社団法人 北海道雇用経済研究機構(現在は解散)から発行されていた『北海道雇用経済研究所レポート』に掲載された、北海道の産業・雇用に関する筆者の調査・研究レポート(2006~2011年)です。
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- 1 川村雅則(2011)「学生と見た介護現場の疲弊──改善の必要はまったなしだ!」北海道雇用経済研究所レポート』第115号(2011年3月号)
- 2 川村雅則(2010)「困窮する公共サービスの担い手たち──官製ワーキングプアと保育をめぐる問題」第108号(2010年9月号)
- 3 川村雅則(2008)「介護現場は持続可能か」『北海道雇用経済研究所レポート』第83号(2008年10月号)
- 4 川村雅則(2008)「タクシー産業の確かな再生を──規制緩和下のタクシー労働(2)」『北海道雇用経済研究所レポート』第81号(2008年8月号)
- 5 川村雅則(2008)「自前の労働調査で独自情報を──ちょっとした調査でもこれだけわかります!」『北海道雇用経済研究所レポート』第77号(2008年4月号)
- 6 川村雅則(2007)「北海道の建設産業で働く季節労働者」『北海道雇用経済研究所レポート』第70号(2007年11月号)
- 7 川村雅則(2007)「規制緩和下のタクシー労働──学生と一緒に調査しました」『北海道雇用経済研究所レポート』第67号(2007年9月号)
- 8 川村雅則(2006)「若者労働をめぐる問題」『北海道雇用経済研究所レポート』第55号(2006年9月号)
川村雅則(2011)「学生と見た介護現場の疲弊──改善の必要はまったなしだ!」北海道雇用経済研究所レポート』第115号(2011年3月号)
介護制度、社会保障はどこへ向かう?
介護保険制度導入から10年目を迎えた昨年(2010年)は、マスコミ等を通じて介護問題があらためてクローズアップされた年だった。
私たちの直接の関心事である介護労働者の状態についていえば、なるほど、たしかに、2009年には介護報酬がはじめてプラス改定(3.0%)となり、また同年には、介護職の処遇改善に取り組む事業者に対してその原資が支給されるという、介護職員処遇改善交付金事業も開始された。これで現場も一息ついたのではないか、そんな見方も世間に広まったが、結論を先取りすれば、現場はまだまだしんどい状況にある。介護職の離職率が前年度比で1.7ポイント下がった(介護労働安定センター調べ)のも、労働市場の全般的な厳しさにともない介護現場からの退出が困難になったという事情があるようだ。その意味では、雇用情勢が回復すれば、また介護分野から労働力が流出するおそれもある。
そんな中で政府が打ち出したスローガンの一部である「強い社会保障」が意味するものは何なのか。社会保障費抑制路線からの転換、公的福祉制度の市場経済化を図った社会福祉基礎構造改革に対する反省を意味していると期待してよいのか、定かではない。
2010年11月には、社会保障審議会介護保険部会によって取りまとめられた「介護保険制度の見直しに関する意見」が発表された。だがそこでも、例えば負担と給付のリンクなど介護保険制度がもつ様々な矛盾・問題点の解決は先送りされた感がある。
HEERO REPORT 83号(2008年10月)でも主張したが、介護現場の疲弊を鑑みても、制度の改善はまったなしの課題であると私たちは考えている。今回もその思いで、特別養護老人ホームを対象とした調査を2010年夏にゼミナールで行った。主な調査結果を紹介したい。
なお実施した調査は、(a)札幌市内の特養施設29件で施設長からの聞き取り、(b)道内の特養施設長を対象としたアンケート(有効回答81部)、(c)同じく介護職(労働者)を対象としたアンケート(同853部)の三つだ。
介護報酬の改定、交付金による効果は?
