中澤秀一「「年収の壁」から考える税と社会保障の関係」

中澤秀一「「年収の壁」から考える税と社会保障の関係」『月刊全労連』第339号(2025年5月号)pp.25-34

 

 

 

はじめに―注目される「年収の壁」

近年の最低賃金の上昇に伴って、注目されるようになったのが「年収の壁」である。これは、非正規雇用の主婦などで所得が一定水準を超えると扶養対象外となり、税や社会保険料の負担が生じることによって、かえって本人や世帯全体の手取りが減少すること=手取りの逆転現象に由来する。手取りの逆転現象を避けるために就業調整が行われるようになり、労働力不足を招いていることが問題視され、2023年から政権が「年収の壁」の解消に向けて取り組みを始めているが、注目のきっかけとなったのは、2024年の総選挙で国民民主党が掲げたキャッチフレーズである。そのキャッチフレーズとは「手取りを増やす」であった。このキャッチフレーズが若年層を中心に有権者の支持を集めて国民民主党が大躍進したのは記憶に新しいが、手取り増大策の目玉となったのが、「103万円の壁」を178万円に引き上げるという政策である。「103万円の壁」の詳細については後述するが、実際には103万円を超えて働いても手取りの逆転現象は起こらないし、「178万円の壁」になったとしても税収減を他の租税公課で穴埋めするのだとすれば手取りが増えない。それにもかかわらず、「103万円の壁」の改革が「手取りを増やす」と安易に信じられてしまったことの背景には、国民が税や社会保障にあまり関心を持たず、その仕組みについてきちんと理解していないことがあると考えられる(もちろん、目まぐるしく改革し、ややこしい制度にしている政府の責任が大きいが)。本稿では、まずは「年収の壁」について解説し、さらに生計費の視点から税のあり方を考えてみたい。そのうえで、今後の税と社会保障の関係についても検討する。

 

1.就労調整の起点となっている「年収の壁」

1980年代以降、被扶養者のままで就労できるような制度が設けられていった結果、損得を考えて年収をある一定額に抑えること=就労調整が増えてくる。この被扶養者のままで就労できるような制度が、いわゆる「年収の壁」と呼ばれている。以下、税制上の壁と社会保険適用の壁にわけて説明していこう。

 

就労調整が行われる起点となる“壁”

 

(1)税制上の壁―「103万円の壁」および「150万円の壁」

「103万円の壁」および「150万円の壁」は税制上の壁である。所得税には所得から一定額を差し引く「控除」の仕組みがあり、この「控除」された部分に課税はされない。税金が“お得”になるこの「控除」の仕組みが適用される年収ラインに由来する壁である。

「103万円の壁」とは次のような仕組みにもとづいている。給与を得て働く者が、「基礎控除」の48万円と「給与所得控除」の55万円の合計額である103万円を超えると、超えた額に対して(仮に、年収が104万円であれば超えている1万円に対して)所得税が課税される。さらに、給与を得て働く者が被扶養者である場合には、扶養する者の所得税が優遇される仕組みともなっている。このような仕組みが背景となって、自らの年収を103万円未満に調整する傾向がみられ、これが「103万円の壁」と呼ばれるものである。

次に、「150万円の壁」とは次のような仕組みにもとづいている。被扶養配偶者の年収が一定額以下だと、扶養する者は「配偶者控除」(103万円まで)や「配偶者特別控除」(103万円以上150万円まで)を受けられ所得税が減額される仕組みになっているが、その上限ラインが150万円であるため「150万円の壁」と呼ばれる。ただし、150万円を超えても控除額は逓減しながら201万6000円までは配偶者特別控除が受けられるため、「201万円の壁」も壁のひとつとして指摘されることがある。[1]

簡単にまとめると、年収が103万円を超えると所得税の課税が発生し、加えて扶養する者の所得税の優遇策がなくなる。150万円を超えると配偶者の税制上の優遇措置が逓減していく。このために被扶養者が自らの収入をこれらの枠内に調整する傾向がみられ、「103万円の壁」や「150万円の壁」と呼ばれるようになった。

ちなみに、冒頭で述べたように妻の収入の増加に応じて世帯の手取り額はゆるやかに増加するため、103万円を超えても手取りの逆転現象は起こらない。しかし、実際には「103万円の壁」が顕著に出現しているのだが、それについては後述する。

