西千津「コロナ禍で見えてきた留学生たち」

特定非営利活動法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)の発行する情報誌「Migrants Network (M-net) 」第216号(2021年6月号)に掲載された西千津さん(カトリック札幌司教区難民移住移動者委員会)による原稿の転載です。どうぞお読みください。

 

 

留学生支援の経緯

2018年9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震によりブラックアウト(大規模停電)が起こり、札幌市内は思わぬ事態を目のあたりにした。空港や次の予定地までの公共交通網が途絶え、行き場を失った外国人観光客が、情報を求めてどんどん市内中心部に集まってきた。そして、応急措置として公共施設に作られた避難所は外国人観光客でいっぱいになった。その数は予想を大きく超え、北海道が観光地であることを改めて認識した時であると共に、おそらく北海道ではこの経験が災害時の外国人対応を強く考えるきっかけとなったと思われる。しかし、電力の復旧が進むと、いつもの生活に戻り、札幌は東京2020オリンピックマラソンと競歩の開催地となったこともあり、新しいホテルが乱立するなど観光客誘致が加速していった。

2020年1月、北海道内で新型コロナウィルスの感染者の発生が伝えられると、毎年恒例の雪まつりの後、あっという間に市内から観光客は消え、2月末、北海道は独自に緊急事態宣言を発表した。ホテルや飲食店が軒並み閉まり、教会に来ていた技能実習生や留学生にも会えない状況となり、彼らの生活が心配になった。そこで、生きづらさを抱える人への支援を行っているカリタス家庭支援センター(2021年3月閉所)と相談し、4月中旬、「特別寄付のお願い」という手紙を支援者と教会関係者に送った。教会でのミサが中止となっている状況で、手紙をどのくらいの人が目にするかは未知数だったが、幸いなことに多くの方から寄付をいただき、支援を可能とした。コロナ禍の支援では、いち早く「反貧困ネットワーク」が一人2万円の支援を始めていたので、私たちも現金2万円を渡すことにした。そして、生活困窮者への炊き出しが中止されたことに伴い、お米がたくさんあるという話を受け、お米も小分けして一緒に渡すことにし、ゴールデンウィークには支援を開始した。

正直なところ、私自身はここ数年、技能実習生に関わることが多かったので、支援対象者は稼働率が減少して、給与が少なくなった技能実習生を想定していた。ところが、コロナ禍の支援で浮き彫りとなったのは、技能実習生ではなく、観光地札幌を支える留学生の存在だった。

 

戸惑う留学生たち

SNSと留学生のネットワークを利用して支援を呼びかけ、コロナ禍ではあったが、できるだけ一人一人に会うようにした。「コロナの前後で生活がどう変わったか」「母国の家族は大丈夫か」「今、一番困っていることは何か」この質問を繰り返しながら、相談できる場所があることを伝えた。始めは誰もが緊張している。支援を受ける前の緊張した顔が、支援を受け、笑顔に変わる瞬間、支援している側も笑顔になるが、その支援はほんのわずかなものでしかないことは私自身もよくわかっていた。

困窮状態は、人それぞれ違い、在留資格でも国籍でも大学の違いでもなく、現状の受け止めた方も違った。観光客減少は国際送金を扱う窓口の閉鎖にも発展し、母国からの送金を受け取ることができなくなった留学生は途方に暮れていた。また、経済的な不安よりも精神的な不安が大きくなる場合もある。コロナ禍で利用されるようになったオンライン授業も不安要素の一つだった。来日後、すぐにオンライン授業となり、一人暮らしをしていた留学生はどこへも行けず、一日のほとんどを一人、部屋で過ごし、オンライン授業が終わっても、「退出」ボタンを最後まで押せずにいた。誰にも会えず、誰に相談していいのかもわからず、ホストが強制終了した画面を繰り返し見つめ、泣いていた。

2020年11月初め、入国が緩和された後、2021年1月7日、1都3県に緊急事態宣言によって新規入国者の制限が行われるまでの間に入国した日本語学校の留学生が食糧支援を求めて、やって来た。彼らに「なぜ、今?」と尋ねても仕方がなかった。彼らもまさかこんな状況だとは思っていなかったようだ。入学金と一期目の学費も借金をしてやって来た彼らは、生活費はすぐにアルバイトで賄えると思っていたのだ。日本語学校のHPには「語学力に合わせて、様々な種類のアルバイトを紹介いたします。」と記載されている。彼らはそれを信じて、学校にアルバイトを紹介して欲しいと伝えた。すると、「2月まで待って欲しい」と言われ、それが「3月まで待って欲しい」になり、北海道で春を迎えた今も待っている。

