小坂直人「ラピダスは半導体産業の救世主か」『NPO法人北海道新エネルギー普及促進協会 会報』Vol.56(2025年1月1日号)~Vol.60(2026年1月1日号) への連載

 

1.ラピダスブームに想うこと

2023年9月1日、ラピダス千歳工場の起工式が行われた。現在、すでに巨大な工場建屋の一部が姿を見せ始めており、千歳空港からも稼働中のクレーン群をみることができる。3600人余りの作業員が日々働いており、彼らが宿泊する千歳市内は住宅供給に大わらわであるという。それに伴い、飲食店をはじめとしたサービス業も活況を呈し、地元の経済活性化に今のところ大いに貢献しているといえよう。ラピダスに期待しているのは千歳市だけではない。道はラピダスが先端産業ブームの起爆剤となることを想定し、早速、安平川からの新しい工業用導水管をラピダス向けに準備する力の入れようである。ラピダス小池社長とともに、アメリカのIBMリサーチ施設視察に知事が自ら出かける程、ラピダス支援に邁進しているのである。政府からの資金援助も半端でなく、すでに9200億円もの額が拠出されており、ほとんど、政府丸抱えの事業の感さえある。これほど政府も後押ししているラピダスであれば、順風満帆と行きそうなのだが、果たして現実はどうか。まだ操業していないのに、政府のテコ入れを逆に心配する声も聞かれる。

ラピダスは地に足着いた実業となるか、それとも虚業に終わるのか、多面的に考えてみたい。

 

出所:北海道庁「次世代半導体製造拠点取水可能性調査事業委託業務」第1回有識者懇話会 説明資料 令和5年(2023年)8月25日

 

2.TSMC熊本工場とラピダス

ラピダスの千歳立地報道を聞いて、真先に頭に浮かんだのが、かつての日立北海セミコンダクタである。同社は1982年に日立の子会社として設立され、函館と千歳に工場を展開した。千歳工場は、現在はミネベアミツミ千歳事業所として操業している。函館工場も、ルネサステクノロジを経て、2012年にジェイデバイスに買収され、その後、米国アムコー・テクノロジーの子会社として操業中である。同社の紆余曲折は日本の半導体産業の盛衰の反映ともいえる。80年代から90年代初めにかけて、日本は半導体ブームに沸き、「重厚長大型」から「軽薄短小先端型」への産業構造転換が叫ばれていた。とりわけ「テクノポリス構想」実現が地域経済の浮揚策としても一世を風靡していたのである。熊本を中心とした半導体産業の勃興が「シリコンアイランド」としてもてはやされたのもこの時である。日本の半導体産業をこの時代のように、再び世界の頂点に引き上げる期待の星がラピダスであるが、それが、千歳を舞台に立ち上がることに、何かしら因縁を感じる。実際、ラピダスの小池社長は、日立北海セミコンダクタの設立関係者の一人であった。

ラピダスの千歳立地と並行して、熊本には世界トップの半導体受託製造専業会社(ファウンドリーメーカー)TSMC(台湾積体電路製造)が進出することになった。ラピダス同様に日本政府は同社に対して1兆2千億もの支援を行なっている。日本の北と南で同時に巨大半導体工場が立ち上がることを受けて、この二社は何かにつけて比較される。どちらが成功し、競争に勝つかという俗的な取り上げ方もされるが、その結論は、ラピダスは事業に失敗し、敗れるとするのが多いようである。実際、TSMC(トヨタ、デンソー等との合弁子会社JASM)はすでに2024年に第一工場が稼働開始し、2027年には第二工場も稼働開始予定となっているが、ラピダスはまだ工場が完成していないし、2025年春に、隣のエプソン工場のフロアを間借りして、試作を開始する段階である。量産化は2027年を予定しているが、それはすべてのプロセスが順調に進んでいくことが前提である。つまり、ラピダスはまだ製品化、ましてや量産化に成功していないのである。

JASMが製造する半導体は12~16、22~28ナノレベルを中心とした現状の普及品であり、最先端製品ではないのに対し、ラピダスが目指すのは2ナノレベルの最先端製品である。しかし、TSMCは、台湾では3ナノレベル半導体をすでに量産化しており、2ナノレベルについても、2025年度中には量産化する見込みという。結局、TSMCの先行性は明らかであり、しかも、熊本工場は顧客としてソニーやトヨタなどを中心にがっちりと囲い込んでいるのである。その限りでは、ラピダスの後塵性は明らかであり、勝負はすでについているという意見は妥当かもしれない。それでも、ラピダスを推進する意図はどこにあるのか、TSMCが熊本に進出してきた狙いは何か、この両社に国が巨額の支援を同時に与えている背景は何か、興味が尽きないところである。

 

 

 

