中澤秀一「少子化対策としての最低賃金引き上げの必要性」『労働総研クォータリー』第132号(2024年秋号)pp.46-54
はじめに
児童手当の2024年12月支給分より対象拡大や多子世帯の支給額が増額される等、政府が掲げる「異次元の少子化対策」が、現在進められているところである。ただし、これらの「異次元の少子化対策」はいずれも子育ての支援策である。真に少子化問題の解決をめざすならば、経済的に家族形成ができるくらいのゆとりを創り出すこと、すなわち、いまある貧困問題を解決し、これ以上人々が貧困に陥ることを防ぐことが重要であると考える。そして、そのゆとりを作り出す基盤として、最低賃金の引き上げが有効であることを本稿で論じてみたい。
野原ひろしエリート説と♯月48万円必要
筆者はこれまでに全国27都道府県において最低生計費試算調査(以下、生計費調査)の監修を担当しており、本稿の論考は生計費調査の結果から得られた知見をベースにしている。生計費調査の手法は、主に各単産・ユニオンの労働者などを対象に、生活のパターンを調べる「生活実態調査」および持ち物をどれくらい所有しているのかを調べる「持ち物財調査」を実施し、その結果を精査し生活に必要な費用をひとつひとつ丁寧に積み上げる、マーケット・バスケット方式を採用し、科学的に最低生計費(=普通に暮らすための費用)を算定している。[i]
ときおり、インターネット上で生計費調査の結果がバズる(=広く拡散され話題になること)ことがあるのだが、特に世の中の反響が大きかった2017年の埼玉県調査と2019年の京都府調査について紹介してみたい(調査結果については、表1および表2を参照のこと)。
埼玉県調査は、2017年4月17日付『朝日新聞』(デジタル版)への記事掲載が発端である。「埼玉で人並みの生活、月収50万円必要」の見出しで始まる記事は、埼玉県さいたま市内で暮らす4人家族(30歳代夫婦+小学生+幼稚園児)が人並みの生活をするためには、月額約50万円が必要なことが調査から明らかになった、という内容であった。記事掲載後、インターネット上にあるさまざまなサイトの書き込み欄には賛否両論が入り乱れた。それらの書き込みをエゴサーチしていた筆者の関心を引いたのが、「野原ひろしエリート説」である。野原ひろしとは、漫画・アニメ番組『クレヨンしんちゃん』の主人公しんのすけの父親である。調査のモデル世帯と同様に、埼玉県(春日部市)内にマイホームを持ち、自家用車を所有し、子ども2人を育てるためには、記事にあるように月50万円かかるのだとしたら、30代の野原ひろしはエリート社員ではないか、というところから「野原ひろしエリート説」が生まれた。野原家はエリートでも何でもなくごく一般的な庶民なのだが、現代の経済感覚でみるとエリートになってしまうのである。原作が描かれた当時(1990年代)は、月に50万円稼ぐことは珍しいことではなかったのだ。それが、90年代半ば以降、日本人の賃金が下がり続けたことによって、「月50万円は高すぎる」という感覚になってしまったのである。
いっぽうの京都府調査は、2019年12月19日付『毎日新聞』(京都版)に掲載された「『普通の生活』月48万円 京都市内、30代の4人家族で」の記事がきっかけとなり、X(旧Twitter)上でさまざまな意見が飛び交うことになった。やはり、このときも賛否のさまざまな意見が旧Twitterに書き込まれ、たちまちトレンドワードになった(ちなみに、あまりに情報を求める人たちがアクセスした結果、調査主体であった京都総評のサーバーがダウンしてしまう)。この現象により、テレビ、ラジオなどのメディアもこのニュースを取り上げることなる。
ここ最近、「年収103万円の壁」が世間をにぎわせているが、これも生活に直結するお金の問題だからこそ世論の関心が高く、課税最低限の引き上げの是非をめぐって熱い議論が交わされているのだろう。
