北海道経済研究所が発行する『北海道経済』第597号に掲載された、「経団連の「日本を支える電力システムを再構築する提言」は何が問題か――電力システムの在り方を考える――」を小坂直人さん(北海学園大学名誉教授)よりご提供いただきました。本稿は、2019年6月19日におこなわれた原発問題全道連絡会学習懇談会での報告をまとめたものです。
当日のレジメも資料として収録しました。こちらと照らし合わせながら、どうぞお読みください。
はじめに
ただいま紹介いただきました小坂と申します。3月まで北海学園大学で教員をしていたのですが、退職しまして、いまフリーになっております。
電力システムをずっとやってきたというご紹介をいただいたのですが、もちろんやってはきたのですが、私は技術系の勉強をしていたわけではなくて、経済学の関係で電気事業についてずっと勉強してきました。したがって技術的なことはむしろみなさんの中にご存じの方がいらっしゃるのではないかなと思いますので、教えていただければと思います。
きょうのテーマは、経団連の「日本を支える電力システムを再構築する提言」について、中身をみんなで考えてみようという趣旨かと思います。
この題をいただいたとき、私はまだこの文章を全部読んでおりませんでした。そういう意味では、出発点は基本的にはみなさんといっしょなのかと思います。この会に向けて提言を読み進める中で、自分なりに気づいたところをみなさんに紹介しながら、今回の提言の持っている意味を考えていきたいと思います。
レジメというにはちょっと長すぎるものをみなさんには印刷して差し上げたのですが、中身は、「はじめに」から「終わりに」まであります。そのうちの1、2、3は、この提言を考えるうえでのバックグラウンドについてまとめたものです。提言についてみなさんにお話しする部分は、4ということになります。レジメでいうと12ページ以降です。みなさんには提言それ自体を資料としてお配りしていただいているということですので、当該箇所を本文に照らし合わせながらご覧いただければ、なお理解がしやすいのかなと思います。
最初に「はじめに」のところです。これは3ページの途中までです。提言には副題がついています。「ソサエティ5.0実現に向けた電力政策」というサブタイトルです。最初読んだときに、これはなんだろうかとまず思いました。ソサエティ5.0は、最近出てきた言葉で、政府系の文書は、みんなこういう感じで、ちょっと新しい横文字やカタカナ表記が何となくイメージアップに使われているというのがよくわかります。ソサエティ5.0というのは、いままでの人類の社会史の中で、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く第5の社会だと説明されています。
社会経済の分野でソサエティ5.0を情報社会の次にくる社会だということで定式化しているものは、私が勉強していないのかもしれませんが、見たことがありません。したがって、情報社会よりもさらに上に行く、新しい情報社会というイメージを国民に普及していくための表現として使っているのではないかと思います。
しかも、このソサエティ5.0というのは、みなさんも最近はあちこちで聞くので耳にタコができるほどかもしれませんが、SⅮGsと似ています。これもまた中身を見ると、なんでもありで、あまりに包括的すぎてこれで何か新しいことが言えるのかなと思うような内容ですが、しかし、私たちの社会が将来どうなるのか、あるいはどうしたいかというときに、持続可能な社会を目指すならばSⅮGsを語らないと流行遅れになりそうな、そういう表現としてSⅮGsが使われています。
ソサエティ5.0の中でいわれている、たとえば自然と共生しながら価値を生み出す社会というのはSⅮGs社会の一部になっていますので、このソサエティ5.0も、SⅮGsと完全に融和する親和的な概念として提言の中で使われているということがわかります。
ソサエティ5.0を実現するうえで電力システムあるいは電力政策はどうあるべきかということがこの提言の本来ねらうべきところです。これをこれから読んでいくわけですが、いままでの電力システム改革と何が違うのかということがポイントです。つまり電力システム改革というのは、わが国の電力システムを従来の独占体制から自由化体制に改めることを目指すものです。その発端は20世紀の後半ぐらいから始まっています。ご存じのように、最初は大口電力ということで、大工場とか大きな会社などを対象とした2000キロワット以上のお客さんに対して自由化をする形で、2000年から始まっていきます。そういう意味で電力システム改革というのは、前世紀の末から、とりわけ21世紀に入ってから、本格的に行われてきたという経緯があります。
したがって今回の提言を見るときにも、いままでやってきた、もちろん途中で2011年の福島の原発事故がありますので、そこで大きく様子が変わるのですが、その前まで続いていた電力システムの改革・自由化と、いまソサエティ5.0ということでやろうとしている改革が、違うのか、違わないのか、あるいはその延長としてみたとき、継続している部分と変化した部分に注目しながらみる必要があります。
2ページのところで特に指摘しているのは、自由化が一辺倒で進んできたのではないという点です。先ほど申し上げたように、2000年から大口電力の自由化が始まり、そして2004年に500キロワット以上、2005年に50キロワット以上のお客さんというふうに、だんだんと自由化対象が広がってくることにはなりました。
ただ、2005年の段階で、実は電力の自由化、規制改革は、いったん止まった形になりました。なぜ止まったのかというと、ちょうど21世紀になったときに、原子力を見直しして、もう一度全面的に拡大する方向が打ち出されます。原子力に対する位置付けはもともと日本の政府、電力会社は高かったわけでが、大きくなってきた自由化の波を押しとどめるように、原子力への後押しの波が起こされます。もちろん、他方では再生可能エネルギーの波も大きく前進するわけです。
つまり自由化と再生可能エネルギーを拡大していこうとする流れの中で、原子力がちょっと劣勢になった向きがあったのですが、まもなく原子力を推進する勢力が巻き返してくるということが起きます。
この象徴的な出来事の1つが、2001年の「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特措法」の成立です。この時期、みなさんもご記憶かもしれませんが、国会議員の中に超党派で再エネを推進する議員連盟ができて、再エネのための議員立法をめざして活動したのですが、こちらのほうは頓挫してしまいました。ところが、原子力の新しい地域振興のためのこの法律は通ってしまいました。
このことに象徴されるように、温暖化対策をするうえでは原子力がむしろ有効だという考え方が前面に立つ形で進む事態が始まったわけです。
ちょうどブッシュ大統領の時代に、原子力に対してもう1回政府が後押しをするので原発をつくろうではないかという、いわゆる原子力ルネッサンスが始まっていく時期とも符合しております。
この原子力に対する、ある意味、追い風が吹いたことによって、先ほど申し上げた自由化一辺倒、そして再エネも拡大するという方向よりは、原子力のほうがむしろ有力な考え方になったというのが、この時期であったと思います。
そして2006年に、東芝がアメリカのウェスティングハウス(WH)を買収するということが起きるわけです。この東芝のWH買収問題というのは、原子力ルネッサンスで、原子力がこれからあらためて世界で推進される方向になるのではないかという雰囲気の中で、東芝がWHに手を付けたということになります。
