川村雅則「介護現場の疲弊にどう向き合うのか(2011年)」

川村雅則(2011)「介護現場の疲弊にどう向き合うのか」『まなぶ』第647号(2011年6月号)pp.27-30

 

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「かみつかれたりひっかかれたり、認知症の入居者さんからの虐待(ぎゃくたい)を受けることも珍しくないんですよ。それでもみんな、それは自分たちの介護のスキルが低いからだと我慢して入居者のためにがんばって働いている、そういう現実を知ってもらいたいんです」──。

昨年、学生を連れて札幌市内の特別養護老人ホーム(特養)で聞き取り調査を行った際、ある施設の施設長からだされた言葉である。要介護者に対する虐待に私たちの社会はそれなりに感度を高めてきた。高齢者の人権・尊厳などといった声も聞かれるようになった。けれども介護労働者への共感的な理解は深まっているのだろうか。

2009年には介護報酬が初めて増額改定され、介護職の処遇改善をめざした交付金制度が設立された。そのことで、あたかも彼らの処遇改善が進んだと認識し、介護現場への関心は薄まりつつあるのではないか。とりわけ、このたびの震災・原発事故による大惨事で、報道機関を通じた制度・政策議論の動向が手に入りにくくなった。一大事のさなかで、私たちの側にもあれこれ考えるゆとりがなくなったというのも、正直なところである。

しかしながら、たとえば「税と社会保障」をめぐる議論などは着々と進んでいる。いま私たちは、どんな介護・社会保障をめざすのか、発言する必要がある。そのためにはまず介護現場の実態を知る必要がある。以下では、特養を対象として昨年に行った調査のうち、介護職851人のアンケート結果を紹介する(http://www.econ.hokkais-u.ac.jp/~masanori/indexを参照)。

 

 

強まる労働負担

そもそも介護報酬の改定や「処遇改善交付金」で介護現場は改善されたのだろうか。もちろん、一定の改善はあった。だが、それを感じさせないほどに現場の状況はきびしい。改善したという声はわずか(計16・2%)で、改善されていないとの声が多数である(計61・6%)。

理由の一つが、今回の調査で強く印象に残ったことの一つでもあるが、労働負担の増加という問題である。

 

表 仕事や労働条件等に関する満足度(DI)

 

図1 ここ数年のあいだでの勤務負担

 

表は、仕事や労働条件等に関して満足度(「満足」から「不満足」を除いた値)をたずねたその結果だが、「エ.勤務・人員体制」に対する不満は、「イ.賃金」に対する不満を上回って大きい(▲58・6)。また、回答者全体の約7割が、ここ数年での勤務負担が「増している」という(29頁・図1)。「次から次へと業務をこなしている」「いつも時間に追われている」「なにをしているのかわからなくなる」「身も心もボロボロ」などの訴えに胸が痛む。

負担増の背景には、大勢の施設入居待機者の中から緊急性の高い者や要介護度の高い者が優先的に入居してくることや、入居生活を送る中で医療行為が必要になるなど、入居者の重度化が進んでいることがある。条件未整備の中で個別ケアの必要性が声高に叫ばれたり、記録作業が徹底されてきていること、あるいは、そもそも介護・看護職員の現行の配置基準が現場の実態にあっていないという問題もあげられる。

いずれにせよ、職場のゆとりのなさに拍車がかかり、コミュニケーション労働としての介護労働の性格が変質してしまう状況が広がっている。仕事のやりがいという最後の頼みの綱さえ切れて、職場を去る労働者があとをたたないのも理解できる。認知症の入居者からの虐待の背景には、そもそも介護職のスキル以前のこうした問題がある。つまり、彼らが粗末に扱われることは、入居者が粗末に扱われることと同義であるといえる。

 

 

夜勤時のリアルな不安・ストレス

両者が粗末に扱われていることを感じさせる一つに、夜勤をめぐる問題がある。人間の生理的なリズムに反した夜勤時には、通常、仮眠の設定や手厚い人員配置など、その負担の軽減が労働者には必要なのだが、特養では、夜勤時には1人で20人強の入居者に対応しなければならない。日中に輪をかけた人手不足だ。