さて、これらの生計費調査をめぐるバズった事象に共通するのは、「家族形成には意外にお金がかかる」という事実である。確かに、低所得であっても結婚は可能ではある。しかし、結婚に至るまでの交際段階にはお金がかかる。いざ同居が決まれば、転居や家電や家具をそろえる初期費用も必要だ。経済的に安定していなければ結婚はおのずと遠ざかるのである。実際、生涯未婚率は1980年代まで数%の低位で推移しており、ほぼ皆婚社会であった。1990年代以降の雇用の劣化に伴い、生涯未婚率は急速に上昇し始める。いまの若者たちにとって家族をつくることは、誰にでもできることではなく、半ばステイタス化してしまっている。
表1 埼玉県最低生計費試算調査30代子育て世帯の結果(2016年)
(円)
生計費結果 | さいたま市南区在住 | |
30代夫婦と子ども2人 (幼児・小学生) |
||
居住面積(賃貸) | 42.5㎡ | |
A消費支出(1~10) | 391,157 | |
1食費 | 108,192 | |
2住居費 | 57,292 | |
3光熱・水道 | 18,191 | |
4家具・家事用品 | 18,356 | |
5被服・履物 | 20,156 | |
6保健医療 | 8,706 | |
7交通・通信 | 38,210 | |
8教育 | 26,986 | |
9教養娯楽 | 45,663 | |
10その他 | 49,405 | |
B非消費支出 | 68,807 | |
C予備費 | 39,100 | |
最低生計費(税抜き)A+C | 430,257 | |
D同上(税込み)A+B+C | 499,064 | |
同上(税込み)D×12 | 5,988,768 |
(注1)消費支出=食費、住居費、光熱・水道、家具・家事用品、被服・履物、保健医療、交通・通信、教育、教養娯楽、その他の総和、予備費=消費支出×10%、最低生計費(税抜き)=消費支出+予備費
(注2)その他には、理美容品費、理美容サービス費、身の回り用品費、交際費、自由裁量費(1か月6,000円)を含む。
(注3)非消費支出には、「所得税」、「住民税」、「社会保険料(厚生年金+協会けんぽ+雇用保険)」を含む。
表2 京都府最低生計費試算調査30代子育て世帯の結果(2018年)
(円)
生計費結果 | 京都市伏見区在住 | |
30代夫婦と子ども2人 (幼児・小学生) |
||
居住面積(賃貸) | 42.5㎡ | |
A消費支出(1~10) | 381,075 | |
1食費 | 112,881 | |
2住居費 | 63,542 | |
3光熱・水道 | 18,636 | |
4家具・家事用品 | 11,520 | |
5被服・履物 | 13,095 | |
6保健医療 | 8,440 | |
7交通・通信 | 53,185 | |
8教育 | 28,097 | |
9教養娯楽 | 26,192 | |
10その他 | 45,487 | |
B非消費支出 | 67,738 | |
C予備費 | 38,100 | |
最低生計費(税抜き)A+C | 419,175 | |
D同上(税込み)A+B+C | 486,913 | |
同上(税込み)D×12 | 5,842,956 |
(注)表1と同じ
若者が一人暮らしをするために必要な費用
先に述べたように、筆者は生計費調査に携わって全国各地で実施されている生計費調査の監修を行っている。子育て世帯、高齢単身世帯などのさまざまな世帯類型で生計費試算を行っているが、最も広範なのが若年単身世帯の生計費試算である。表3は、2024年に実施された埼玉県調査における若年単身世帯(25歳モデル)の最低生計費の試算結果である。2024年において埼玉県で普通に一人暮らしをするためには、男性で月額27万4,690円、女性で同27万4,152円が必要である(いずれも税・社会保険料込み)。
表3 埼玉県最低生計費試算調査25歳単身世帯の結果(2024年)
(円)
生計費結果 | さいたま市南区在住 | ||
男性 | 女性 | ||
居住面積(賃貸) |
25㎡ |
||
A消 費 支 出 | 196,906 | 196,368 | |
食 費 | 52,243 | 41,320 | |
住 居 費 | 54,167 | 54,167 | |
水道・光熱 | 10,205 | 9,852 | |
家具・家事用品 | 3,818 | 3,932 | |
被服・履物 | 8,142 | 7,258 | |
保健医療 | 3,519 | 6,624 | |