このとき、今回問題になる日立は、もう1つの原子力メーカーであるGEと連携する道を選びました。東芝が買収したWHは、北海道電力が使っております加圧水型の原子炉メーカーです。東芝は日立と並んで、もともとは沸騰水型のメーカーですから、東芝がWHを買収するということは、沸騰水型に加えて加圧水型の技術も獲得できたというふうに受け取られて、東芝が世界の原子力メーカーのリーディングカンパニーになれるのではないかという見方もあったと思います。
いずれにしても、この時期の東芝の行動というのは、当時の原子力ルネッサンスの方向性と密接に関連しており、日立のGEとの提携も同じ方向を向いていたといえます。このように、原子力が大きな流れをつくり始めたのが2000年代の最初の時期です。
一方、規制改革、電力の改革については、先ほど2005年でいったん止まったと申し上げたのですが、卸電力取引所あるいは電力系統利用協議会という送電管理のための機関が設立されます。これは、いま盛んに出てまいります電力広域的運営推進機関の前身です。電力系統利用協議会が発展的に広域的運営推進機関になったと理解してよろしいのではないかと思います。
いずれにしても、2005年でいったん止まっていたものが、再びシステム改革の方向に息を吹き返すきっかけとなったのが福島原発事故ということになります。つまり原発事故によって、原子力に対して今度は逆風が吹いたことによって、規制改革、構造改革の方向に改めて舵がとられることになります。
この際に、2012年の7月から、再エネの固定価格買い取り制度が始まります。この買い取り制度の始まりと電力システム改革は、もちろん関連がありますが、ただそこの関連をどう見るかというのはなかなか難しいところです。つまり再エネを普及させるためには電力の自由化が推進されることが望ましい、おおよそそういうとらえ方でわれわれは見ていますが、単純にそう理解していいのかどうかはなかなか難しいところです。
いずれにしても、この時期からの電力システムを見るときに、再エネをどう普及させるかという問題、それから電力の自由化をどう進めるかというシステム改革の問題、そして原子力をどうするかという問題、この再エネと自由化と原子力という3つの問題を軸にしながら全体を見ていくということが重要です。
きょうお話しする観点も、基本的にはこの3つのことを念頭に置きながら話をしていくのだということでご理解いただければと思います。
1 中西会長発言(2019年1月15日)と日立取締役会(1月17日)
次に1番目のところです。 経団連の中西会長が正月に記者会見をしているのですが、その直後の15日にもう1回会見をやります。それから17日には日立の取締役会が開かれて、問題のイギリスの原発については、日立として経済的にペイしないということで事業から撤退する、手を引くということを17日の取締役会で決めたという流れです。
新年早々、いっせいに新聞等で報道されたのですが、経団連が原発から手を引くことになるのではないかというニュースが出ました。つまり国民が反対するものは、日立、三菱、東芝といった原子力メーカーががんばってつくるといっても、それはできない。それを無理やりつくるというのは民主国家に反するという発言を正月にしているわけですが、それから2週間たった15日には、原発再稼働をどんどんやらなければならないという発言をします。
正月の発言を受けて、自然エネルギーを進める各種の団体が、少し期待した向きがあったのですが、やはり経団連は原発に対して積極的にかかわっていくという方向が依然として続いているのだということを再確認したのが、15日の会見だったのではないかと思います。
以下、15日の発言をめぐる報道等を紹介していますが、ここで確認していただきたいのは、正月の、国民の理解を得なければ原発はつくらないという発言の趣旨は撤回されて、結局、経団連は原発再稼働に向けて力をどんどん注いでいくということを、あらためて15日の会見で発言したことになるのだということです。
次は、4ページの記事のうしろのところです。ご存じのように日本は福島の原発事故以降、国内では原発をつくることが基本的にはできない状況に陥っております。そしてその反動か、今度は外国に日本の原発を輸出するという活動を活発にしたということがございます。
ところが、日本が積極的に売り込みにかかった各国で、福島の原発事故を受けてなおさらですけれども、原発をつくるのを断念せざるを得ないという方向に動いていきます。代表的なのはベトナムやリトアニアで、それが頓挫するということになります。そのあとトルコなどいくつかの国で、できそうな状況に進んでいきますが、これも最終的にはだめになる見込みです。
そして、問題は日立ががんばってつくろうとしたイギリスのアングルシー島での計画が、先ほど申し上げたように経済的にペイしないということで日立が断念した案件です。
したがって、日本が国内ではできないものを外国でやろうとした方向についても、諸外国の政府、あるいは国民から猛烈な反対を受けて、だんだんと日立が及び腰になっていった背景には、結局は経済的な理由があったことになります。つまり原子力発電所の安全のための投資を追加投資として加えていけば、コストが上がってくるのは明らかですが、その上がり方が、2倍から3倍というレベルになっていってしまうわけです。建設期間が延びれば延びるほど、その費用がさらにかさんでいくことになるというのが、日立がイギリスから撤退することになった背景です。
2 「原発輸出総崩れ」への道は用意されていた
さて2番目のところです。いま日立が今年の1月になってイギリスの原発事業から撤退することになったということを指摘したのですが、2018年、2019年になってから急にそういう動きが起きてきたわけではありません。やはりその前史があって、その段階で、日本の原発メーカーや日本政府が十分な考えがなかったということになるのではないかということを、指摘しているところです。先ほども2006年の東芝によるWHの買収問題のことを申し上げたのですが、この買収の問題性は、もうすでにだいぶ前からいろいろなところで指摘されておりました。
つまり原発建設コストが非常に高くなるので、原子力メーカー、あるいはそれを受けて原発を稼働させようとする電力会社は、原発に手を出せなくなっているという状況が、1970年代のアメリカでは当然のこととしていわれておりました。1970年代に出た文献の中で、アメリカでは原発の時代は終わったという議論がすでになされていました。
長谷川公一さんという東北大学の社会学の先生が、「脱原子力社会へ」という本を書いています。社会学の先生ではありますけれども、経済学的な意味でも的を射た指摘をしていると思う文献です。新書ですから読みやすいのでぜひ読んでいただければと思います。長谷川さんが、経済的リスクということでいえば、アメリカは70年代、80年代には、原発はもうペイしないのでつくれない時代に入っていたと指摘しています。
先ほど申し上げた2000年の初めの原子力ルネッサンスというのは、ブッシュが登場して、いろいろな税制など、国として援助をするから原発をつくりませんかという誘導政策を出したおかげで計画が急に出てきたことと関連しています。確かに、そのことによって計画は出ましたが、計画された原発の建設が完成したというのはまだないと思います。したがって原子力ルネッサンスといえども、アメリカでも原発については大きなブレーキがかかっている状況でした。
日本と違うのは、いわゆる放射能リスクの問題ではなくて、経済リスクの問題で原発が批判と抵抗を受けているということになります。
ここで東芝がWHから原子力事業部門を買収したということを言いましたが、東芝が買収したときは、イギリスのBNFⅬ英国核燃料公社という会社の下にありました。この会社は、一時は部分的な民営化みたいな形になりましたが、いずれにしても英国政府が深くかかわっている会社です。