 

支援から見えてきたもの

多くの私費留学生が資格外活動の許可を得て、週28時間以内と決められているアルバイトをしている。時給にもよるが、私が出会った留学生の多くが、コロナ前は1ヶ月10~12万円を稼ぎ、半分を生活費に半分を学費に充てていた。そして、夏休みや冬休みを利用して、学費の不足分をその時期に稼いでいた。日本へ来て間もない頃は、日本語を使わずにできるホテルの清掃や皿洗いをし、少しずつ日本語ができるようになると、コンビニ、居酒屋等の飲食店やドラッグストアへと移っていく。しかも夜中から明け方にかけては時給が高い。札幌の歓楽街「すすきの」で有名な店の深夜帯で働く留学生がたくさんいたことを支援の過程で初めて知った。彼らは皆、「すすきの」のはずれに住み、仮眠をとって、学校へ行き、学校から戻るとまた数時間寝て働くという生活を繰り返していた。

仕事を失った人がいる一方で、変わらない生活をしている人がいる。その一例として、病院や介護施設でのアルバイトがある。高齢者が食べやすいように食材を小さく切る作業を行い、それが終わったら、配膳の補助を行っていた留学生は、単調なアルバイトは大変だと言っていたが、仕事を失うことなく、働き続けることができている。また、今回の支援で出会った介護の専門学校に通う留学生は、介護施設で派遣扱いのアルバイトをしている。留学生は、派遣会社に日本語学校と専門学校の授業料を奨学金という名目で払ってもらっているので、卒業後は関連施設で働き、奨学金を返済することになっている。2017年の入管法改正で「介護」の在留資格が新設され、それに伴い、日本語学校と専門学校で学んだ留学生がこの春、北海道内で働き始めている。

 

「観光立国推進基本法」「クールジャパン戦略」等により増加した外国人観光客向けにいろいろな取り組みが行われ、日本経済が潤っていた背景には観光業で働く多くの留学生の存在があったのだ。「留学生30万人計画」が発表された2008年には「観光庁」が設置され、30万人の目標値は2020年だった。2020年を前にその目標値は達成されたが、今、コロナ禍で彼らのアルバイトは停滞したままである。コンビニで働いていた人でさえ、働く時間を調整されてしまい、生活するのも大変な状況に陥っている。先生に学費の支払いが難しいと伝えたところ、「あなたたちの学費が先生の給与になるのだから、親戚に借りてでも払いなさい。」と言われた人もいる。留学生は労働者ではないが、今や日本の労働力の一部を担っている彼らの現状を誰が把握しているのだろうか。

受け取った特別定額給付金はあっという間に消え、「住宅確保給付金」の申請を行い、家賃の補助を自治体にお願いした。「緊急小口資金」20万円を借りた人も少なくなく、学費支払いの目途が立たない人は、「総合支援資金(生活支援費)」を申し込み、更にお金を借りて、この春を乗り切った人もいただろう。しかし、秋には次の学費の支払いが待っている。2019年まで観光地札幌は留学生の夢であふれていた。しかし、今は何も見えない。それどころか、学業の継続が難しい人もたくさんいるだろう。

留学生ではないが、日本国籍を持つ外国に繋がる学生にも出会った。日本人の父親を亡くし、外国籍の母親がホテル清掃で生活を支えていた。しかし、やはりコロナ禍で仕事を失い、わずかな休業手当で何とか生活をしていたが、公共料金の支払いが滞っていた。この春、息子は念願の大学に合格したが、国の教育ローン(奨学金)を借りることができなかった。理由は、公共料金を期日内に支払っていないからだった。

コロナ禍で彼らに出会い、彼らの生活を知り、大学等によっては人材育成のためではなく、組織運営のために学生を受け入れているのかと思うようなところもあった。もちろん働くことが目的の留学生にも出会った。しかし、これは大学等教育機関だけの問題ではないはずだ。彼らを取り巻く全ての環境に関わることであり、日本社会の問題である。建前と現実の狭間で生きる彼らから日本社会の矛盾を強く感じる。その矛盾をそのままにしていいはずはない。

 

 

 

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