アカデミー賞を3部門で受賞された映画『ノマドランド』公開に寄せた一文で、『北海道新聞』夕刊2021年3月24日付からの転載です。私の問題意識が少し前に出すぎたかもしれません。まずは、映画館のシートに深く身を沈め、我々の来し方と行く末を静かに問う。ロードムービーなだけに、そのような見方をおすすめします。なお、タイトルは新聞社でつけてくださったものですが、暉峻淑子先生(埼玉大学名誉教授)の名著『豊かさとはなにか』がタイトル候補として想起されました。
ノマド─。時間や場所に縛られず、自由に働くノマドワーカーなる存在を知ったのは10年ほど前。しかし、美名の下で進められた雇用の非正規化や劣化を思うと、関心は向かなかった。
映画で取り上げられているノマドは、原義の遊牧民、放浪者に近い。車中で生活し、季節雇用の口を求めて広大な米国内を漂流する高齢者たち。車という住居兼移動手段を保有している点でホームレスとは異なる。劇中のせりふで言えば「ハウスレス」だ。
実体経済との乖離
映画では、今日の経済のあり方、人びとの生き方への疑問が随所で呈される。いわく「経済というタイタニックは沈みかけている」「ドルや紙幣を崇拝して働き、生きる意味とは」─。
思い起こせば、ノマド現象の背景にある金融破綻は住宅価格の値上がりを前提にした低所得層への過剰な融資や、証券化された危うい住宅ローン債権が世界中にばらまかれたことを土壌として起きた。実体経済と乖離(かいり)し、もはや理解不能となった金融経済に踊らされる生き方は、あれから十数年を経て、より一層深化したのではないか。
リタイア組の悠々自適な旅とは違う、お金がない中での窮迫的なノマド化なのだから、生きる糧を得なければならない。映画には、高齢のノマドたちのさまざまな労働場面が出てくる。長時間の単純作業、秒単位での商品の取り出し(ピッキング)など、潜入ルポで暴かれるような過酷な労働実態が映画で描写されることはない。それでもわれわれは、ネットを通じた気軽な通販の先に多くの労働者が働いているという、考えてみれば当たり前の事実に触れることはできる。「エッセンシャルワーカー」と、その低労働条件をようやく「発見」したわれわれに、求められている作業でもある。
映画はノマド化の背景にある経済のあり方、もろい公的年金や社会保障制度などをストレートに非難しない。ノマドたちは明るく、自らの信念や夢を語り、お互いに助け合う。いわゆるトランプ現象と関連させて説明される、置き去りにされた米国の労働者の孤立や、破滅的な生活とは異なるように映る。
路上に追い立てられてもなお、不可欠の労働力として組み込まれるノマド。自らの成長のために不安定就業階層を不断に生み出し活用し続ける資本主義経済そのものを、もっと厳しく捉える必要はないのかと、疑問を感じるかもしれない。
新たな変革への力
ただ、それは性急に過ぎるとも言える。主人公とともに雄大な自然、静かな時間の流れを旅し、人々と交流する中で、われわれは自らの来し方と行く末を静かに問うことになる。地球存続が危ぶまれるほどの生産活動と、それを支える労働力の乱用。そして生み出される富の巨大な偏在。自然の一部であるはずのわれわれはどこへ来てしまったのか。その内省は、新たな変革の力になるだろう。
(アメリカの現状を学べる文献)
アン・ケース、アンガス・ディートン(松本裕訳)(2021)『絶望死のアメリカ──資本主義がめざすべきもの』みすず書房
金成隆一(2017)『ルポ トランプ王国──もう一つのアメリカを行く』岩波書店
金成隆一(2019)『ルポ トランプ王国 2──ラストベルト再訪』岩波書店
ジェシカ・ブルーダー(鈴木素子訳)(2018)『ノマド──漂流する高齢労働者たち』春秋社
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