今回の調査における問題意識の一つは、報酬改定や処遇改善交付金で現場はどこまで改善されたのか、ということだった。施設長アンケートでこの点を確認しよう。
まず、話題になった09年の初のプラス改定も、そもそも基本報酬の底上げではなく、手厚いケア体制を整備できた事業者に対しての加算による報酬増であったため、例えば人材確保が困難な地方では厳しい結果となった。全体でみても3%以上の報酬増を実現している施設は3分の1(32.8%)に過ぎなかった。加算を取得することにともなう、運営リスク・経費負担の増あるいは利用者の負担増などを回避するために、取得を断念したというケースも聞かれた。
次に、上記の報酬増のうち全てが人件費に配分されているわけではない。「全額」を人件費に割り当てた施設は3割(32.4%)にとどまった。介護報酬で施設の運営全てを賄わなければならないこと、しかも過去2回にわたってマイナス改定が続いたことを考えると、配分の少なさだけをもって施設側を責めるのは酷だろう。
こうした、加算を中心とした報酬改定や、介護職に限定された(つまり他職種を対象外とした)処遇改善交付金については、「評価しているが課題もある」と回答した施設長がどちらも6割強(61.8%、65.8%)で、「あまり評価していない」もそれぞれ4分の1(25.0%)に及んだ。手放しで評価しているのは数えるほどだ。
職場改善状況に対する労使間の認識の差
その上で興味深かったのが、報酬改定・交付金による報酬増で実施された職場の労働条件や処遇の改善に対する、労使間の認識の差である。
すなわち、報酬増で現場がどれだけ改善されたか、複数の回答選択肢を設けて尋ねたところ、労使双方、「給与の改善」が最も多く、施設長では84.0%だった。ところが、介護職側ではその値は57.5%にとどまり、選択肢として設けていた、「(改善が)とくにない」17.3%/「わからない」13.3%だったことだ。労使間のこの差はどう読むべきだろうか。
もちろん、職場の運営に関する労使間の情報量の違いなどにも言及しなければ、フェアではないかもしれない。とはいえ介護職に尋ねたもう一つの設問の結果、すなわち、全体として職場は改善されたかどうかという問いに対して、「あまり改善されていない」40.2%/「まったく改善されていない」21.4%/「よくわからない」22.2%、と回答された状況から考えると、改善度合いはそう大きなものではなかったことが推測される。そもそも、過去2回の減額改定にともない給与カットが行われている施設もあるのだ。
さらに、今回の調査の重要なポイントでもある、現場の負担が増しているという事実が、職場の改善を実感できない背景にあったのではないか。その点をみていこう。
仕事の負担はますます増している
○人員体制に対する高い不満
まず介護職に対して、仕事や労働条件に関する7項目それぞれについて、「満足」から「不満足」までの5段階で尋ねたその結果を紹介する。
「賃金」に対する不満が高いことは容易に想像されよう。たしかに今回の調査でも、正規雇用でも半数が300万円未満、フルタイム型の非正規雇用では4割強が200万円未満という水準だった。夜勤を月に4,5回こなしてこの水準であれば、「やや不満足」29.8%/「不満足」23.5%と半数強が不満を示すのも、むべなるかな、である。
だがその「賃金」を超えて最も不満が高かったのは、「勤務・人員体制」で、「やや不満足」37.0%/「不満足」29.7%と合計で全体の3分の2に達していた。要は、人手が不足して(労働負担が増している)いるのだ。
○職場・利用者の変化と負担増
実はこのことは、アンケートに先立つ、施設長からの聞き取りで強く感じたことだった。利用者の重度化や医療行為が必要なケースの増加での負担増(91.4%)、手厚い介護サービスの提供に伴う負担増(70.4%)あるいは、それらを背景とした夜勤時の負担増(59.3%)などがあげられる(以上の数値は、施設長アンケートの結果)。
