柱となっています。北海道新聞2月4日付は「企業男女格差どう解消」の見出しで、同書執筆者の駒川智子北海道大学教授と北海学園大学の川村雅則教授へのインタビューを掲載。同書の編者の一人でもある駒川教授インタビューの見出しは「現状を変える思考力を」とあり、川村教授インタビュー記事見出しは「性別役割分業を見直せ」として同書に託した思いを示しています。
また、3月2日には出版記念シンポジウムが東京のお茶の水女子大学で開催されました。
S信用金庫従組の取り組み
育児短時間勤務制度改善めざして
同書を読み進め、出版記念シンポジウムにも参加する中で、金融労働運動の立場からどう受け止めるか考えました。駒川教授の「現状を変える思考力」をどう受け止めるか。
金融労連の機関紙「金融労連」(2024年4月25日号)は、「真に助け合える職場とは… 将来勤め続けたいと思える職場とは…」をテーマに、傘下のS信用金庫従組の「育児短時間勤務制度」拡充に向けた取り組みを紹介しています。これを「現状を変える」一つの事例として検討します。
同制度は3歳までの子どもを育てている労働者が、雇用主に申し入れをすると1日の所定労働時間を6時間に短縮する制度で、「育児・介護休業法」で義務づけられています。S信用金庫従組がこの制度の拡充に取り組むきっかけとなったのは、2023年の従組の定期総会です。
そこで従組執行部は「職場の改善に向けて全力で取り組みたい。具体的に職場改善を望む声を中央執行部に寄せてください」と呼びかけました。この呼びかけに育児をしながら働いている女性から1通の手紙が寄せられます。その内容は、働き続ける女性としての切実な訴えであり、特に育児短時間勤務制度が拡充されなければ働き続けることができないという訴えでした。この声を契機に従組は、育児短時間制度拡充に向けて、当該組合員を中心に要求実現に向けて行動していきます。
法律上の規定では、3歳未満の子供を育てている労働者は1日の所定労働時間を原則6時間までとすることが義務づけられています。これに対してS信用金庫の育児短時間勤務では所定労働時間を5時間20分までとされていて、子どもが3歳までは法律の基準を満たしています。しかし、子どもが3歳以上になると、短時間勤務の対象外となってしまいます。
従組は現在の働き方改革や女性の社会進出、共働きでなければ到底生活のできない現在の日本の賃金の現状から、法律の基準を上回る育児短時間勤務制度の拡充が必要なことと検討します。S信用金庫は「次世代育成支援行動計画」を打ち出していて、2025年3月までに育児短時間勤務制度を拡充すると宣言していますが、従組は2025年3月の期限までに1年を切った現時点でも実現していないことを指摘し取り組みを進めます。
従組は同制度の拡充を訴えた組合員と協調してアンケートを2回実施。育児短時間勤務が拡充されて小学校3年生まで対象になったら利用したいか、短時間勤務の時間帯をどのように利用したいかなどについて、対象となる組合員ほぼ全員の意見を集約しました。この取り組みによって従組は同制度の拡充を本当に切望している組合員が多数いること、制度拡充が育児をしながら働き続けるために必須であると確信しました。
育児と仕事の両立に「小1の壁」
従組は、さらに「小1の壁」の問題に踏み込んでいきます。子供が小学校に進学すると、働き続ける労働者はそれまでになかった新しい「壁」に直面します。保育園に通っている間は、親が通常の保育時間より早く出勤する場合、多くの保育園は早朝の時間外保育を受け入れていて、夕方も保育時間終了後の延長保育に対応しています。
子供が成長して小学校に入学することは本当に喜びです。しかし、とりわけ第1子が小学校に入学したときに、学童保育が仮にあったとしても学童保育が終わる時間までに親が帰宅できる保証はありません。子供の祖父母などたよれる人が近くにいない場合、近所の人間関係が疎遠な現在、若いカップルにとって親が帰宅するまでの時間、子供が一人きりになるのは恐怖です。低年齢層の児童までが性犯罪被害者となっている今日、これは現実的な恐怖です。
S信金従組は育児短時間勤務制度の拡充に取り組む中で、こうした「小1の壁」の問題を浮かび上がらせ、さらに金融機関の年末12月30日休日化実現をも「育児と職業両立」の視点から取り上げています。
金融機関の12月30日休日化は、これまでも金融労組が要求してきたものです。S信金従組は、「小1の壁」問題から、さらに学校の春・夏・冬休みの子どもの食事の世話をどうするかなどを分析。働き続けながら子育てをしていく労働者が直面する「普通に出勤することが当たり前ではないケース」が多数あることを明らかにします。