 

(2)社会保険適用の壁―「106万円の壁」および「130万円の壁」

「106万円の壁」および「130万円の壁」は社会保険適用の壁である。この年収ラインを超えると、被扶養者の認定を受けられず自らが被保険者となったりして、保険料を納める義務が生じることになる。

まず、「130万円の壁」について説明すると、被用者(サラリーマンや公務員)に扶養される配偶者の年収(賞与、時間外手当、交通費等を含む)が130万円未満(60歳以上や障害者の場合は180万円未満)であると、健康保険や厚生年金では被扶養者として、国民年金では第3号被保険者として、それぞれ認定を受けられて保険料が免除される仕組みにもとづいている。もし、既定の年収ラインを超えると、配偶者は自ら年金や医療保険に加入しなければならなくなり、社会保険料を納めることにより、収入の増加によってかえって手取りが減少する、手取りの逆転現象を招くことになる。たとえば、協会けんぽの保険料率は全国平均で10.0%(2025年度)であるので、労働者負担の5.0%分が賃金の差し引かれることになる。同様に厚生年金は18.3%の2分の1の9.15%分が、国民年金は第1号被保険者の保険料17,510円(月額)が、それぞれ差し引かれる。これは決して少なくない金額である。

次に「106万円の壁」は、パートタイム労働などの短時間労働者の社会保険適用拡大に伴って生じた壁である。51人の企業等で働く者で、週の所定労働時間が20時間以上、所定内賃金が月額88,000円以上などにすべてに該当すると、健康保険や厚生年金の加入対象となる仕組みである。88,000円を12倍すると約106万円になるために「106万円の壁」と呼ぶわけだが、実際には月額の所定内賃金を基準にしているため、正確には「月収8.8万円の壁」と呼ぶべきだろう。いずれにしろ、「130万円の壁」と同様にこちらも手取りの逆転が起こる壁である。

 

(3)「年収の壁」の実際に存在するのか

「年収の壁」を意識して、実際に就労調整を行っている労働者はどれほど存在するのだろうか。限定的なデータではあるが、近藤絢子氏、深井太洋氏による「市町村税務データを用いた既婚女性の就労調整の分析」によると、配偶者のいる女性については「103万の壁」と「130万の壁」が明らかに存在することが確認できる(図1参照)

 

図1 有配偶女性の給与収入の分布

(出所)近藤ほか(2023)、29ページより抜粋。
(注)東京⼤学政策評価研究教育センターのプロジェクトに参加した16自治体の2017~2021年における25~60歳の有配偶⼥性のデータより作成されている。

 

「130万円の壁」については、先に述べたように手取りの逆転現象が起こるため、そのラインを意識した就労調整が一定数で行われていることに納得ができる。しかし、「103万円の壁」については、配偶者特別控除があるために手取り額が減るという逆転現象は起こらない。では、なぜ壁が存在するのだろうか。理由のひとつに考えられるのは、主たる稼ぎ手である夫の所得が重視されるためである。所得が高ければ高いほど高い税率が適用される。夫のほうが妻よりも収入が多い場合、夫の税率のほうが高くなる。この高い税率を少しでも抑えるために、収入の少ない妻の就労を調整し、夫の税金に影響する控除を多く取ろうとするインセンティブが働くことが考えられる。

もうひとつの理由は、企業が配偶者に支給される扶養手当(家族手当)の支給要件に連動しているためである。人事院の「令和6年職種別民間給与実態調査の結果」によると、配偶者に扶養手当を支給している民間企業は71.8%で、そのうち9割近くが配偶者の所得金額による制限を設けている。多くの企業で103万円や130万円を扶養手当支給の所得制限金額として設定している。

 

図2 配偶者手当の所得制限金額の内訳      (%)

(資料)人事院「令和6年職種別民間給与実態調査の結果」より筆者作成。

 

ちなみに、手取りの逆転現象が起きる「106万円の壁」については、ここでは存在が確認できないのは、調査の時点では現在よりも適用範囲となる企業規模が制限されていて、対象となる労働者数が少なかったことが影響していると考えられる。

 