3.半導体工場と電力

TSMCが熊本に進出した理由は何だろうか。県や政府が補助金等、好条件で誘致したことは間違いないが、熊本以外でも、ソフトバンクグループと提携した台湾の半導体製造会社PSMCの誘致に成功した宮城県大衡村の例もあるように(この計画は2024年9月に白紙に戻ったが)、より魅力的な誘致条件を提示するのは熊本だけではないのである。特に半導体工場の場合は、電力・工業用水等のインフラが重要であり、しかも、用水については質量ともに最高であること、電力は安定的であることが求められる。ここでは、まず電力について考えてみたい。

TSMCの台湾における電力使用量は、2023年に240億kWh(年)、2030年には400~450億kWhになると予想されている。2022年時点で、台湾の総電力需要の7.5%を占め、2030年には13%を超える見込みである。このTSMCの増大する電力需要に台湾電力が応じきれるかどうかが問題となっている。台湾では、現在稼働中の原発が2025年をめどに停止の方向であり、再エネも計画通りには進んでいない。TSMCにとって、電力が深刻な隘路になりつつあるのである。熊本進出の理由の一つが、台湾の電力事情にあることは間違いないであろう。九州電力は国内電力会社の中では、最安値の電気料金を提示しており、また、玄海・川内両原発がすでに再稼働しているから、供給力も安泰とみられている。台湾の電力を費消しつくしたTSMCの目には、熊本は願ってもない楽園に映っているかもしれない。

ラピダスの場合、工場完成後の電力消費が60万kWに達するという報道に道民は驚愕した(『北海道新聞』2023.9.30)。以後、このラピダス需要と泊3号機再稼働がセットとなって報道される機会が格段に増えた。2025.4.30に原子力規制委員会が泊3号機の安全審査合格を発表した際、同機の再稼働時期とラピダスの量産時期が2027年と一致していることを問われた北電社長は、「ラピダスを下支えするのがわれわれの役目だ」とした上で、「原子力の必要性はラピダスいかんによらない」ともいっている。ラピダスの操業に再稼働を合わせることが安全審査に影響を与えないかと問われた山中規制委員長も、「事業者のスケジュールに合わせて、審査や検査を進めることはない」と発言している(『北海道新聞』『東京新聞』2025.5.1)。このように、ラピダスと原発再稼働を結びつける言質は用心深く避けられているが、電力広域的運営推進機関OCCTOの需給計画などからみて、ラピダスやデータセンターDC等が北海道の電力需要を引き上げ、それに応える供給力として泊原発が予定されているのは、誰も否定できない「周知の事実」というべきであろう。

ラピダスの電力需要として想定されている60万kWは、全供給力が500万kW台(冬季)の北電にとって、10%を超える水準であり、一顧客の需要量としては突出している。鉄鋼や紙パルプ等、従来のエネルギー多消費型企業は自家発対応することが一般的であるように、半導体企業も電力の自賄いを考えるべき水準にあるといえる。スリーマイル島原発1号機を再稼働させ、全量を買い取るというマイクロソフトの計画があるくらいである。今、半導体産業は電力多消費産業の「先端」も走っているのである。

 

4.ラピダスと用水・排水問題

台湾では、最後まで残っていた原発が計画通り2025年5月17日に閉鎖されたが、この原発ゼロの重みを伝えた日本の報道は少なかった。TSMCにとって、この原発閉鎖による電力不足も懸念材料であったことは疑いない。しかし、それよりも切迫していたのが用水不足であった。台湾は雨の多い土地柄ではあるが、時として干ばつに見舞われることがある。今世紀になって、2002年、2015年そして2020年と深刻な渇水に襲われた。降雨時に貯水池に貯めておくという手はあるが、自然は人間の思い通りにはならない。そのため、台湾政府は用水確保のためのインフラに巨額の投資を強いられてきたが、水の大量消費者であるTSMCも給水体制の強化や水の再生使用など、自前の対応に躍起となってきた。

こんな時、熊本誘致の話が持ち上がった。タイミング的には、2021年の車載半導体の品不足によって自動車減産が強いられていた状況とも重なり、これを製造するという触れ込みであった。この背景のもとTSMCを破格の条件で誘致したのである。熊本が選ばれたのは、熊本が清涼かつ豊富な地下水に恵まれていたからである。確かに、熊本市は70万都市でありながら、その水道水源として100%依拠できるほど地下水が豊富である。それをふんだんに使える環境はTSMCにとって願ってもないことである。もちろん、地盤沈下が警戒される地域については「工業用水法」によって規制がかかる(指定地域)が、熊本は対象外である。ただ、「熊本県地下水保全条例」によって重点地域とされ、地下水位については要チェックとされている。しかし、TSMC誘致に際して厳格に適用された節はない。また、TSMCの排出水に対して、企業秘密を口実に規制に消極的であり、水俣病の教訓がほとんど生かされていない。ふたたび、経済優先主義がまかり通っているのである。