いま特養施設は、療養病床の削減や入院日数の短縮化などで医療からはじき出された患者の受け皿になっていたり、あるいは、膨大な待機者の中から認知症など対応がより困難なケースが優先的に入所されるようになったことなどで負担が増しているのだ。
夜勤時の負担もその分だけ増しているのだが、看護職を常駐させられる余裕は施設にはなく、「何かあったらどうしよう」という不安を抱えながら、多くの(20人もの)利用者を1人の介護職がみる体制は依然として変わらない。介護職に尋ねた夜勤時のストレスや不安の有無は、「よくある」42.3%/「ある」36.4%という状況で、また、夜勤時の休憩や仮眠は「あまりとれない」30.4%/「全くとれない」21.3%というのが実態だ。
介護職のここ数年での負担の増減を尋ねたところ、労使双方で多くが―施設長の9割・介護職の7割が―増している!と回答したのも当然といえよう。
○相変わらずの心身の疲弊
その結果として、介護職は疲れ切っている。すなわち、普段の仕事での疲れが「とても疲れる」だけに限定しても5割を超える訴えがあがり、しかもその疲労を回復できずに持ちこすことが「よくある」あるいは「いつも」という回答も、合計で5割弱(46.2%)に達している。
「身体も心もボロボロ」「休みが欲しい」「いつも時間に追われている」「痛み止めを服用しながら働いている」「もう限界」などの切実な訴えを目にすると、政府内で進められているキャリアパスの議論が―それ自体は否定されるものではないが―いささか現場と乖離していないか、まずは上のような状況の速やかな改善が(例えば、現行の人員配置基準の見直しや医療・看護職の手厚い配置などを通じて)急がれるのではないか、と思わざるを得ないのである。
虐待の防止はもちろんのこと、集団処遇から手厚い個別処遇の実践など、利用者(高齢者)の人権保障の体制が整備されてきたのと同様に、介護の担い手たちの人権が守られる制度設計が必要だと考える。
熟議のための情報発信をねばり強く
冒頭に書いたとおり、今回の調査はゼミの学生と一緒に実施したものだ。ゼミに入って間もない、経験も勉強も不足した2年生が中心となったため苦労した。それでも、自分達が調べた介護現場のこの実態を広く知ってもらいたいという思いで、調査報告書(簡易版)の作成にまでこぎつけた。
比較福祉国家論の知見などが教えてくれるように、社会保障の質量あるいは国のカタチは固定的ではない。財源も含め、介護制度をどうするか、百家争鳴の感がある今日、熟議の前提としての、現場からの情報発信は、地味だけれども欠かせない作業だと考えている。
川村雅則(2010)「困窮する公共サービスの担い手たち──官製ワーキングプアと保育をめぐる問題」第108号(2010年9月号)
急増する官製ワーキングプア
公務職場で非正規労働者が急増している。全日本自治団体労働組合(略称、自治労)が2009年に発表した調査報告によれば、自治体職場に限っても、その数は全国で約60万人と推定されている。「クビにされることがない」「高給取り」という、嫉妬や非難まじりの、公務員に対するその評価も、彼ら非正規にはあてはまらない。
ところで、民間部門で働く非正規労働者と異なり、彼らの法的な位置づけ等はいささか複雑である。す
なわち、基本的に公務員は無期雇用(任用)であって、臨時的・緊急的な業務に限って非正規で雇用されるというのが、本来の姿であり、法の建前でもある。ところが現実には、人件費削減圧力の強まり、いわゆる「三位一体改革」等による自治体財政の逼迫、それに相反する公共サービスの多様化・業務量の増大などを背景にして、地方公務員法の条文(第3条・非常勤特別職、第17条・非常勤一般職、第22条・臨時職)が拡大解釈されて、大量の非正規が基幹的で恒常的な業務に従事しているのだ。「常勤で働く非常勤職」、「恒常的に働く臨時職」という形容矛盾の状態が生じている。法律の理解が十分でなく解釈や対応が自治体によって異なるとの指摘もある。しかも、雇用ではなく任用という扱いゆえに雇い止めは基本的には野放図に行われ、なおかつ、民間部門で働く非正規には―遅々とした歩みながらも―労働法制度が整備されてきたのに対して、彼ら官製ワーキングプアにはそうしたものがない。まさに法の狭間の存在といえる。