交通・通信 | 15,400 | 15,355 | |
教養・娯楽 | 25,843 | 27,648 | |
そ の 他 | 23,569 | 30,212 | |
B非消費支出 | 58,184 | 58,184 | |
C予 備 費 | 19,600 | 19,600 | |
最低生計費(税等抜き)A+C | 216,506 | 215,968 | |
D同上(税等込)A+B+C | 274,690 | 274,152 | |
同上(税等込)D×12 | 3,296,280 | 3,289,824 | |
月173.8時間換算 | 1,580 | 1,577 | |
月150時間換算 | 1,831 | 1,828 | |
2024年最低賃金額 |
1,078 |
(注)表1と同じ
ちなみに、今回の生計費試算で想定した普通の暮らしとは、次のような内容である。
・さいたま市南区の家賃52,000円のワンルームマンションに住み、最寄り駅の武蔵浦和駅から新宿駅まで通勤している。
・昼食については、男性はコンビニ等で弁当やパンを買い(600円)、女性も月の半分はコンビニ等で買うが、もう半分は家から弁当を持参する。仕事の後や休日の飲み会は月に2回で、1回あたり4,000円の支出。
・家電製品や食器類は、量販店にて最低価格帯で買い揃えている。
・仕事で着用する衣類については、男性は背広(43,890円)2着を4年間、女性はジャケット(6,355円)2着を4年間、スカート(3,990円)3着を3年間着まわしている。
・休日は家で休息することが多いが、2か月1回は日帰りで近場の行楽地に行き(費用は10,000円)、1泊以上の旅行(費用は30,000円)には、男性は年2回、女性は年3回行っている。
・コロナ禍を経て定着した映画、音楽、ゲーム、コミックなどの定額制コンテンツ(サブスクリプション)にかかる費用として月に3,000円。
・男性は2か月に1回、女性は3か月に1回、理髪店や美容院に行き、コスメなどの理美容用品費も加えたトータルの理美容費(月額)は、男性=3,485円、女性=8,881円。
けっして贅沢な暮らしではなく、むしろ質素ともいえる内容である。それでも、健康で文化的な要素をひとつひとつ積み上げていくと月額約27万4千円が必要になるのだ。また、今回の埼玉県調査は、2022年以降の物価高騰が、われわれの生活にどのような影響をもたらしているのかを知る手がかりともなった。前回までの調査とは、利用した統計資料が異なる(全国消費実態調査→全国家計構造調査)など、単純に比較することには注意を要するが、最低生計費は前回の2016年調査から13.6%上昇している(税・社会保険料抜きの最低生計費での比較)。個別費目でみると、食費で135.3%、水道・光熱費で148.6%など、上昇幅が大きくなっている。賃金も同様に上昇していれば物価上昇に対応できていることになるが、そこまで伸びてはおらず、実質賃金の下落基調は続いている。3年にもわたる物価高騰は、コロナ禍以上に労働者・国民の生活に深刻な影響を及ぼしていることがうかがえる。
今回の調査から試算された最低生計費を中央最賃審議会が用いている月173.8時間の所定内労働時間で換算すると、男性で1,580円/時間、女性で1,577円/時間となる。いますぐ、最低賃金は1,500円に引き上げるべきなのである。ただし、月173.8時間の労働時間は、お盆や年末年始の長期休暇、ゴールデンウイークなどの大型連休を想定しない“非人間的”な労働時間である。健康で文化的な労働時間としてかつて政府も政治目標としていた月150時間(年間1800時間)で換算すると、男性で1,831円/時間、女性で1,828円/時間となる。現在の埼玉県の最低賃金額は1,078円であり、全国加重平均1,055円は上回っているものの、今回の試算から得られた健康で文化的な暮らしを送るために必要な時給とは大きな隔たりがある。岸田政権下で初めて掲げられた1,500円という目標は、ただちに実現されなければならないことは先に述べたとおりだが、いまや労働運動が新たな目標として掲げるべきは、最賃1,700円、1,800円なのである。
独立できない若者たち