ラピダスの水事情はTSMCとは違う。ラピダスでは最初から道の工業用水が当てにされており、既にみたように、道はラピダスに直接供給するため、突貫工事で導水管を建設している。試作段階では千歳市からの供給で間に合うが、日量2万8千㎥を使用する27年の量産段階ではとても足りないからである。取水先の安平川ではPFASが検出されており、他の汚染物質を含め、ラピダスに供給する水が純水化プロセスを通るにしても、不純物は少ないに越したことはない。問題は、やはり半導体の各製造工程で用いられる化学物質の多さであり、工程終了後に排出される処理水である。テキサス・インスツルメンツ美浦工場のように汚染水を工場内で処理し再利用するクローズドシステムがベストであるが、ラピダスは千歳市の下水処理に委ねる意向である。完全丸投げではないとしても、千歳市の処理水が最終的には千歳川に放流されることから、万一の影響は、下流域の江別市、石狩市などにも及ぶのである。上流の汚染が下流へと広がるのは新潟水俣病やイタイイタイ病を通じて骨身にしみて理解しているはずの日本人であれば、当然想定できる事柄だと思う。大気中への揮発分を処理するとともに、排水のクローズドシステムを追求すべきであろう。最低限、製造工程で使用される化学物質の公表、排水検査など、事業者と行政がやるべきことは多いのである。全国的には各所でPFAS検査が実施されているが、千歳川・石狩川流域住民も、足元の実態を知ることから始め、行動することが求められているといえる。

 

5.ラピダスと「人材」育成問題

2025年11月25日、「北海道半導体人材育成等推進協議会(事務局・北海道経済産業局)」が産学連携教育プログラムに取り組む半導体「人材」育成ミニワーキンググループの初会合を開き、これまでの大学・高専への技術者派遣や工場見学などの教育プログラムを充実させる方針を確認したという。爆速で進むラピダス事業に比べ、何という悠長な対応なのであろうか。取りあえず工場と設備を用意、働く人はこれから育成というふうにみえる。

北海道は元々、半導体など先端産業の層が薄く、それを支える研究機関や「人材」供給機関が少ないといわれてきたが、ラピダスがこの弱点を一気に露呈させた。この遅れをカバーするように、内閣府「地方大学・地域産業創生交付金」を受け、北大に「半導体フロンティア教育研究機構」が設置された(25年度開始)。機構は、千歳科学技術大学とも連携し、ラピダスや道内半導体企業との共同研究や、企業の技術力向上と新産業創出を推進するという。また、文科省も、ここ30年間で後退した研究体制を再構築し、「半導体基盤プラットフォーム」事業と「人材育成拠点」事業を25年度から開始した。前者は国内研究機関がネットワークを構築し、企業や大学が研究開発を行う際に必要な技術を提供するものであり、後者は、全国7カ所で複数の大学や高専がグループをつくり、各グループで共同の教育プログラムを開発し、修士などの「人材」を育てるものである。道内では、北大を拠点校とし、連携校として室蘭工大など4大学、旭川高専など4高専が参加し、九州工大が先進校として連携する。各校は、既存学科の定員増あるいは新学科・新コース設置などで対応する。ただ、半導体「人材」が不足しているのは今に始まったことではない。ラピダスの進出にあわてて研究教育体制を構築するというのは、いかにも泥縄式である。

しかし、実は、千歳科学技術大学は1998年に光サイエンスという先端技術をうたい文句に発足しているし、はこだて未来大学も、システム情報科学部をもって2000年に開学している。北大を含め、既存の大学研究機関が従来の体制の下でも、半導体など先端科学研究を着実に進めていれば、何もあわてることはなかったはずである。研究教育行政の無為無策は大学だけの問題ではなく、文科省を中心とした国の科学教育政策の問題であり、根は深い。この本質的な背景に目を向けず、突然現れたラピダスのために大学・高専等の教育体制をかき回すならば、その成果は期待できないだろう。教育機関の本来的役割は、企業や社会の求める「人材」を育成することではなく、社会や企業を動かす「人間」を養成することである。「即戦力」を備えた「人材」という言葉には、人間を手段化する響きしかない。現在の日本社会は、大学や教育機関の果たすべき役割について勘違いしていると思う。そして、その責任は政府と財界にある。ラピダスが研究教育機関に投げかけた問題は、不足する半導体「人材」の育成という労働市場と教育機関のミスマッチ問題ではなく、ラピダスの成否が国の帰趨を決する事案であると喧伝し、国民とその資源を国家目標に動員する「総動員体制」構築につながる問題である。この構図にすり寄り、ラピダスのために教育研究をゆがめる大学・高専のあり方は悲惨である。何よりも、ことが大学における軍事研究促進と裏腹の関係にあることに早く気付くべきであろう。

 

 

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