この会社がWHを買収して、原子力事業を展開しようとしたのですが、先ほどいったように経済的なリスクが高いということで、このWHを手放すことにしました。そのBNFⅬが手放したWHの原子力部門を東芝が買収した形です。
当時、いろいろな報道がされておりましたが、このWHの原子力部門は、資産的な価値としては18億ドルぐらいだろうといわれていました。ところが東芝がどうしても欲しいということで、このWHを54億ドルで買ってしまいました。これは何という買物なのだろうかと思うのですが、そのことを受けて、長谷川さんは、この買収行為は、ジョーカーをつかまされたことになるという批判をしているのですが、まったくそのとおりだと思います。
そしてそのうしろのほうで、原発が全体として進んでいないという世界の情勢について、長谷川さんが紹介しております。その中で、原子力離れの象徴として、フィンランドとフランスで建設中の1基ずつが実はあるということが書かれております。フィンランドは、小泉元首相が視察に行ったという地下処分場がある、あの発電所です。このオルキルオトの3号機をフランスのアレバがつくるということで計画を進めてきたのですが、当初計画よりだんだん期間が延び、そしてコストが上がってくるということで、最終的には、この3号機の建設からアレバは撤退せざるを得なくなります。
フランス国内にあるアレバの原発建設事業にもアレバは失敗して、結局アレバはそのあと事実上破綻してしまいます。つまり原発で失敗することによってアレバのような世界で最も優秀な原発メーカーだといわれていた会社も破綻するという問題を世界の原発メーカーは抱えているということを教えてくれたわけです。日立、東芝であってもというか、日立、東芝であればなおさらのこと、こういう状況を十分認識したうえで原発をどうするかを考えるべきであろうと思います。
さて、そのあと、日立のリトアニアの問題などについても、ここで紹介しておりますが、イギリスで失敗した、先ほどのウエールズの原発建設ですが、これも、結局英国で原発事業をするための会社を買収したことから始まっています。これが892億円です。そしてそこに原発を売り込むという計画でした。日立ですから沸騰水型の原発をイギリスに売り込むということで一生懸命がんばっていたわけですが、結局、原発建設コストが上がっていく、つまり安全投資がかさんでいくので上がっていく。さらに、建設期間も長くなっていくということで、だんだんと見込んでいた建設費では済まなくなります。このまま放っておくと日立としては、投資を回収できる見込みがどうも厳しいというのが撤退の理由です。
イギリス政府は、原発事業に対して、政府の支援措置をいろいろな形でやっておりますが、その支援制度の中で一番重要なのは、7ページの下から3行目のところに出ております、原発で発電した電力を固定価格で買い取る制度です。差額決済制度というのですが、これは原発を抱えている電力会社が原発で発電した電気のコストが高いので、それを保証してやれる価格でないと、原発事業が成り立たないことを意味します。
原発で発電した電力については、実際の市場価格よりは高い価格で買い取ってやるという制度が、この固定価格買い取り制度です。だから日本などでずっとやってきている再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度と基本的には同じです。つまりコスト高の電源を持った電力を成り立つようにするためには、高い価格で買い取り保証してやる。そういう制度をイギリスは持っているわけですが、このイギリスで日立がやろうとしたホライズンという会社についても、その価格を認めてやろうということで交渉していたところです。
ところが、この価格がいくらになるかというのが実は大問題なのです。イギリスでは、フランスの電力公社がやはり原発事業に進出しておりました。ヒンクリー・ポイントというところでつくっている原発なのですが、ここでもやはり、原発はコスト高なので、価格保証をしてやらなければいけない。つまり電力固定価格買い取り制度でヒンクリー・ポイントを維持するための価格を、フランス電力公社EⅮFに保証してやることにしました。ところがそれを認めるということは、先ほどいったように、割高なコスト部分を政府が買い取り保証するということですから、それを結局は国民が負担しなければなりません。再エネの固定価格買い取り制度の賦課金と同じ制度に基本的にはなるので、原子力を維持するための賦課金がかかることになります。それをだれが負担するかというと、最終的には国民が負担する形になるわけです。
こういう制度になっていたために、国民が猛反対して、これをめぐってイギリス政府が立ち往生をするということが起きました。しかもEⅮFが当初のヒンクリー・ポイントの原発事業者ですが、中国の企業もそこにかかわってくるということで、イギリス国内で、フランスならまだしも、中国の原子力事業者が入ってくることはいかがなものかという疑問が出されます。そういう意味でも、政治問題化して、このヒンクリー・ポイントについてはもめ続けているということになります。
このもめ事がホライズンにも影響することになります。どうやらヒンクリー・ポイントよりも安い買い取り価格になると予想されます。そうすると、ますます経営が厳しい。そんなこともあって日立が撤退することになったという流れで、この部分は読み込んでいただければいいのかなと思います。
さて、2の最後のところです。ここは原子力の輸出政策がすっかり崩壊したという結果になったにもかかわらず、先ほどの日立の会長が再稼働をどんどんやらなければいけないという発言に呼応するように、日本の政府はまだ原発に対しては、安い電源であるということを前提にしてこれを推進する方向に、依然としてつき進んでいるという状況に触れています。
3 日本企業は再エネでも苦戦
さて、原発の輸出路線が完全に破綻したということで2番目をもし読んだとすると、3番目は、日本企業が実は再エネでも、とんでもない苦戦をしているということをみていただくところです。
日立は、原子力関連機器だけでなく、いろいろな電力機器をつくっております。実は風力発電機もつくっております。三菱もつくっています。日本で大量の風力発電所が、北海道、東北等を中心に建設されておりますが、この風力発電機のメーカーは7割がた外国です。ご存じのようにデンマークのヴェスタスとか、ドイツのエネルコンとか、こういうドイツないしはデンマークあるいはアメリカ、スペインなど、外国製の風車が、大型については特に使われております。
日本のメーカーは日立、三菱、それから室蘭にあります日本製鋼所、この3つのメーカーが、小型ではなくて大型についていうと3割ぐらいをつくっています。日立もそのうちの1つなのですが、その日立が今年1月25日に風力発電機の製造をやめるということを発表しました。もちろんいままでつくって納入しているものについては、保守とかいろいろなことがあるので、面倒みるということには変わりはありませんが、しかし風車をつくることをやめると発表しました。その代り、ドイツ大手エネルコンから風車を買ってきて、そして設置する方向になるというのです。
同じく先ほど申し上げた日本製鋼所も、風力発電機を2010年ぐらいから製造・販売してきたのですが、今年の4月24日に風力発電機の製造・販売から撤退するということを発表しました。2013年に三重県の笠取というところで風車のブレードが落下する大事故が起きたのですが、この落下事故を起こした風車が日本製鋼所の生産になるものです。
