瀬山紀子「<生きる>を支える仕事──非正規労働の現場から」

『月刊社会教育』 63(3)、2019年3月号(No.754)、国土社、19頁-25頁からの転載です。どうぞお読みください。

 

私の日々の生活から

シューーー、シューーー、シューーー。ベッドから、呼吸器の奏でる安定した音が聞こえてくる夜。それを聞きながら、自分もベッドの隣の布団に横になり、眠りにつく。それからどのくらい時間が過ぎたか。眠っている自分の耳元に「おーぃ。呼吸器のホースをもう少し右に回してー」という声が聞こえる。「はい」と起き上がり、ホースの位置を整える。「これでいいですか」、「はい。いいです」と簡単なやりとりをして、また、互いに眠りに戻る。

24時間介助を必要としながら、地域で、介助者をいれて生活している障害のある人のもとに介助に行きはじめて、かれこれ20年近くになるだろうか。日中の仕事を終えて夕食をとり、しばらくしてから、夜、泊まり介助先に向かう。私にとっては、月数回の介助。介助先の方にとってみれば、毎日のこと。彼女の暮らしは、毎日、だれかが介助にやってくることで成り立っている。その意味で、介助保障制度と、その担い手である介助者が、彼女の生活には欠かせない。

彼女は、そうした、親元や施設ではない「地域での自立生活」を支える介助保障が、まだ制度化されていなかった時代から、必要な制度を求めて、それをつくってきた人の一人だ。そして、私は、当初はボランティアとして泊まり介助に行きはじめ、その後、制度ができていくなかで、泊まりを中心にした介助を有償で担う一人となり、細い関わりながら継続的に、いくつかある自分の仕事の一つとして、介助を担うようになった。

介助という仕事は、直接的に人の暮らしを支える仕事だ。それと同時に、介助を担う担い手にとっては、介助という仕事が、自分の暮らしを支える一つの要素になっている。介助の仕事を継続しながら、私は、仕事をすることが人の暮らしを支えること、そして、そのためには、人の暮らしを支える側もまた、安定的に生活をしていけることが大切だということを実感として感じてきた。

現在、私は、週4日、29時間勤務の非常勤職員として、男女共同参画推進の拠点施設として設置、運営されている県の女性関連施設(男女共同参画推進センター)で、事業コーディネータという立場で働いている。仕事は、センターで行っている相談、講座の企画・実施、ライブラリーの運営、他団体との連携、広域避難者支援等々の事業全般に関わりながら、県内の市町村や学校、公民館等からの依頼で、出前講座を実施する等、多岐にわたっている。また、最近では、社会教育課程の学生を含む、大学生の受け入れを行い、男女共同参画推進のための行政機関の役割を知ってもらいながら、ライブラリー等を利用して、DVや子育てに関わる課題など、さまざまなテーマでの課題学習の機会を作ることも行っている。

このセンターで非常勤の事業コーディネータとして働くようになって、今年で10年目を迎えた。

 

私自身のこれまで

私自身は、大学院の博士後期課程在学中に、非常勤講師として大学等で、社会学やジェンダー関係の授業をもつと同時に、日本女性学会の関係でつながりのあった方からの紹介で、公立の女性関連施設で非常勤のコーディネータとして働きはじめた。自分自身が、大学や大学院のころに、利用者として使い、人や情報と出会ってきた公立女性関連施設。そうした場で、働き手になれたことに喜びながら、さまざまなことにチャレンジしてきたように思う。

縁があり、都内の二つの女性関連施設で、合計7年半ほど働き、その後、現在のセンターで仕事に就いた。この間、大学で研究員や非常勤講師の仕事をし、介助の仕事をし、また、いわゆる仕事ではない、さまざまな社会活動にも関わりながら、女性のパートナーとの二人暮らしで、それぞれに生計を立て、暮らしてきている。

気がつけば、仕事をはじめて20年弱。私は、これまで、ずっと非正規雇用で働いてきた。

非正規雇用。私の場合は、単年度ごとに、雇用を更新して、当初与えられた条件が基本的には大きく変わらないまま、特に経験を積むごとに昇給があるわけではなく、また賞与が出るのでもない、さらにもし辞めたとして退職金が支払われるわけでもなく、定年が定まっているのでもない、その意味では、定年後という概念自体がないといえるであろう、そんな働き方が現在の働き方だ。