自治体非正規調査にみる
昨年、日本労働組合総連合会北海道連合会(略称、連合北海道)及び加盟産別と共同で、非正規労働者を対象にした大規模な調査を行った。自治労北海道本部も協力産別の一つであり、3325人もの有効回答が得られた。そこからみえてきたのは、官製ワーキングプアと一口に言っても職種は様々で、一般事務にはじまり、学校用務・給食、図書館、医療・介護・保育、相談員、清掃や上下水道などあらゆる領域に彼らは存在し、私たちの暮らしを支えている。しかも低労働条件・処遇で。
具体的に述べると、一つには不安定な雇用問題。1回の雇用契約期間は6割が「1年間」で、半年以内の短い契約期間も全体の3割を占める。もっとも、仕事自体は恒常的に存在するために、3年以上働いているものが全体の6割を占めた。ただ、先の自治労調査でも報告されているが、3年ないし5年など働くことができる期間に上限を設ける自治体が近年増えてきているようで、そのことも反映してか、雇い止め不安はひろくみられた。期間の上限設定は、市民に雇用をひろく分かち合うための措置と説明されてい
るケースもあるようだが、ワークシェアリングの不当な解釈ではないか。
いま一つの特徴は、正規職員との間の均等・均衡待遇をめぐる問題とあわせて、彼らの収入水準の低さだ。200万円未満が全体の3分の2弱を占める。だがこうした低収入にも関わらず、主な家計維持者が回答者本人であるのが全体の5割、男性に限っては8割を占めた。
ちなみに、先の自治労調査によれば、昇給制度があるという自治体は4分の1に及ぶものの、対象となる職員は全体の1割に満たない。勤続が報われない、というよりそもそも、建前として、継続した雇用(任用)ではないという公務分野の非正規の特殊な取り扱いが反映された結果といえよう。
公立保育所で働く非正規保育士
昨年の自治体非正規調査の結果も意識しながら、保育労働の調査を現在続けている。というのも、自治体非正規の中で保育士は人数規模の多い職種なのだ。先の自治労調査でも、保育士は全体の17.2%を占め、「事務、その他非現業業務」を除くと最も多い。また保育士全体における非正規割合は51.3%と半数に達している。
しかも、全国1万を超える保育所からの回答をまとめた、全国保育協議会(2008)の調べによれば、保育士の非正規割合は公立保育所においてより進んでいる。「民営化」とならんで、「非正規化」ももう一つの重要なキーワードなのだ。
さて、札幌圏の保育所を中心に訪問して関係者から話を聞いていると、いま保育の現場は大変だと思い知らされる。子どもの貧困や虐待・育児放棄のひろがり、発達困難を抱えた子どもたちの増加、またそれらの背景にある、保護者自身の就労や生活の不安定、あるいは、保護者自身の孤立や育ちをめぐる問題等々。こうした深刻化・複雑化した問題への対応が現場に求められている、それにも関わらず、保育士の非正規化が進んでいるのが実態なのだ。
ここで、昨年の自治体非正規調査の結果から非正規保育士259人(女性、60歳未満)の結果をぬきだして再集計してみたものを聞き取り結果とあわせて紹介する。全体の調査結果と重複するが、子どもの発達を保障する専門職がかくも低い条件で働かされていることをあらためて確認したい。
第一に、短時間のパート保育士を除くと、彼女らの仕事は内容も責任も勤務時間も正規の保育士とかわらないという。クラス担任も任されている。違いをもたせている施設もなくはないが、処遇の格差を正当化させるほどのものでないことは明言された。かつては正規が担当していた仕事を非正規で充当しているのだから当たり前といえば当たり前だが。