筆者が各地で生計費調査の監修を続けるなかで感じるのは、若者たちにとって一人暮らしをすることが困難になってきている状況である。
分析対象の一つである「若年単身世帯」とは、回答者の年齢が「20歳未満」「20歳代」「30歳代」で、かつ世帯類型が「独居」である153ケースが該当する。各地の調査では、この条件に該当するデータを集めるのに苦労した。一人暮らしをしている若者がなかなか見つからないのである。若者が含まれる世帯類型には、このほかに「親と同居している世帯」、「結婚して若者自身が世帯主となった世帯」等があるのだが、「親と同居」もしくは「親と兄弟と同居」、つまり実家住まいの若者が多いのである。表4は、2024年の埼玉県調査における回答者の年代と世帯類型のクロス表である。調査にあたっては、「独居」の若年世代をターゲットしていることもあるが、20歳代については全体の40.1%である。同じく「親と同居」しているのは全体の32.5%である。社会人になった20歳代の若者たちの約3人に1人は親元を出ていないのである。
表4 埼玉県最低生計費試算調査(2024年)回答者の年代と世帯類型のクロス
世帯類型 年代 |
独居 | あなたと親 | あなたと親と兄弟 | あなたと親と兄弟夫婦 | あなたと友達や兄弟 | あなた夫婦のみ | あなた夫婦と未婚子 | あなたと未婚子 | あなた夫婦と未婚子と親 | あなた夫婦と親 | あなた夫婦と親夫婦 | あなた夫婦と子ども夫婦と孫 | その他 | 合計 |
20歳未満 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
20歳代 | 79 | 32 | 32 | 0 | 2 | 28 | 13 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 197 |
30歳代 | 73 | 30 | 12 | 0 | 0 | 38 | 110 | 7 | 6 | 2 | 3 | 1 | 10 | 292 |
40歳代 | 55 | 32 | 12 | 1 | 1 | 28 | 204 | 15 | 22 | 6 | 3 | 0 | 17 | 396 |
50歳代 | 67 | 26 | 12 | 3 | 0 | 92 | 236 | 29 | 25 | 11 | 4 | 2 | 23 | 530 |
60歳代 | 55 | 8 | 1 | 0 | 1 | 139 | 99 | 16 | 11 | 13 | 0 | 8 | 7 | 358 |
70歳代以上 | 40 | 0 | 1 | 2 | 1 | 111 | 59 | 12 | 0 | 1 | 0 | 10 | 12 | 249 |
(注)無回答の7件を除く
もちろん、生活費を節約するために自らの選択で親と同居している層もいるだろう。ただ、本稿で問題にしたいのは、本当は一人暮らしをしたいけれども、経済的に自立するのが困難で親と同居せざるをえない若者たちが相当数存在するということである。今回の埼玉県調査では、若年単身世帯の最低生計費は年額約330万円であった。この金額を超える年収の若者がけっして少数派というわけではない。令和5年賃金構造基本統計調査から推計すると、埼玉県の25~29歳(産業計、企業規模計)の平均年収は、男性=425万円、女性=393万円である。埼玉県に住む平均的な若者は最低生計費を超えている。しかしながら、性別、雇用形態、業種、企業規模によっては最低生計費未満層が少なからず存在するのだ。
図1 埼玉県調査の20歳代回答者における「独居」と「親と同居」の月収分布
図1は、埼玉県調査における20歳代の回答者を「独居」組と「親と同居」組とで、本人月収の分布状況を比較したものである。どちらも「20~25万円」が最もボリュームが大きくなっているが、次にボリュームが大きくなるのが、「独居」組が「25~30万円」であるのに対して、「親と同居」組は「15~20万円」となっている。一時金を加味したとしても「15~20万円」は明らかに最低生計費を下回る層であり、普通に暮らすために独立ではなく親元に残る選択をせざるを得ない若者がいることがうかがえるのである。
若者の結婚離れ?