2.温存されてきた世帯単位のシステム

「年収の壁」は、税制だけなく、社会保障制度、賃金・雇用システム、性別役割分業意識などの諸要因が絡み合って幾層にもわたって形成されている。現在、「年収の壁」に関連した議論が盛んに交わされているのは、世帯単位で設計されている社会システム(税制・社会保障制度・賃金雇用システム)のさまざまな矛盾が露呈しているからである。

世帯単位の社会システムとして象徴的な制度のひとつに配偶者控除がある。戦前の所得税法では、同居の親族の所得は、家長の所得に合算しなければならなかった。前後の民法改正により家長制度はなくなったが、所得税法では家族の所得を合算するという世帯単位の課税制度は変わらなかった。その後、1949年にシャウプ使節団による勧告を受けて、翌1950年に税制改正が行われ、世帯単位の課税制度は廃止され、原則は個人単位となった。ところが、家族間で所得を任意に分散することにより、税負担を軽減しようとすることを防ぐなどの趣旨から、家族従業員の給料などの事業主所得は合算されて世帯として課税された。のちに、事業所得者が家族従業員に支払う給料を必要経費とされることとなった。これとのバランスを図るために、1961年にサラリーマン世帯の家事・育児を担当する妻の「内助の功」を評価するという趣旨のもとに新たな人的控除として配偶者控除が創設されたのである。「内助の功」とは、裏方で人を支えることを意味する。真偽のほどは定かではないが、戦国武将で土佐藩初代藩主となった山内一豊の正室・見性院が、夫のために嫁入りの持参金で高価な馬を購入したことが、織田信長の目に留まり、出世を助けたという逸話に由来している。このように「内助の功」には、夫の成功や活躍を陰ながら支える妻を評価する意味合いがある。ただ、「内助の功」が評価されることと引き換えに、女性は多くを失ってきた。本当に必要なのは、個人が経済的に自立できるような雇用の保障であり、賃金の保障である。

もうひとつの象徴的な世帯単位の制度に第3号被保険者制度がある。第3号被保険者制度は、1985年に導入された制度で、被用者の被扶養配偶者(年収130万円未満)を「第3号被保険者」として、本人は保険料の拠出を免除されるが、国民年金(基礎年金)の給付は受けられるようにした仕組みである。任意加入が認められていた専業主婦の救済策であったが、当初より恩恵を受けられない層から不公平な制度であると廃止・縮小が求められてきた。解決策として、「106万円の壁」で説明したとおり、社会保険(厚生年金)の短時間労働者への適用拡大が進められているところであるが、いまのところ根本的な解決には至っていない。2024年度末現在で673万人もの女性の第3号被保険者が存在する。

社会経済情勢が変化したにもかかわらず、このように世帯単位の制度はいまだに温存されている。一人ひとりが自立して生きられるようにするためには、個人単位化、つまり「年収の壁」の縮小・廃止がめざされるべきであろう。

 

3.最低生計費調査から考える課税最低限

(1)最低生活費非課税の原則

今後めざすべきは、一人ひとりが自立して生きられるような社会システム(税制・社会保障制度・賃金雇用システム)の構築である。本章では、税制における課税最低限について考えてみたい。めざすべき社会システムの構築にあたっては、その財源についても論じなければならないが、システム構築のための税や社会保険料の負担は、一人ひとりが生活困窮に陥らないような程度にとどめる必要がある。つまり、課税最低限をどこに定めるかが重要となってくる。

いうまでもなく税法も憲法の精神を尊重しなければならず、全ての国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障できるように、最低生活費には課税してはならない。これは万国共通で、日本と同様に諸外国でも基礎控除などの制度により課税最低限を定めている。

 

(2)最低生活費を知る―最低生計費調査から得られた示唆

全労連とその地域組織によって、これまでに全国30以上の都道府県で実施されてきている最低生計費調査は、これまでに50000ケース以上のデータを収集し、その分析結果は最賃運動をはじめにさまざまな運動において、エビデンスとして活用されている。ここでは、最低生計費調査の試算結果をもとに課税最低限について考えてみたい。