これを受けて、経産省が、日本製鋼所の風車については再点検が必要だということで、全国の風車をいろいろ点検するような事態になりました。それを受けて日本製鋼所はもちろん点検をすることになるわけですが、結果として、日本製鋼所の風車については、どうも技術的に問題があるのではないかという結論に至ったようで、日本製鋼所は風車メーカーとしての役割を終えるということになりました。
残る三菱重工は、撤退ということではないのですが、デンマークの会社、ヴェスタスとの技術提携を基軸にして、自分のところでつくるよりは、ヴェスタスに基本的には依拠する形で風力発電機の製造を続けることになったようです。
いずれにしても、このことによって、日本の日立、日本製鋼所、三菱という風車メーカーは、事実上風力発電機製造事業から撤退したことになるので、わが国の風車は先ほど7割が外国製といいましたが、これからはもっとその状況が厳しくなります。外国製だから悪いという意味ではありませんが、しかし次のことを思い出していただきたいのです。再生可能エネルギーをわが国に普及させるときに、そのことによって地域の産業も、その経済循環の中に取り込まれることによって、地域経済の発展に貢献できるということが盛んにいわれました。しかし、風車については基本的にはそういう道筋がこのことによってむずかしくなってきたということがお分かりだと思います。
もう一方、太陽光についても、2000年のころ、日本の太陽光パネルメーカー、シャープとか京セラとかは世界にも誇れる優秀なパネルをつくって、そして太陽光発電でも急速に市場拡大できる、そういう状況であった時期があります。
ところがその後、太陽光発電については補助金制度をやめるなどした結果、日本で急速に太陽光発電の流れが途絶えてしまいます。他方では、再エネを重視する流れはもちろん底流としてはあったのですが、原子力に傾斜する流れが出てきます。そして2011年の原発事故以降、あらためて再生可能エネルギーに目を向けるということで始まったのが固定価格買い取り制度であったわけです。
その制度のお陰で、膨大な需要が生まれて、太陽光発電所があちこちにできるということにはなりましたが、そのときのパネル提供メーカーというのは、当初はシャープ、京セラががんばっていたのですが、だんだんと需要に追い付かなくなって、中国製などが入ってきます。結果として、日本の太陽光パネルメーカーは外国メーカーに押されて、本当に見る影もなくなっているのが現状です。
いま日本で発売されているパネルの圧倒的部分は中国製になってきているという状況も合わせて考えると、原発と同様に日本のメーカーが再生可能エネルギーを生み出すための機器を提供できる、そういう技術的基盤を本来持っていたはずなのですが、それが掘り崩されてしまっているということを、この3のところで紹介させていただいているわけです。
みなさんもあちこち再エネの発電所、バイオマス、太陽光、風車等の発電所を見学、視察等でご覧になっているかと思うのですが、私もいくつか見ていく中で、いつも気になっていることがあります。例えば十勝・道東方面に家畜糞尿を利用したバイオマス発電施設がたくさんできているわけですが、その1つを見学に行って、私はそこで使われているいろいろな機器類、発電機やガス発生装置などの機器類を見ます。発電機のところにメーカーの名前が書いてあるので、それをよくよく見たらドイツ製ということになっていました。バイオマス発電は当然地元の、それこそ地産地消のエネルギーなのですが、それを発電するための設備がドイツ製であるのは残念な気持ちになりました。
それから、一昨年、木質バイオマスで有名な岡山県真庭市の施設を見に行きました。そこは森林組合などと共同して、林地残材などを集めて細かく砕いて、そして燃料にする有名な仕組みを作っています。もちろん製材過程から出るおがくずなども使っています。その林地残材を細かく砕いていく装置はどこのものかなと思って聞きましたら、これはドイツ製です、これはアメリカ製ですといっておりました。
したがってバイオマス発電をするというときに、先ほどいった地産地消で日本のいろいろなメーカーなどもそこにかかわれる、そういうエネルギー源であるはずのものが、機器類についていうと、外国から持ってこないといけないという流れになっているのは、非常に残念です。
したがって日本企業は、原発だけではなく、再エネ機器でも苦戦をしているのではないかと、ここで申し上げているわけです。
4 「経団連提言」(2019年4月16日)を読み解く
次の4のところは経団連の提言の中身をどういうふうに読むかということです。ゴシックになっているのは原文から抜粋したものです。右から矢印で、たとえば最初のところで、「石炭火力は停止・縮小か?」というふうにしているのは私のコメントです。以下、コメントした部分を中心にしてお話をします。
提言の最初のところは、なぜこういう提言をしたか、その4つの課題について触れています。まず化石燃料を日本は使いすぎている。いままでは原発がだめになったから仕方ないといわれていたけれども、パリ協定など、地球温暖化対策をあちこちから進められるようになったときには、化石燃料をこれ以上使うわけにはいかないのではないか。とすると、石炭火力は当然やめるということになるのが合理的であり、道理なのですが、そういうふうに書いているところはたぶんないと思います。
それから2番目。温暖化対策として、再エネを増やすことが求められます。しかし「が」がつきます。この「が」に注意してほしいのです。増やすことが求められますが、しかし日本の再エネは地域に偏在していて、たとえば北海道でつくった風力発電の電気を本州等に送るための設備が不足しています。だからそれを整備しなければなりません。そういう流れになると思うのですが、私はどうも「偏在していること」が強調されているようにしか読めません。
3番目は、原子力発電が再稼働していない問題です。再稼働していないけれども、維持するためにお金がかかっている。そして、これが経営負担になっている。経営負担だから再稼働しなければなりませんという当然の帰結がここでは用意されていると思います。
4番目ですが、ここが私は一番重要だと思っています。自由化というのはもともと何を目的としていたかというと、電力価格の低下です。だから自由化しましょう、競争しましょうというふうになっていたはずなのですが、自由化することによって料金が安くなったのだろうか。あるいはそのことによって、本来必要な設備投資等が中断されていることにならないか、つまり投資抑制になっているのではないか。だから、自由化・電力システム改革は見直しすべきだというふうに経団連は考えていると、私は読みました。以下、このことを中心に見ていくことになります。
それから北海道にとっては、もちろん被害者、被害地域ではあるのですが、昨年のブラックアウトのときに、こんなことが2度と起きてはならない、だから停電しないシステムを構築しなければならないという結論が当然出てきました。あれが逆にすごく口実に使われているように思います。つまりブラックアウトがあってはいけないので、事前に防ぐためにはどういうことが必要なのかという問題意識です。ここでは電力という財の公益性、社会的重要性が再認識されたことにはなります。
これは積極的にとらえることもできるのですが、このための投資というのは、当然公益性があるので国や自治体が責任をもってやるべきであって、民間が出ていく分野ではないということを暗にほのめかしているのではないかと思いました。
1 総論
さて、総論のところですが、ここは最初の3Ⅾ、特に脱炭素化と分散化のところに注目する必要があります。送電網システムは基本的に大型の発電所から需要地まで届ける基幹系統部分と、それから消費地、とりわけ北海道のような人口がある程度希薄な地域等の末端部分の系統、この両面で考えなければいけないと思います。だから、提言の中でその比重がどちらにかかっているかというのを注意して読んでいただければと思います。