現在でも各地の全国の組合・ユニオンの若者たちが、「1か月最低賃金で暮らす」、最賃体験に取り組んでいるが、 その体験記を軸に、最低賃金の問題点をまとめたのが『最低賃金で1か月暮らしてみました。』である。本書のなかで低水準の最低賃金で生き抜くための10か条が示されている。
表5 最低賃金額で生き抜く10カ条
1.病院にいかない 病気になったらあきらめる |
2.人と付き合いはしない 誘いは頑として断ること |
3.着たきりスズメになる おしゃれなんてもってのほか |
4.携帯電話を持たない 情報は断つこと |
5.休日は起きない 仕事の方が気が紛れる |
6.車を持たない 動かないのが一番良い |
7.結婚しない 子どもは育てられない |
8.人間らしく生きようと思わない プライドを捨てること |
9.将来を考えない 「その日暮らし」をすること |
10.施しに遠慮しない たとえ「サイテー」を言われても |
本書が執筆・出版された当時(2008~2009年)の感覚とそぐわない部分があるかもしれないが(たとえば、携帯電話は必須のアイテムであり、現在では持たないという選択肢はないように思われる)、多くは貧困状態にある令和の若者たちの生活実態にもマッチする内容である。これまで“普通”とか“人並み”と言われてきたようなことをあきらめなければサバイバルできない現実があるのだ。かつて、若者を中心に最賃1,500円を求める市民団体エキタス(AEQUITAS)が、SNSを通じて最低賃金が1500円になったら何をしたいかと広く世間に呼びかけた。[ii]そのとき最も多かった答えが、「病院に行ける」「歯医者に行ける」だった。実際に、病気になっても「病院にいかない(行けない)」人たちが多く存在しているのだ。
本稿で注目したいのは「結婚しない」である。最低賃金の枠内で暮らそうと思ったら、切り詰めに切り詰めなければならない。実際に最賃体験に取り組んだ若者たちにヒアリングした際に、1か月という期限があるから耐えられるのであって、これが無期限であったらとても精神的にもたないという感想が印象的であった。常に、我慢する・何かをしない選択をするのは非常にストレスフルである。そのようなストレスのかかった日常においては、「結婚をする」はまったく現実味がないのである。また昨今、若者の「〇〇離れ」が話題になっているが、若者の生活様式にどのような変化が起こっているのだろうか。図2は、25~34歳の有業者の主な自由時間の総平均時間の平成28年から令和3年かけての推移を男女別に示したものである。余暇行動において、5年間で「人と会って行う交際・付き合い」の時間が男女ともに減少しているのに対して、「コンピューターの使用」や「ビデオ・DVD」の時間はやはり男女とも増加している。また、男性においては「ゲーム」の時間の伸びが顕著であった。リアルでの交際・付き合いが減るいっぽうで、パソコンやタブレットを使う、定額制コンテンツ(サブスクリプション)の利用が増える傾向がみえてくる。もちろん、人付き合いや趣味に時間やお金をかけられる層も存在するだろう。けれども、全体として若者たちがリアルな付き合いから離れていて、それは所得が低くなるほどに強まるようである。交際・付き合い離れが進んでいるのだとしたら、その先に結婚離れがあることは容易に想定できるのである。
図2 自由時間の週総平均時間の推移(有業者、25~34歳)
(資料)総務省「社会生活基本調査」より作成。
(注)スポーツは、エアロビクス系スポーツ、球技、ウォーター系スポーツ、成果物を得るスポーツ、他に分類されないスポーツの合計。
家族形成こそ少子化対策
本稿で少子化に対する有効策として家族形成に力点を置くのは、出産における日本社会の特殊性があるからである。少々データが古く恐縮であるが、表5は各国の婚外子率(非嫡出子の割合)を示したものである。非嫡出子の割合がスウェーデンやフランスなどの欧米と比較して極端に低い日本は、婚姻するカップル数が増加しない限り出生数の上昇が見込めない国である。つまり、少子化対策はカップル数の増加に寄与するような施策でなければならない。
表5 世界各国の婚外子率
1980年 | 2008年 | |
スウェーデン | 39.7 | 54.7 |
フランス | 11.4 | 52.6 |
デンマーク | 33.2 | 46.2 |
英国 | 11.5 | 43.7 |