簡潔に最低生計費調査について説明しておくと、同調査ではマーケット・バスケット方式(全物量積み上げ方式)を算定方法として採用している。生活に必要な物資やサービスを個別的に積み上げて生計費を算出する方法である。具体的には、①生活実態調査(大まかな生活実態を把握し、生活パターンを決定する基礎資料とするもの。「昼食はどこで何を食べ,その費用はいくらか」「買い物はどこでしているのか」「日帰りの旅行は年に何回行き,その費用はいくらか」「忘新年会や歓送迎会に年に何回参加し,その費用はいくらか」等の質問からなる)、②持ち物財調査(対象世帯が生活に必要なものとして何を持っているかすべて記入してもらい,対象世帯が何をどれだけ保有するかと決定するための基礎資料とするもの)、③価格調査(持ち物財調査で保有を決定した品目について価格を調べるもの。最低価格、標準価格、最高価格を調査し、多くの場合は最低価格を採用する)である。これらの調査結果をベースにして、地域ごと年代ごとの最低生計費=「普通の生活」に必要な費用を試算している。

 

表1 最低生計費調査 試算結果(若年単身世帯) ※外部リンクへ

 

これだけ広範囲に、かつ詳細に生活実態を把握した生計費関連調査はない。最低生計費調査の試算結果は、表1のとおりである。筆者が監修者としてかかわった調査は、2015年に始まる。2022年ごろに始まった物価高騰はいまだに継続しているが、これに伴って生計費も上昇しているため、それより前に実施された調査のアップデートが現在各地で進められている。表1は、物価高騰以後に実施された試算結果も含めて、現時点での若年単身者の最低生計費を示したものである。

物価高騰は3年以上にもわたっているため、その影響を色濃く受けた試算結果もあれば、あまり影響を受けていない試算結果もある。それでも総合すると、消費支出額は、18万~20万円ほどになる。ここでは平均の19万円を消費支出額とする。このうち食費、住宅費、水道・光熱費、交通費、保健医療費などの基礎的消費支出は12万5000円程度になる。この12万5000円を課税最低限の基準額と設定する。

 

 

(3)基礎控除はいくらであるべきか

ここでは所得税における課税最低限の内容について考えてみる。所得税の課税最低限には特に定義はないが、配偶者控除、配偶者特別控除、扶養控除、基礎控除、以上の4項目の総額とする考え方がある一方で、政府税制調査会のように、これら4項目に加えて、社会保険料控除、給与所得控除、自営業者の必要経費なども合算する考え方もあってさまざまである。[2]

ここでは若年単身者の最低生計費をベースにしているので、課税最低限を基礎控除と給与所得控除の最低額との合計として基礎控除の金額を求めてみる。

 

課税最低限     =基礎控除+給与所得控除

12万5000円×12か月=基礎控除+ 55万円

基礎控除      =95万円

※給与所得控除の最低額は、現行の55万円としたが、2025年税制改正で65万円に引き上げられる予定である

 

最低生計費調査の結果にもとづいて得られた適正な課税最低限額(所得税)は150万円で、うち基礎控除額は95万円である。現行の基礎控除額48万円のおよそ2倍である。ちなみに、基礎控除と給与所得控除の最低額との合計=103万円はこの30年間まったく変わっていない。[3]つまり、最低生活費はこの30年間変化していないということだ。近年、最低賃金については生計費にもとづく議論が活発になり、急速な引き上げにつながっている。課税最低限についても生計費にもとづいて適正な金額が定められるべきである。

 

4.賃金依存と家族依存を乗り越える

一人ひとりが自立して生きられる社会を実現するためには、総合的に社会システムのあり方を検討しなければならない。賃金・雇用だけでも、社会保障だけでも、実現できないのである。ここでは、検討の材料として生協労連が提言する「270万円政策」を紹介してみたい。

 

(1)ディーセントワーク委員会での議論

「すべての労働者のディーセントワークとジェンダー平等社会の実現」の目標を掲げる生協労連では、2011年度にディーセントワーク委員会を発足させ、総合的な政策について議論を続けていた。2012年に筆者は中央委員会に招かれて、生計費の観点からの賃金と社会保障の関係をテーマに学習講演を行った。それがきっかけとなって、筆者はディーセントワーク委員会に参加することになる。2015年にそこまでの議論の集大成として、「一人ひとりが自立して生きられる社会システムをめざそう~年収270万円でも幸せに暮らせる社会の実現」提言をとりまとめた。この「270万円政策」提言における重要なポイントは、最低賃金1,500円で年間1,800時間(1日7時間労働)働くと年収270万円になり、この賃金と労働時間の最低規制のもとで得られる年収=270万円と社会保障との組み合わせによって、誰でもふつうに暮らせることをめざすことにある。この政策を実現するためには、2つの依存を克服しなければならない。