12月30日休日化の要求も、これまでの一般的な休日化要求ではなく、具体的に育児中の労働者が直面する困難の解消に必要な要求として提起したのです。育児短時間勤務制度を子どもが小学校3年まで拡充すること、12月30日を金融機関の休日とすることの二つの要求は、4月19日に行われた全国金融共闘の統一行動における金融庁への要請行動の中でも要請しました。
週休二日制と「特定日」
保育園のお迎えに間に合わない
現在進行中のS信金従組の取り組みを「キャリアに活かす雇用関係論」に寄せて紹介したのは、現在の金融職場の現実、職場で何が起きているのか、労働組合はどう対応しているかを1例として確認するためです。S信用金庫従組の育児短時間勤務制度拡充のニュースに、1989年に金融機関の完全週休2日制が実現した時に女性たちが直面した困難がよみがえりました。
週休2日制は金融労働者が実現を目指して取り組んだ課題です。長い年月をかけて取り組まれ、まず月に1度の土曜日(第2土曜日)の休日化を実現し(1983年)、次に第3土曜日を休日化(1986年)を実現しました。完全週休2日制は市銀連など大手銀行の労働組合を含めて、ほとんどの労働組合が要求して実現しました取り組みです。
この完全週休2日制要求の実現は、共働きと育児・子育てを奮闘する若いカップルに大きな福音となるはずでした。しかし、金融機関は完全週休2日制の実現と同時に、1日の所定労働時間の延長を強行しました。所定労働時間の延長は、土曜日の休日化で短縮される年間総労働時間を、平日に10分とか20分延長で相殺するか、月末、月初あるいは週初、週末を「特定日」として30分~1時間超の大幅延長として行われました。
育児・子育てと仕事をギリギリでやりくりしていた女性たちから「これでは保育園のお迎え時間に間に合わなくなってしまい働き続けることができない」と悲鳴のような声が出され、私たちはこの問題での研究会を開きました。金融機関によって時間延長のやり方が異なり、労使関係も異なることから実際に労働時間延長が出されたら、そこでどのように対応するか検討しようと言うことで研究会は終了しました。しかし、この研究会に地方の銀行からかけつけた女性たちは、そういう結論では仲間たちが退職に追い込まれると言い、席を立とうとしませんでした。
彼女たちの周りに、この所定時間延長が大きな壁となってしまう女性たちが存在していたのです。
当時、特定の日の労働時間を大幅に延長する変形労働時間制の法制化に際して、育児や介護を抱える労働者には「特例措置を」を与えるべきことが(当時の)労働省通達で出されていました。私たちは職場でその「特例措置」を実現することを提起しました。だが、その過程で、特例措置以前に労働基準法で定められた「育児時間」が現実にとれているかどうかが問題になりました。
「育児時間」さえ確保できない
労働基準法の「育児時間」は生後1年以内の子どもを抱える女性労働者に対して、1日に2回30分、あるいは1日に1回1時間与えられます。しかし、当時の金融機関の労働実態は異常なほどの過密労働でその過酷さは、みずほ銀行の前身である富士銀行兜町支店の23歳の岩田栄さんが過労死した事件に象徴されています。そういう金融の職場実態の中で、この「育児時間」が確保されているかどうかが問われたのです。
銀行労働研究会の発行していた「ひろば」編集部は「育児時間」の対象となる出産後1年未満の女性に取材しました。I県の地銀に働くKさんに電話したとき、彼女は電話口で声を低くして「育児時間はとてもとれないけれど、母乳を絞ることはできます」と答えてくれました。私は「育児時間」と「母乳を絞る」と言うことが結びつかず、一瞬戸惑いました。Kさんは育児時間を授乳に伴う時間と考えて、授乳はとてもできないけれど仕事中にトイレで母乳を絞って処分することはできますと答えてくれたのでした。
この前後には損害保険労働者を組織する全損保の青婦センターが行ったアンケートで「どんなときに会社を辞めたいと思ったか」との問いに「一人目の子どもが生まれ、ありあまる母乳をトイレに捨てなければならなかったとき」という回答がありました。
以上は1980年代末期の育児時間に関わる状況です。完全週休2日制の実現は多くの金融労働者の願いであり、その実現は金融労働者全体に大きな福音となったことに異論はありません。同時に、休日が増えてもその結果として困難な中でなんとか働き続けてきた労働者、とりわけ女性が切り捨てられてしまう事態に直面したのです。
そして、特定日に対応する特例措置実現を呼び掛ける中で、実は労働基準法に定める「育児時間」すらまともにとれない現実があることが明らかになったのです。