電力投資の停滞を打開するためにどうするかということですが、ここでまず言っているのは、原子力発電所の安全対策のためにお金がかかりすぎているという点です。そして、このことによって本来の電力投資ができていないと指摘しています。だから電力投資をこれから増やそうと思ったら、原発の安全投資を減らさざるを得ないという結論が出てきます。ちょっとうがった見方かもしれませんが、こんなふうに読めます。
それから再生可能エネルギーについては、資産運用感覚での投資が多くなっている。資産運用感覚とは、太陽光発電を今のうちにやっておけば、固定価格で買い取り価格が高く設定されていますので、儲けることができますという感覚です。
だからFIT制度を含めて、再生可能エネルギーの普及政策については見直しをすべきであり、電力自由化についても、先ほども言いましたように、投資を阻害しているので再検討すべきである、というふうに読めます。
さらに14ページのところですが、ここは提言の中で一番強調している部分です。電力投資がなぜ増えないのか、それはもうはっきりしている。つまり投資しようにも先行き不安で投資ができないのだから、不安をなくすようにしてくれなければ電力投資は進みません。企業的に考えて将来どうなるかわからないときに投資はできないのは当然である。だから心配のないようにしてくださいというのがここの意味です。
それから温暖化対策です。再生可能エネルギー等も含めて、温暖化対策をがんばってやりましょうとは言います。確かに、それは大事だけれども、その政策目標に拘泥すべきでないと言っています。拘泥すべきでないということは、これは文字どおり読めば、温暖化対策は理想としてはいいけど、そんなことにこだわっていたら現実的な投資はできません。だから温暖化対策は理想としては掲げますが、実際はとことん追求するには及ばないのではないかというのが提言の中身だと思います。
2 電力需要
次に電力需要等についてですが、ここでは多様な需要家ニーズに目配りしましょうと言っています。多様な需要家だからいろいろな人が入っていると思いきや、要するに、料金水準を下げることによって大口国内需要家を外国に出て行かないように引き留めるべきだということを言っています。
3 発電分野
3番目は発電分野です。発電投資を拡大するためには、固定費回収システムが必要であって、自由化市場は限界だと言っています。いま市場で取引されるときに、安い電気が最初に取引されるというルールになっているわけですが、これでいくと、固定費のかかる電源については後回しになる。後回しになるということは、そういう電源を持っているところは、どうしても先ほどの将来不安があるので、投資が進まない。だから、発電所などに設備投資しても、その固定費をきちんと将来回収できるシステムをつくらないとだめだというのが、ここで言っていることです。
4月の道新にも出ておりましたが、2020年から電力広域的運営推進機関が容量市場をつくるということを言っています。いま世界中でちゃんと機能している容量市場というのはどこにもないので、具体例を挙げるのは難しいところです。これまで紹介されているモデルによると、たとえば、4年後に発電所をつくって電力を供給するという約束をした人に対しては、その約束料として、小売り事業者がお金を払うという仕組みです。つまり、発電所をつくるという約束をした人に対しては、いまから電気料金の中にその費用を織り込んで、発電所をつくるという業者に対してお金を払う仕組みを容量市場といいます。
そんなことができるのかなというのが率直な疑問ですが、この制度が機能すれば、発電所をつくるという人がたくさん出てくるのではないかということ期待されているわけです。
ところが15ページのところで触れておりますように、容量市場というのを各国で一生懸命つくろうとしているわけですが、どうもうまくいかないようです。ドイツは容量市場をあきらめたみたいです。このように、容量市場は計画されてはおりますが、期待通りに進められるかどうかはかなり難しいところであろうと考えています。
16ページはFIT制度見直しについてです。2020年から、FIT制度をどうするかということで、いま盛んに議論しているようです。FIT制度は、太陽光が大幅に増えてしまったという問題を抱えているということに象徴されていますように、基本的には、安い設備費で早くに設置した業者がその固定価格で収益を保障される制度になっています。しかも、消費者に負担をかけた状態でずっと続くことになるので、これはもうすでに限界が来ている。ドイツでは買い取り価格はどんどん下がっていって、いまではFITではない形の新しい制度に変わっているということなので、日本でもそういうふうになるだろうと思います。その矢面に立つのが太陽光ということになります。
そして風力についてです。日本は先ほど風車の機材で問題を抱えているということで紹介させていただきましたが、それだけではなくて、日本の風力発電は地域偏在の問題を抱えています。風力発電が有力な地域は北海道と青森と秋田というところに集約されますので、この問題はこれからもずっと続くことになります。
ヨーロッパ等での風力発電は基本的にすでに洋上風力に完全にウエイトが移っているわけですが、日本では洋上風力がまだ実用化されているとは言えません。先日の日曜日の石狩の風力発電問題でのシンポジウムでもいわれておりましたが、石狩の浜で計画されている洋上風力というのは海岸から1・5キロから3・5キロぐらい、だいたい2キロぐらいのところに風車が建つという設定です。ヨーロッパの洋上風力は、近いところでも20キロぐらい。通常は30キロ、40キロという沖合に大型風車が建つというタイプのものであって、したがって陸上というか、陸地の人に対して影響がその意味では及びにくい風車の設置になっています。しかし、石狩の風車は、海岸地に建っているので、これを洋上というのはヨーロッパ水準的にはちょっと無理がありそうです。秋田はもっと近いようで、海岸から1キロ、2キロというような距離に置かれた洋上風力は、海岸まで、いわゆる低周波問題など、いろいろな影響が及ぶ可能性が高いので、日本の洋上風力については、いま現行進んでいるものについては要注意かなと思います。
もう1つ、日本の場合、海岸で建てるのが難しいために、いわゆる浮体式、要するに海の上に大きな容器を浮かして、その上に風車を建てるというタイプの浮体式洋上風力を、福島沖、長崎県の五島沖などで一生懸命やろうとしております。
ところが、福島沖の風車については、一番大きい風車、これが日立製のようですが、これがまったく稼働率が悪くて、とても実証に堪えないということで止めてしまいました。あと2基、もうちょっと小さいのが動いているようですが、しかしその2基のうちもう一方のほうはやはり運転状況が悪くて展望は暗いようです。浮体式を含め、洋上風力を拡大しようという日本政府の目論見は、現状ではかなり厳しいのではないかなと思います。そこに先ほど申し上げた機材のことを合わせて考えますと、洋上風力については、ますます展望がみえなくなります。
そしてバイオマスについてです。これもみなさんご存じのように、日本国内の林地残材とかを使って発電することを想定している部分はもちろんあるのですが、ところがこれが足りないので、外国からチップなどを輸入してきます。その1つとしてパームヤシがあります。インドネシアやマレーシアから油ヤシの殻を輸入してきて発電材料にするということですが、紋別などで最近できている大型の木質バイオマス発電というのはこの問題を抱えています。このタイプの発電所は環境問題として考えても問題ではないかという疑問があります。