 

(2)賃金依存社会ニッポン

1つめに克服すべきは、賃金への依存である。図3は、製造業における男性労働者の勤続年数1~5年=100としたときの勤続年数別賃金指数の国際比較である。日本は勤続年数が長くなるにつれて賃金が上昇していく、右肩上がりの賃金カーブを顕著に描いている。日本では社会保障が貧弱であるため、右肩上がりの賃金カーブでなければ世帯の生計費の上昇に対応できないことを示している。つまり、日本は過度に賃金に依存している社会ということである。それに対して、欧州では社会保障が充実しているために、住宅、医療、教育・子育て、老後などにそれほど備えておく必要がない。そのため欧州の賃金カーブはフラットに近くなっている。日本は賃金に依存しなければ生活が成り立たない社会であるのに対して、欧州は賃金と社会保障がセットで成り立っている社会なのである。

また、図4は同じく製造業における女性の勤続年数別賃金指数の国際比較である。男女間に大きな格差があることが確認できる。均等待遇も取り組まねばならない課題である。

 

図3 勤続年数別賃金指数の国際比較(2018年、製造業男子)

出典:日本:厚生労働省(2019.3)「2018年賃金構造基本統計調査」
   その他:Eurostat(2021.8)Structure of Earnings Survey 2018
(注)日本については、1年~5年は1年以上5年未満の、6年~9年は5年以上10年未満の、それぞれの値となっている。

 

図4 勤続年数別賃金指数の国際比較(2018年、製造業女子)

出典、(注)ともに図2と同じ。

 

(3)ライフスタイルの選択に非中立的なシステム

もう1つの克服すべき依存は、家族への依存である。先に述べたように日本は税制や社会保障などの社会システムが家族単位(世帯単位)となっている。男性は世帯主として主たる稼ぎ手となり、女性は家事・育児を担当し、家計補助的に働く。このような男性稼ぎ主モデルを優遇するような社会制度が各種設けられており、「年収の壁」問題は社会システムが家族を単位にしているがゆえに起こったと言えるだろう。社会制度が個人単位である欧州では、個人が自立して働くことが当然のことであるが、家族が単位となっている日本では、とくに女性が個人として自立することが困難であり、家族に依存しなければ生きにくくなってしまっている。

片稼ぎ世帯を優遇することで生じた「年収の壁」問題は、日本の社会システムが世帯単位で、ライフスタイルの選択に非中立的であることを改めて明らかにした。「年収の壁」の内にいるのか外にいるのかによって、負担が軽くなったり、重くなったりすることはさまざまな対立を生み出だしている。個人のライフスタイルの選択に中立なシステムに変えていく必要がある。

 

(4)「270万円政策」提言を拡げる

「270万円政策」提言とは、これまでの賃金だけに極端に依存していた社会から、欧州のように賃金と社会保障のセットでなりたつ社会へ、家族単位から個人単位のシステムにし、人権が尊重される社会をめざそうというものである。当面の具体化要求として、以下の5大項目を掲げている。

 

賃金:①どこでもだれでも最低賃金1,500円に ②公正な賃金制度(同一価値労働同一賃金)

働くルール:①1日7時間、週35時間労働 ②年間所定労働時間1,800時間 ③サービス労働をなくす ④有休消化100%など休日を増やす ⑤失業時の保障

住宅:①公営住宅を増やす ②家賃補助制度(住宅手当)の拡充

社会保障:①最低保障年金の創設 ②医療・介護制度の拡充(窓口負担をゼロ)

教育・子育て:①児童手当の拡充 ②教育の完全無償化 ③給付制奨学金制度の拡充

 

このほか財源については、①無駄な支出を削減するなど税金の使い方を変える、②納税者を増やしたり、不公正税制を是正したり、内部留保を社会に還元するなどして歳入を是正する、③国民合意のもとで増税するなどの方向性を示している。

ディーセントワーク委員会では提言を公表後、シンポジウムを開催し、提言を社会に拡げるべく、学習素材としてDVDなどの動画を制作して、アップデートを継続している。今後の成果に期待したい。[4]