自分は、いつのまにか、そんな働き方のなかに、身を置くことになっていた。

仕事場で、定年退職を迎えた行政職員の方が、「20代で入職後、今思えば、あっという間の40年間で、今日の定年退職を迎えることになりました。みなさんも、その時がきたら、きっとそういう思いを持たれると思います」と挨拶をされたとき、同じ仕事場にいながら、正規職員と非正規の感覚は、ここまで違うのかと、本当に驚いたことがあった。

いわれてみないとわからない。

毎年、なんとか、更新を繰り返しながら、必ずしもこの先働き続けられる保障はないなかで働く、という働き方。冷静に自分の働き方について考えてみると、不安定というよりも、とても大きな<不安>そのものが、目の前に迫ってくるような、そんな感じがないわけではない。

これまでにも、そのような不安定な場に身を置き続けることに、なんとか区切りをつけようとしたこともあった。しかし、結果として、この場で、長く働くことになった。そして、現在、私自身は、このような公立の女性関連施設という仕事場が、これから先に続く働き手にとっても、安定して働くことのできる場になるために、何かできるのかを考えたいと思い、そこに留まり、試行錯誤を続けている。

 

女性労働問題としての非正規公務問題

非正規公務という、私自身も身をおく領域は、いままで、地方公務員法のあいまいな運用によって、任用根拠と実態との間に隔たりがあったまま、主には、地方自治体の財政難を背景に広がり続けてきた(前田2014参照)。そして、官製ワーキングプアという言葉がつくられるような、正規職員と比較すると著しく低い処遇の状況も、同時に問題とされてきた(上林2018参照)。

そうした中で、2017年に、地方公務員法と地方自治法が改定され、2020年4月から、会計年度任用職員という新たな制度がはじまることになった。この先、非正規公務の領域で働く人たちの位置づけは、大きく変わることになる。

しかし、非正規公務の働き手のどのくらいの人たちが、いま、まさに自分たちを取り巻く制度が変わりつつあることを知っているだろうか。

ここでは、この制度改正については詳しく書かないが、まずは法律が変わったことで、この先、各地方自治体の条例や規則等が作られ、非正規公務の働き手の位置づけや働き方が大きく変わることを、当事者を含めた多くの人が知り、関心を持つことが必要だと感じている。

非正規公務員は、総務省の2016年の調査によれば、現在、全国で64万3131人が働いており、そのうち約75%を占める48万1596人が女性だという(総務省「地方公務員の臨時・非常勤職員に関する実態調査」2016年)。そこには、女性相談窓口の相談員や保育士、学童指導員、消費生活相談員、図書館職員、公民館職員、教員、そして私が働いている女性関連施設の専門員などが含まれている。こうした仕事は、経験や専門的な知識を必要とするものも多く、そうした業務が非正規公務員によって担われているのが、現在の状況だ。

ただ、公務非正規の実態は、全体の数値でしか明らかになっておらず、性別と合わせて、年齢別や職種別でみた実態がどのようになっているかについては、分析をするための数値自体が十分には出されておらず、課題が見えにくい。

しかし、実態として、非正規公務に占める女性の割合が75%という高さであることは確かであり、この問題を考える際には、ジェンダーの視点は抜かすことができない。

その意味で、このテーマは、私自身が仕事上でも、また自分自身の関心事項としても関心を寄せてきたジェンダーと労働がクロスする女性労働問題のとても重要な課題なのだ。

 

非正規労働で働くこと

2018年8月に出された労働力調査によれば、15~64歳の女性のうち就業者の割合は、70.0%で、比較可能な1968年以降で、過去最高を更新したという。いまや7割の女性が有償労働に就いている。しかし、女性就業者の半数以上、55.9%は非正規就業となっており、一時よりはその割合は下がってはいるが、女性の就業率を引き上げているのは、現在も非正規雇用という状況は変わらない。

そこからは、正規で働く労働者を男性と位置づけ、正規労働者は長時間労働が可能な人とみなし、そうした労働者を、家で、女性が、家事や育児、介護などを担うことによって支え、女性は、それに加えて、パート労働などの「補助的労働」も担うように要請されるという、現在の性別役割分業型の社会構造が見えてくる。こうした構造が非正規労働を低い条件に押し込めてきた大きな要因となっている。

非正規雇用で働く人は、多くの場合、雇用期間に定めがあり、実態としては継続雇用がなされていたとしても、長期継続的に働くことは前提とされていない。そして、昇給や賞与、退職金などはない場合が多い。そして、そうした人たちは、昇給や賞与といったお金をインセンティブにしない働き方に、ある意味では慣れてきたと言える。いや、そうしたものがインセンティブや、働くことのモチベーションになることへの想像力自体が、持ちにくいのが実際のような気もする。