 

図2 夜勤時の不安/ストレスの有無

 

むろん、平穏無事に終わる夜勤であればそれで問題はないかもしれない。だが、現実には徘徊(はいかい)や不穏な状態になる入居者から目を離せず、合間にはナースコールも鳴る。しかも医療従事者が常駐していないことで、介護職の不安やストレスは増す(図2)。

「一人では対応できない」「転倒事故が怖い」「つねに緊張」「仮眠はとれない」――多くの施設で夜勤は16時間がなお基本である。これを月に4回も5回もこなすことの負担を、少しでもリアリティをもって考えたい。

 

 

将来が見えない

介護職の離職の背景としてよく知られるようになった低賃金の問題はどうなったか。

 

図3 税金等を差し引かれた毎月の平均的な手取り額

 

 

たしかに報酬改定等で賃金には改善があった。だが、そもそもそれ以前の2回にわたるマイナス改定で、施設によってはすでに賃金カットを余儀(よぎ)なくされていた。今回、その分が回復されたに過ぎないというケースもある。毎月の平均的な手取りが20万円を超えるのは、正規雇用でも2割強である。ましてや非正規雇用ではほぼ全員が20万円未満におさまっている(図3)。「こんな給与で生活していけるのか」という不安はもとより、働き続けても「入職数年後とほとんど変わらない」「経験を積んでも反映されない」――そんなむなしさにおそわれる。

そもそも施設では、収入(介護報酬)が少ないために、正規雇用だけで運営することができない。正規と同じ、あるいはほとんど変わらない内容の仕事・働き方・責任が課せられながらも、処遇はさらに一段低いという非正規雇用を増やして職場を「まわしていかなければならない」状況なのだ。正規との賃金格差に、「同じ仕事をしているのになぜ」というまっとうな不満が、どうしても非正規の頭から離れない。

しかも、介護福祉士の資格を取得したからといって正規への登用の道が約束されているわけではない。将来性はよりいっそう見えづらい。介護に対する社会的評価の低さに打ちのめされ、心身ともに疲労(ひろう)し、それでも、自分を必要とする入居者の生活・尊厳を守るため、勤務に就(つ)く日々が続く。

 

 

私たちの側から制度を構想する

介護現場や介護労働をことさらに悲壮なものに「仕立て上げる」ことを意図したつもりはない。介護など福祉職場を、実態をふせて美しく描くことで、そこで働く者の労働条件に無頓着(むとんちゃく)になりがちな風潮を戒(いまし)め、制度・政策の出発点にこうした現場の実態をきちんと据(す)えたかったことによる。団塊世代の高齢化で、2025年には現在のおよそ倍近い介護労働者が必要になるという推計もある(厚労省1月20

日発表資料)。その点からも事態の改善は待ったなしだ。

介護保険制度の設立に少なからぬ役割を果たしたのは、「嫁」「妻」の立場で、家庭内で介護を一身に背負わされてきた女性たちだった。いま私たちは、その役割を介護労働者に押しつけていないか。しかも、介護職の離職が相次ぐ中で、労働条件の抜本的な改善を図るのではなく、この条件でも働いてくれる人材を海外に求めようとするその行為は、正義にかなっているだろうか。財源の捻出(ねんしゅつ)も含めて、条件整備を図(はか)るべきである。

もっともそこで「介護の社会化」「制度の持続可能性」、さらには「強い社会保障」などのキーワードにまどわされる必要はない。私たちに求められているのは、介護労働者や高齢者・要介護者の実態を制度構想の中心に据(す)えることである。東日本大震災以降、人と人とのつながりが強く意識されている。「いったい、いつになったら介護現場は救われるのか」──閉塞(へいそく)感さえ広がる現場の声に応(こた)えることができるかが、いま私たちに問われている。

 

 

 

(参考資料)

川村雅則「北海道における雇用・産業の一断面(2006~2011年)」

 

 

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