 

おわりに

流行りの生成AI(人工知能)に「税と社会保障の関係について教えて」と質問してみた。数秒で生成されたテキストが以下である。

 

「社会保障と税は、国家が国民の福祉を支えるために重要な役割を果たしています。まず、社会保障は、医療保険、年金、介護保険など、国民の生活を支えるための制度を指します。税金はこれらの制度を財政的に支えるための主要な収入源です。

税金は、政府が社会保障制度を維持・運営するための財源として非常に重要です。税収が減少すると、社会保障制度の運営が困難になる可能性があるため、税と社会保障は密接に関連しています。」(下線は筆者による)

 

AIについて詳しいわけではないが、おそらくはインターネットの検索サイトから税や社会保障に関する情報を抽出し、これまでに蓄積した膨大なデータを基づいてこのテキストをAIが生成しているのであろう。インターネットに氾濫する情報のすべてが正しいとは限らず、誤った情報も含まれている。仮に、誤った情報がベースになれば、おのずと生成されたテキストも誤っていることになる。とても便利であるけれども、われわれはAIを慎重に活用する必要がある。

さて、先のAIによって生成された税と社会保障に関する説明は、一見もっともらしいのだが、読み手に誤った情報を与える可能性がある。とくに、下線を引いた部分については注意を要する。まず、社会保障制度とは、社会保険のみで成り立ってはいない。もちろん、社会保険は中核の制度ではあるが、公的扶助(生活保護制度など)、社会手当、社会福祉などのさまざまな制度によって成り立っている。税金についても、あたかも国民の納める税金だけが社会保障制度の維持・運営に使われているとミスリードしやすい書きっぷり(生成っぷり?)である。もちろん、国民の納める税金は大事な財源であるが、企業の納める税金や、社会保険料も社会保障財源の大きな部分を担っている。

社会保障のはたらきの一つに所得再分配があるが、所得の分け直しにより格差を是正し、貧困を解消することを意味する。経済活動により企業が利潤を、労働者が賃金を獲得(これを「所得の第一次分配」と呼ぶ)した後に、企業の利潤や労働者の賃金から税や社会保険料がそれぞれ徴収され、これが財源となって社会保障給付として再分配されることである(これを「所得の第二次分配」と呼ぶ)。国民民主党が掲げる「手取りを増やす」が若年層に受ける背景にあるのは、この所得再分配に対する不信感である。高い税や社会保険料の負担をしても、社会保障給付として再分配され、自分たちの生活が向上している実感は乏しくなっている。それならば、単純に「手取り」が増えてくれたほうが好ましいという考えが強くなるのだろう。

税制や社会保障制度ほど、われわれの生活に密接している社会制度はない。だからこそ、制度を正しく理解し、われわれが望むような制度であるように維持・改善するための不断の運動が必要である。本稿がその一助になれば幸いである。

 

 

(参考文献)

石村耕治編(2018)『税金のすべてがわかる 現代税法入門塾(第9版)』清文社

駒村康平編(2010)『最低所得保障』岩波書店

近藤絢子、深井太洋(2023)「市町村税務データを用いた既婚女性の就労調整の分析」独立行政法人経済産業研究所

清山玲(2024)「ジェンダー平等・女性活躍推進の視点から「年収の壁」問題を考える」『月刊全労連』No.326

全国婦人税理士連盟(1994)『配偶者控除なんかいらない⁉―税制を変える、働き方を変える』日本評論社

中村和雄、脇田滋(2011)『「非正規」をなくす方法』新日本出版社

二宮厚美「SNS選挙で注目された『103万円の壁』の虚実」『学習の友』No.858

 

(注)

[1] さらに、住民税についても同様の壁が存在しており、自治体ごとに基準額は異なるが一般的に「100万円の壁」と呼ばれる。

[2] 政府税制調査会の定義だと、日本の課税最低限は国際的に高い水準である

[3] 2025年税制改正により、控除額が引き上げられる予定となっている。

[4] 生協労連ホームページでは、現在約5分の学習ミニ動画8本を掲載し、「270万円政策」の普及に努めている。

https://www.cwu.jp/hope-270m(2025年3月23日最終アクセス)

 

 

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