「法というものの考え方」の渡辺洋三氏は実定法としての法律条文と現実社会の中で機能している規範との乖離=法律条文が現実の社会関係を規制するものとなっていない現実を指摘しています。「育児時間」に限らず、時間外労働賃金の不払い、賃金、昇進、処遇の男女差別など法律の定める権利関係とはかけ離れた規範が企業社会を規制する現実があります。
駒川教授の北海道新聞の記事見出しが「現実を変える思考力」とされていました。労働組合運動の側からこの言葉を受け止めると、変えるべき対象・現実の労使関係をどう捉えるかが問題となります。変えるべき現実がどうなっているのか。今年4月にシカゴで開催されたアメリカのレイバーノーツの大会に、全労連傘下の首都圏青年ユニオンの若い組合員が3人参加しました。その大会報告は当サイトにアップしました。(首都圏青年ユニオンの3人がレイバーノーツ大会報告)
青年ユニオンのレイバーノーツ報告
アメリカの労働運動が活発化し、注目されていますが、その中でレイバーノーツは積極的な役割を果たしています。報告の中で「ランク・アンド・ファイル」の活動が強調されています。ランク・アンド・ファイル(Rank-and-file)というのは平社員、一兵卒、一般組合員という意味らしく、運動の原点、出発点は労働組合幹部の上からの方針ではなくて、現場の一般組合員の直面している現実、矛盾であるべきで、運動の主体も現場の一般組合員であるべきだという意味です。
日本の労働運動でも「出発点は職場」という言い方は一般的にしますが、青年ユニオンの組合員は、それがレイバーノーツの運動の中で徹底して強調されることに強烈な印象を受けて、その感激を報告しています。
S信用金庫従組の取り組みは、このランク・アンド・ファイルの活動と重なります。執行部が「職場改善の声を出してほしい」と訴え、育児短時間勤務制度の拡充を求める1通の手紙が執行部に寄せられた。その訴えを出した従業員と協調して、対象となる組合員の声をアンケートで集め、育児・子育てを抱える労働者が直面している困難が様々に存在する=「普通に出勤することが当たり前ではないケースが多数ある」ことを明らかにします。
従組は「普通に出勤することが当たり前ではないケースが多数ある」と言うことで、育児・子育てを抱える労働者が働き続けることのできる職場へ「現状を変える」取り組みを提起しました。
そのS信用金庫従組の取り組みを、完全週休2日制実現時の特定日労働時間延長における状況と比較すると、この間25年を経ているのですが育児・子育てと仕事を両立させていくことが依然として困難な状況にあることが分かります。同時に、1989年時点では法定されていなかった育児短時間勤務制度が生後3年までながら義務づけられ、S信用金庫従組は首都圏の信用金庫の事例として西武信用金、芝信用金庫が小学校卒業まで、城南信用金庫、川崎信用金庫、横浜信用金庫が小学校3年生まで制度の対象になっていることを上げています。
1989年には法定されていなかった育児短時間勤務制度があり、その基準を上回る制度を実現している信用金庫が存在している。これが25年前と現在の違いです。何をどう変えていくべきか。変えていくべき現実をどう把握するか。これは繰り返しになりますが、ランク・アンド・ファイルで現場の声をどう引き出すかにかかっています。組合幹部が幹部目線でこう変えていくという提起も必要で、多くの場合それが一般的です。
同時に、まず職場の声に耳を傾ける。普通の組合員が声を上げる場を組織する。その中から変えるべき現実を分析する。レイバーノーツでは、労働組合の専従活動家は会議で発言するのではなく、組合員の発言を回していくことが仕事だと強調されていたと報告されました。
「真に助け合える職場」を目指す
そして、このランク・アンド・ファイルは変えるべき現実を把握・分析する基本となるだけではなく、要求を実現する運動の中でどういう労働組合と職場を構築していくかをも規定するものです。「金融労連」の記事の見出しが「真に助け合える職場とは…将来勤め続けたいと思える職場とは…」となっていました。
そして、従組は「小1の壁」その他の問題を分析する中で「育児と仕事の両立には家庭と何より職場の理解が必要」と訴えています。先に紹介した全損保青婦センターのアンケートで「どんなときに会社を辞めたいと思ったか」との問いに「一人目の子どもが生まれ、ありあまる母乳をトイレに捨てなければならなかったとき」と答えた労働者は、「会社を辞めたいと思ったときに、それをどうやって乗り越えたか」との問いに「夫、乳児室の先生、先輩がそれぞれの立場で励ましてくれた」と答えています。
「キャリアに活かす雇用関係論」への思いが「現状を変える思考力を」とされました。金融の職場の現実で考えると、同書の思いを受けた上で「ランク・アンド・ファイル」の確認。職場の具体的な現実を把握し「真に助け合える職場」をめざすことが提起されます。