オランダ | 4.1 | 41.2 |
アメリカ | 18.4 | 40.6 |
アイルランド | 5.9 | 32.7 |
ドイツ | 15.1 | 32.1 |
スペイン | 3.9 | 31.7 |
カナダ | 12.8 | 27.3 |
イタリア | 4.3 | 17.7 |
日本 | 0.8 | 2.1 |
(出所)平成25年版「厚生労働白書」
では、若者たちにとって家族形成があたりまえになるためにはどのような状況になればよいのか。それは賃金の底上げにより、誰もがフルタイムで働けば普通に暮らせる社会を実現させることである。図3は埼玉県調査において、30歳代で家族形成に至った層(家族類型で「あなた夫婦のみ」と「あなた夫婦と未婚子のみ」を回答した30歳代148ケース)の世帯年収の分布を示したものである。世帯年収が「500~600万円」になると家族形成の割合が一段と高くなることが確認できる。また、労働総研が、2018年~2019年に労働組合員およびその 周辺の非組合員や非正規雇用労働者を対象 に実施した「若者の仕事と暮らしに関するア ンケート」の結果からも同様のことがわかっている(詳細は、労働運動総合研究所(2023)を参照のこと)。さらに、先に述べたように生計費調査では、子育て世帯についても各地で最低生計費を試算しているが、30代夫婦と子ども2人からなる世帯の生計費試算結果は年額550~600万円となっている(表1および表2を参照)。つまり、年収550~600万円に家族形成のボーダーラインがあると予想される。
そして、この家族形成のボーダーラインは、最低賃金1,500円により到達可能なのだ。最低賃金1,500円×年間1800労働時間×2人分=年額540万円で、子育て世帯の最低生計費にほぼ相当している。ここに児童手当などを加味すればボーダーラインに到達していると言ってもよいだろう。先に述べたように、一部の若者たちは、低賃金のために家族形成はおろか、親元から独立することもままならない状況にある。若者の経済的自立を促し、その先にある家族形成を増やしていくためには、最低賃金の大幅引き上げにより賃金の底上げが重要である。ただし、子育て世帯の最低生計費も近年の物価高騰を受けて、若年単身世帯と同様に上昇していることが予想される。[iii]その場合に最低賃金1,500円ではなく、最低賃金1,700円、1,800円が新たな目標となることは先に述べたとおりである。
図3 埼玉県調査の30歳代家族形成層の世帯年収の分布
おわりに―ジェンダー平等社会をめざす
子育て世帯にとっての普通の暮らしを考えた際には、単に賃金の底上げだけでは不十分である。社会保障制度の充実やワークライフバランスが図れるような労働時間規制、企業の支援体制も不可欠である。そして、男女の賃金格差も是正されなければならない。「年収の壁」を設けて、この“檻”に閉じ込める形で最低賃金を低く抑えてきた。これが女性の低賃金の主要因となっている。近年の最低賃金の急速な引き上げに伴い、「年収の壁」の矛盾が露呈し、壁が壊されようとしている。世帯単位から個人単位への移行期である。誰も自分らしく生きられる社会がめざされるべきである。
(参考文献)
最低賃金を引き上げる会(2009)『最低賃金で1か月暮らしてみました。』亜紀書房
後藤道夫(2021)「世帯分布・生活維持構造の大変動と女性の異常な低賃金の持続―コロナ禍による生活困窮が露わにしたもの」『労働総研クォータリー』No.119本の泉社
中澤秀一(2017)「最低生計費調査から見た現行最賃の問題点」『労働総研クォータリー』No.105本の泉社
中澤秀一(2024)「最低賃金制度の再考」『社会政策』第15巻第3号ミネルヴァ書房
労働運動総合研究所(2023)「最低賃金が全国一律1500円になったら 生活はどう変化し、経済はどう変わるか」
[i] 最低生計費試算調査の詳細や最低賃金制度の問題点については、中澤(2017)および中澤(2024)を参照のこと。
[ii] エキタスは2024年11月29日に無期限の活動休止を公表した。最賃運動におけるエキタスの功績に敬意を表したい。
[iii] 現在、各地で子育て世帯の生計費のアップデートも進められている。
(関連資料)
中澤秀一さん監修による、道内での直近の最低生計費試算調査の結果 道労連「最低生計費試算調査をアップデートしました」2024年12月12日配信