それと、先ほど申し上げた、地域にとっての経済効果、とりわけ地元の林業などとの経済循環として考えた時の位置づけという意味でも、もう少し考えておく必要があるのではないかなと思います。
再生可能エネルギーがダメ、そして石炭についても、やめるとは言ってないけれども、率先して進められないとすると、やはり原子力しかないのではないか、結局落ちどころはここになっているのではないかと思います。
原発運転年数40年を60年に延長する、60年どころか80年もいいのではないかと言っています。それから、福島原発事故以降止まっている年数、8年止まっているのですが、この止まっていた期間は運転期間に含めないようにしたらどうでしょうかというようなことを盛んに言っているのは、いかにも再稼働をするための条件づくりとみることができます。
4 送配電分野
最後に送電網のことだけお話しして私の報告を終え、その他の問題はのちほどの質疑等に譲りたいと思います。
いま送電線が必要だと言っているのは周辺部分です。風力発電のように、これまでの立地地域、たとえば宗谷のことを考えていただければわかりますが、宗谷地方はもともと火力・水力発電所からは一番離れたところです。そして人口も希薄だから、本来的に大きな送電線が用意されていない所に大型の風力発電所ができるので問題が生じるわけです。
つまり末端のところにいくためのものはあるけど、そこから持ってくる送電線がないのが当たり前です。そこに大きな風力発電所を建設することになるので、そこでつくられた電気を札幌方面に送ってこようとすると、当然送電線が必要になるのです。それをつくりましょうということを言っているのがこの部分です。
「北海道北部風力送電」というのが宗谷からくる部分の送電会社です。天塩から苫前にかけての留萌の海岸については、「日本送電」というソフトバンクが計画した送電会社があるのですが、こちらのほうは挫折しました。ソフトバンクが手を引きました。残ったのが北部風力発電ということで、これはどうやら最近の計画では1000億規模の投資で、そして蓄電池も備えるということで、名寄方面に送電線を延ばしていく事業が計画されているようです。
これまで送電線は、北海道でいえば北海道電力がもちろん所有・管理していたわけですが、今度は会社が分割されて送電会社というのができます。これは北電の子会社ですので、北電送電会社というふうに理解していいと思います。そして、北電送電会社は、送電線を利用する小売事業者から使用料、託送料を取って送電線の建設資金等を回収するということになります。
しかも、その託送料については、独占的な価格設定を認める。つまり昔からやられている総括原価方式を送電線については認めるということになりますので、送電線に限っていえば、いままでと変わりがないということになります。
だから送電線の整備は送電会社がやるのが基本ですけれども、それ以外のところで、先ほどの「北海道北部風力送電」については、自分でやる必要があります。もちろん、この会社には北電も入っていますし、そこに政府の補助が入るので、単独の会社でお金を工面するわけではありません。
問題はその次だと思っています。18ページのところで、送配電線については、これを維持しようと思うと、投資量が膨大になるので、過剰投資にならないように、既存設備を活用する形で進めるべきだと言っています。これは、設備の有効活用という意味ではいいことだと思うのですが、送電投資が進まないことの言い訳のようにも聞こえます。
18ページの下のほうで、次世代化のための投資、これは送電線だけではありませんが、要するに送電線を新しい事業体制やシステムに合わせて、それこそスマートシステムなどを導入したり蓄電池を設置したりする等々の投資をすることを指しています。しかしそれは現状の送配電会社の状況からいうと、現実的ではなく、できないであろう。だから更新投資ぐらいにとどめるべきだということを言っているわけです。
さらに19ページのところで、系統電力需要が減少することが想定されています。系統電力需要が減少するという意味は、現状の送配電線を使って発電所から需要地まで送る電力は、これからは減ってくるということです。なぜ減っていくかというと需要が減るからだと言っています。この想定の下では、送電系統に投資するのは難しいことになります。つまり電気がこれからもどんどん流れるということを想定しているのであれば、送電線を増強するという考え方が出てきますが、そうではない方向で考えている限りは、送電線に投資するということはあり得ないと言っているのです。だから更新投資程度になるというのが必然的流れだと思います。
その更新投資とはいえ、ネットワークの投資資金はどうするかというと、託送料はあてにできないので、FITのような、国民が負担する賦課金を送電線の建設にも使えないかと期待しています。もしそれでも足りないのであれば政府資金を投入しましょうというところになっているのではないかと思います。
終わりに
「終わりに」のところは、結局、提言で言っているのは、経団連として何か新しいことをやりたいとか、やろうとかということではないということの確認です。つまり経団連は、電力会社を含めて、日本の企業がどうしたら送電線を含めた投資に向かえるのか、それが拡大していくための条件は何かというと、結局は政府が投資条件をきちんと整えて企業の経済活動ができる環境を作ることであると言っていることになります。これが結論だと思います。
この提言の最大の問題というのは、日立、東芝、三菱といった日本の主要な指導的企業が、自分たちの経営戦略の失敗、その原因を結局政府に押し付けていること。そして、そこから脱出するために、安定的な経済活動ができる環境づくりを政府に求めている点です。今までだって政府に求めていたのですが、もっと政府が手を差し伸べるべきだということになります。
送配電部門の投資拡大を進める条件づくりをしろと言っているわけですが、しかし先ほどから言っているように、系統事業が拡大することは現実的ではないということを言っているわけですから、送配電網を中心とした設備投資を拡充しなければいけないという言葉にはなりますが、実際にそれを積極的にやりたいというわけでもありません。あくまでもそこに進むための条件づくりを政府に改めて要求しているのが、この提言の意味なのではないかなと思います。
私たちとしては、これから人口減少が進み、経済が大きく伸びていくことが難しい時代の中にあって、地域をいかに住みやすい持続可能な社会として作り上げていくかを模索しているところだと思います。エネルギーの地産地消という課題もその際の重要なポイントですが、経団連の提言はもちろんここをスルーしていることになります。
したがって、私たちは、地域にとって必要な電力システムとは何かを自ら考え、それぞれの地域にふさわしい電力システム・エネルギーシステムを構築するための努力をする必要があるのではないか、と考えます。以上、とりとめもなく話をしてしまい、申し訳ありませんが、これで終わらせていただきます。(こさか・なおと)
質問にこたえて
(社会資本としての電力について)
社会資本とか社会的共通資本とか、呼び方はいろいろあるのですが、たとえばきょう問題になっている電力関係の発電所・送電線あるいは配電線という施設も社会資本といえます。代表的なものは道路や鉄道ということになりますが、送電線もそういうタイプのものとして理解していいだろうと思います。
そういう施設は、市民が日常生活を送るうえで必要不可欠で、水道も含めて、それがないと生活が立ち行かないようなサービス供給の基盤になっているものです。
問題は、そういうサービスを供給する主体や費用をどうするかということなのですが、たとえば水道については、日本の今までの原則からいくと、自治体が住民のための水道供給の責任を負う形になっています。公営原則と言っているのですが、水道サービスというのは、その地域に住んでいる住民のために自治体が施設の建設・管理・供給をおこなうことになっています。