多くの非正規雇用で働く人たちは、当初から、非正規雇用として、示された条件のもとで、懸命に働いている。そこでは、昇給や賞与、退職金といった、正規雇用であれば、通常あるものが、ないことがあたり前とされている。比較すると、自分たちの状況がひどく低く位置づけられていることに気が付くかもしれないが、多くの場合は、比較する物差し自体を知らないままでいる。労働者という位置づけ自体が自分にはしっくりこないと思っている人もいるかもしれない。

正規と非正規は、それだけ、働くことに対する感覚が異なっているように思える。もちろん、職場や職種によって状況は異なるだろう。これは、あくまでも、私の見知っている感覚なのだと思う。

そうしたなかで、私自身は、非正規で働く私たち自身が、自分たちの問題を、労働問題として捉えなおしていくことが、とても大切なのではないかと感じている。

 

非正規雇用の問題を労働問題として捉え返していく回路

先に、いま、公務領域の非正規の問題に焦点が当たっていることを書いた。公務領域というのは、市民に対して、公共サービスを提供していく仕事をしている領域だ。先に記した、その7割以上が女性によって占められている公務非正規の私たちが働く場も、まさに、その市民サービスの最前線を担う領域だ。

そうした領域が、これまで(そして場合によってはこれからも)、官製ワーキングプアと呼ばれるような低い待遇と、悪い条件のもとに位置づけられてきた。そのことに、私たち自身が、向き合っていく必要があるのだと思う。

私たちの仕事の先には、公務サービスの利用者がいる。そして、私たち自身が、仕事場を離れれば、公務サービスを利用する一市民としての利用者でもある。私たちの仕事は、そうした私たち自身を含む、市民が、よりよく生き、そのために子どもを預け、働き、学び、交流し、活動し、相談が必要となったときには安心して相談し、必要な支援を受ける、そんな公共サービスを提供する仕事だ。

私たちは、そうした公共サービスを提供する側の一人として、私たち自身の安定した暮らしを、もっと求めてよいのだと思う。それは、私たち自身が、私たち自身の雇用環境について考え、立ち止まると不安に襲われるような働き方ではなく、これから先に続く働き手にとっても、安定して働くことのできる職種として、いまの仕事を位置付けるためにどうしたよいかを考え、行動を起こしていくことを意味する。いまは、まさにその時だ。

 

生きることを支える仕事

障害者介助の仕事に携わってきた自分の経験をはじめに書いた。「働くことと生きること」というテーマを考えたとき、なぜか、介助先での呼吸器の音がイメージとしてでてきた。

生きることを支えること。

それが私のなかで、働くことという言葉に重なったのだと思う。

人が生きることを、さまざまな意味で支えることが、働くことだという実感。そこには、自分自身が生きることを支えることと、人が生きることを支えること、双方の意味が含まれている。

これまで、人が生きることを支える仕事は、その多くを、家のなかで女性たちが無償で担ってきた。しかし、私自身が関わってきた障害者自立生活運動の担い手たちが、24時間介助を必要としながら、自分が生きていくために必要とした関係は、家族によらない介助保障という仕組みだった。私はそのことの意味や可能性を考えていきたいと思い、これまでも、介助という関係のなかに身を置いてきた。

生きることを支えることは、支える側の自立的で安定した生活なくしては成り立たない。私たちは、私たち自身がよりよく生きることを、もっと望んでよいのだと思う。

 

 

 

[参考文献]

前田健太郎2014『市民を雇わない国家』東京大学出版会

上林陽治2018「非正規公務という差別構造」『生活協同組合研究』、Vol.512、公益財団法人生協総合研究所[5-13]

瀬山紀子2017「新たな経済社会の潮流のなかでの男女共同参画センターの役割についての検討」『ジェンダー研究』、Vol.19、東海ジェンダー研究所[129-149]

瀬山紀子2013「公立女性関連施設における公務非正規問題を考える」『労働法律旬報』、1783・1784号、旬報社、[138-145]

 

 

(関連記事)

瀬山紀子「公務非正規女性全国ネットワークの調査を実施して」

瀬山紀子「非正規公務員の現場で起きていること—働き手の視点から—」

 

 

Print Friendly, PDF & Email
>北海道労働情報NAVI

北海道労働情報NAVI

労働情報発信・交流を進めるプラットフォームづくりを始めました。

CTR IMG