自治体と住民との関係というのは当然密接な関係をもつことが想定されています。もちろん料金設定など矛盾がないということではないのですが、体制としては住民のための公共責務を自治体が担っているのが水道だということになります。
電気についても、そういうことは考えられないのか。つまり地域住民にとって必要不可欠な電気サービスを供給する主体が国や自治体になっていれば、実は水道と同じように考えられるわけです。たとえばフランスのように、電力は基本的に国営でやるという考え方の背景というのは、そういう電力供給サービスは国が責任を持たなければならないとい考え方に基づいているわけです。
そういう問題から眺めると、経団連の発言は、少なくとも国民の立場ではないようですね。企業として自分たちの経済活動がうまくいくために電力システムはどうあらねばならないかという観点で発言をしていることになります。
だからもしそれに対峙するものがあるとすれば、国民なり地域住民が自分たちの生活にとって必要な電力システムをどのようにつくったらいいのかという形で問題提起していくことが必要なのだと思います。きょう私が結論の最後のところで言ったのもこの点を意識したものです。
たとえば、日本では電力会社は民間ということになっているのですが、しかし、電力会社は民間企業でなくて、国営企業だったり、あるいは自治体、公営企業だったりするということがあってもいいのではないでしょうか。そのほうがより住民や国民の立場での電力システムを構築することになりうるのではないでしょうか。
だから、私は民営化の話とは逆のことを言っていることになります。民営化したほうが効率も良くて、国民にとっても結果オーライというふうになるものもあるかもしれませんが、逆のものもあるかもしれないということです。
電力についても、きょうはお話ししませんでしたが、自治体が電力事業を行うというシステムを考えてもいいのではないかと思います。この点で引き合いに出されるのはドイツの自治体電気事業、シュタットベルケです。自治体が電気もガスも水道もやるというのがドイツの基本形です。そこまでいかなくても、日本でも自治体が責任をもって住民のために電気事業をおこなうというシステムづくりは考えられてもいいのではないかと思います。
そうすると、水道、ガスと同じように、電気も自治体がやる形になります。ガスについては、日本では自治体がやっているところは少ないのですがあります。北海道では、かつて千歳や北見では自治体がやっておりました。そういうことを考えてもいいのではないかというのが、先ほどの私の最後の結論のところです。
社会資本というのはもともとそういう役割を果たすものとして存在しているので、社会資本の社会性を一番実現しようと思ったら、やはり公的機関の関与という形が望ましいのではないかと思っております。
(送配電事業の公正な運営およびユニバーサルサービスについて)
送配電会社ができて、持株会社の下にぶら下がる形になるという改革をするというのが2020年をめどに進められている現状の電力自由化の最終局面の状態です。
東京電力、東北電力など、会社ごとに少しずつ形は違っているようですが、基本的には資本関係は残して組織的な人的関係を絶つ方向で考えていこうというのが、発電、送配電、小売り事業と縦に3つに分けるという構造改革の最後の状態です。
だから北電もそうなるということなのですが、たとえば役員を兼務してはいけないという決まりが一応あったりして、兼務しないことにはなるのでしょうが、北電の持株会社があって、その下に発電会社、送配電会社、小売り会社がくっつくという意味では、関係が完全に明朗になるというのは難しいと思います。要するに、どういう形にしろ、北電グループという形での行動をとることになるのは明瞭なので、まったく別会社としての行動を期待するのは難しいのではないでしょうか。
そうすると、先ほど質問の中にあったどこの会社が出てきて、今度発電所をつくるから送電してくださいと申し込みをしたときに、その申し込みが公平に扱われるかどうかというのは、建前としては公平だと思いますが、現実的に考えたときに、それこそ送配電網の混雑などいろいろな理由付けが出てくると思いますが、どの企業にいつ、どれだけ送配電線を利用させるかついての区分けが生じてくるのではないだろうかと思います。そのときに、北電も発電会社の1つを持つのですが、北電とそれ以外の発電会社が対等に扱われるかどうかは最後まで問題として残るように思います。
もう1つあるのは、送配電会社の運営に対して、電力広域的運営推進機関が指導する立場になりますが、その広域的運営推進機関がどこまでそれをやれるのかという問題です。電力広域的運営推進機関というのは、かつての電力会社からかなりの人が出向してつくっている寄せ集めの団体だと思っていただいて間違いなさそうです。かつての電力系統協議会もそうだったように、電力会社をコントロール、規制する力、権限がどこまで電力広域的運営推進機関に持たせられるのか。特に、差別的な行動に対して歯止めがかけられるのかが1つカギかなと思います。
今までいろいろ話を聞いている限りでは、送配電会社がかつての電力会社の子会社的な存在になるということ1つをとってみても、電力広域的推進機関の指導が真に実効性をもつことは非常に難しいだろうと思います。
それからユニバーサルサービスです。ユニバーサルサービスについては、北海道ではこれまで北海道電力が責任を持っていました。つまり地域独占だったので、独占の見返りとして北海道地域に住んでいる住民に対しては、どこに住んでいようとも電気は同じ料金で、そして基本的には同じ品質の電気を供給するということになっておりました。
それが今度、ユニバーサルサービスの義務が外れます。つまり、形式上電力会社が普通の民間企業になったので、ユニバーサル義務は外れてしまいます。外れるのですが、ただそれだと当然反論が出てきますので、その対応をあらかじめ考えています。いま進められているユニバーサルサービスの代替機能というのは、ユニバーサルサービスとは言わずに、最終供給保障サービスという言い方になっています。
つまり自由化になって、北電も送らない、民間のどこの電力会社も、この地域、この住民には電気を、どう頑張ってもコスト的に合わないので送れませんといわれて電気を使えない人が出てきては困るので、そういう人が出てきたら、その人に対しては最終供給保障をしますと言っているわけです。その役割は、北電の送配電会社がその責任を持ちますという言い方になっているわけです。
送配電会社は、送電網を独占していますから、託送料金を総括原価でとれる。そしてそのうえで得られた利益の一部をユニバーサルサービスのために使うという形が制度上考えられていることです。
離島の電気料金は、いまのところはかつての電力会社の送配電会社が保障するという約束になっていますが、いよいよとなったときには切り捨てられるか、あるいは料金が上がるということは考えておかなければならないのかなと思います。
具体的には利尻、礼文、天売、焼尻、奥尻です。そこが北海道地域のユニバーサルサービスがどうなるかという試金石になると思います。
(石狩市における風力発電、太陽光発電と健康被害の問題)
先ほどお話ししましたが、先日の日曜日、石狩市の風車問題でのシンポジウムがありました。低周波の問題が中心でした。あんな大きな風車が、石狩の町から間近なところ、銭函と石狩新港の沖合というか、海岸に建てられる。こういう大型のものができたときに、市民がどれだけ低周波の影響を受けることになるのだろうか。当然アセスメントというのはそういうことを事前にチェックするためにやるものですが、それはもう形骸化していて、つくることありきの作業の進め方になっているので、地元の人が非常に不安になるのはまったく当然だと思います。
苫前、寿都は、町としてつくっている風車があります。町としてつくっているのは、シンボル的な意味もあると思いますし、町として風車を設置して、それによる一定の電力収入をあてにしながら町の財政にも貢献させていくという、そんな意味合いだと思います。しかし、苫前の中心はユーラスエナジーです。大型の風車を何基もつくるいわゆるウインドパークで、業者がそこで利益を上げることが目的となっています。全国で展開している大型風力発電所の多くが利益優先の建設であるがゆえに、自然環境や生活環境への配慮が行き届かない開発の例が後を絶ちません。
ところが日曜日のシンポでも問題になっていましたが、国の制度とか法律からいくとだいたいが合法的なのです。つまり法に触れない限りは風車もどんどん建てられるという仕組みになっているわけです。昨年、洋上風力発電のために「再エネ海域利用法」という新しい制度をつくりました。通常、海岸や海は公共海岸としての規制を受けていますし、当然漁業者の補償問題もあります。したがって、自由にいろいろな施設をつくったりできるわけではないのに、ここは風車を建てるのに適しているのでつくってもいい場所として指定できるという方向に法律を変えてきました。
こうした法律が大きな抵抗もなく通ってしまう背景には、結局われわれの側にも、再生可能エネルギーは良いものであり、温暖化防止のためにも風力発電は必要でしょうという社会的風潮があって、それを生み出す施設のためだったら、いままでの法律を少し改正してでもつくるということに対して、ゴーサインが出やすくなっているという事情がありそうです。
だからそこにわれわれとしては歯止めをかけるためにどうするのかというところで、もうひとふんばりしないと、洋上を含めて問題ある風車がどんどんできるという方向性になかなか歯止めがかからないと思っています。
私もそうですが、風力、太陽光、バイオマスなど、基本的に再エネはこれから普及しなければならないという思いがまずあります。だから、それがどういう形であれ、普及していくこと自体に積極的に反対できないような雰囲気が一方でつくられています。それに真っ向から反対の姿勢を貫いてやっておられるのが、実際に騒音や低周波の被害を受けられている地域の住民の方々であり、裁判も含めて運動を展開しております。
こうした運動をわれわれとしてももっと支援する形で、ただただ再エネ万々歳という考え方に対しては、再エネ発電所のマイナス面も客観的に評価しながら、再エネ施設反対の運動も他方でつくらないと、再エネ施設による自然破壊や健康被害の拡大に歯止めがかからないのではないかと思っています。
(再エネ導入の仕方、仕組みづくり)
先ほどもいいましたが、再エネや自然エネルギーに対して、無条件にわれわれはそれをよしとするという風潮があります。しかし、再エネを導入しようとすることに対して、反対なんてとんでもないということではなく、実際の再エネの導入の実態に即して、再エネも普及させようとするときにはおのずとそこの地域住民と環境との関係で導入の功罪を考える、そういう仕組みづくりをしないといけません。再エネを金儲けの手段に考えている企業であればあるほど、当然そこではコストをかけずに大量の再エネ発電ができる場所やシステムを導入しようとするわけで、それが現状続いている状況だと思います。再エネについての導入の仕方、仕組みづくりについて、先ほど私はそれを地域で考えるということが必要なのではないかと言ったのは、そういう既存の固定価格買い取り制度をあてにした大量の施設の設置と利益追求という流れを押しとどめないと、自然破壊を含め地域にとってプラスになることが少ないどころか、マイナスが大きいことになることを恐れているからです。
(北海道における電力の安定供給の問題)
ブラックアウトの問題については、たぶん電力システムを考えている人たちは一番悩むというか、考えているところだと思います。まず去年の9月の話からいくと、基本的に厚真のようなところに大型電源を集中させて、そこがダウンしたときに北海道全体がダメになってしまうという電源一極集中の問題点ということで集約的には言われていました。先ほどの系統と分散という関係では、系統電源を中心に考えているシステムの発想から、今度は石狩に大型ガス火力ができます。そうすると北海道というのは、大型電源で厚真と泊、泊は動かさないということが本来必要ですが、もし動くというようなことがあると、泊と石狩という3か所の大型電源で北海道の電気を賄っていくという体制になります。
こういうやり方は正しいのかという問題提起はしていく必要があります。ただ、北海道でそういう系統の大型電源とは別に、当然各地域にもっと小型の10万キロワット程度の電源を各地に展開するというやり方をしないと、昨年と同じような問題が起きてくると思います。ですから分散電源についても、系統は系統として生かしたうえで分散化させるという発想が必要だということがまず1点です。
それから2点目は、こちらの方が重要だと思っているのですが、さきほどの離島の電力問題です。離島というのはそれ自体で1つのシステムとして独立・自立しています。奥尻島は人口2600人ぐらい、そんなに大きくはありません。主にディーゼル発電で賄っています。小さい水力が1つあるのですが、ほぼディーゼル発電で賄っていて、これが5000キロワットを少し上回るぐらいだったと思います。離島というのはそれ自体1つの分散システムなのですね。だけど奥尻島でコンピュータが使えないとか、テレビが見られないとかいうことは基本的にはありません。
よく北海道全体の電気の質として、北電は北海道以外のところも含めて電力会社のつくっている電気は非常に品質がいいのだと言います。だから停電もないし、周波数も安定していることを盛んに強調するわけですが、奥尻、天売、焼尻、利尻、礼文といったような離島についても、本土に比べると、確かにコストは割高ですが、今まで聞いた話では、離島の電気もこれまでのところは大きな問題もなく動いてきているというふうに思います。そうしたら、系統になにがなんでもつながってないとだめなのかと考えたら、つながってなくてもいいでしょうということになります。
これに関してよく言われるのは、たとえば東京の六本木エネルギーサービスのケースです。六本木ヒルズのあの一角というのは、もちろん離島に比べたらはるかに大型の建物だし、施設も人もたくさんいるのですが、そこではコージェネですべての電気を賄っている形です。だから東京電力が停電しても、コージェネ設備が落ちない限りは安心して電気を使えるシステムになっています。この点からも系統から離れたところで、自立したシステムを動かすということをもっと考えるべきではないかと思っているわけです。
そして先ほど提言の中にも出てきましたが、分散電源が増えてくると系統の電気が奪われて需要が減ってしまうという問題です。系統の需要がこれから減っていくことを予測しなければいけない理由の一つが、分散電源が普及することです。しかし、分散電源が普及することが地域の電源システムとして非常に有効だということを考えれば、これからの方向性というのは地域分散型の電源を一方でつくると同時に、系統のほうをやめるということにはならないので、系統は系統でどうやったら地震などに強いシステムとして構築できるか、これは両にらみでやらなければいけないのではないかと思います。
私たちは系統に対しては直接責任も持てないので、地域の自治体や地域の企業あるいは地域の団体等との協力関係を構築する中で、地域での分散電源をどういうふうにつくっていくかということをもっと追及すべきでないかと思っております。(了)