しかしながら第二に、雇用は不安定だ。1回の雇用契約期間は、「6ヶ月」(32.6%)、「1年間」(40.3%)で、当然というべきか、雇い止めに対する不安は強い。「非常に不安」だけに限っても全体の3分の1(32.1%)、「不安がある」(40.9%)まで含むと7割を超える。
第三に収入水準の低さ。月給制は全体の3分の1強(36.7%)にとどまり―残りは時給制(24.2%)、日給制(38.3%)―全体の8割が年収200万円未満にとどまる。関連して、仕事上の不安や不満で、「解雇や雇い止め」(41.1%)と並んで多かったのが、「正職員と同じ仕事をしているのに処遇の格差が大きい」(43.1%)という訴えだった。
無味乾燥な数字が示す以上に事態は深刻だ。寄せられた数多くの声―「更新時期がくるたびに不安」「年齢的にも新しい就職先を見つけるのも困難」「臨時は3年間しか働けずに解雇」「臨時は使い捨て」「立場が弱いため辛い思いをしている」「正職員と同じ仕事、それ以上の仕事をしているのに」「職員減となるとまず私たちから」「給料の差を考えると非常に悲しい」―を前に考えさせられる。低賃金・雇用不安など経済的にも心理的にもゆとりのない中で子どもに向き合うことは可能か。同じ仕事に従事していながら著しい処遇格差のある職員同士で連携は可能か。勤続も経験も反映されない給与でモチベーションは維持できるのか、と。
危惧される福祉の介護保険化
さて、公共サービスの担い手の現状に焦点をあててみてきたが、保育の現状とこれからを考える上では、社会保障・児童福祉分野の制度のあり方も視野に入れねばなるまい。
ふりかえってみると、「待機児童ゼロ作戦」を勇ましく掲げた小泉政権時代において進められたのは何だったか。公立保育所の増設ではなく、保育所入所定員の弾力化(超過入所の容認)や、保育所運営主体の多様化(株式会社の容認)など、各種の規制緩和政策だった。また、「三位一体改革」を通じて公立保育所運営費が一般財源化され、結果として、財政が厳しい自治体に公立保育所の民営化を迫ることにもなった。
こうした中で、保育分野の制度「改革」がさらに進められようとしている。政府が2009年に発表した「次世代育成支援のための新たな制度体系の設計に向けて(第1次報告)」がそれだ。いまその中身を紹介する余裕はないが、規制緩和をさらに進め、保育の権利保障や人員配置基準・基準面積など、十分な水準とはいえない現状をさらに後退させかねない、端的にいえば、「福祉の介護保険化」―社会保障・福祉分野で先行し様々な問題点を露呈している介護保険制度の枠組みを保育にも導入するもの―であるという批判の声があがっている。措置制度を通じて確保されてきた、実施面での行政責任、質を担保する水準の規制、費用における公費負担原則が保育の分野でも崩されかねない。
「改革」は是か非かというある種の”空中戦”に陥ることなく議論を進める上でも、さしあたり、この分野で働く人達の労働条件や処遇がどうなっているのかの把握が―その水準いかんによっては、提供されるサービスの質もその受け手である私たちの暮らしも劣化させるという観点からも―急がれよう。それは、巧妙に活用される公務員バッシングを打破し、公共サービスの担い手と受け手の連帯の回復のためにも不可欠の作業と考える。
尚、官製ワーキングプア研究会『なくそう!官製ワーキングプア』日本評論社、2010年。伊藤周平『雇用崩壊と社会保障』平凡社、2010年などを参照されたい。
川村雅則(2008)「介護現場は持続可能か」『北海道雇用経済研究所レポート』第83号(2008年10月号)
社会保障制度の持続可能性は高まった?
医療・年金など国民の健康や生活を守るはずの制度が機能不全に陥っている。貧困の最後の防波堤であるはずの生活保護制度も、給付を受けるには高い壁があり、国民の生活不安は増すばかりである。「社会保障国民会議」の設置や「五つの安心プラン」の提示によって、政府は、国民のそうした不安の払拭を図ろうとしているようであるが、果たしてどれだけの実効力をもつものとなるのか、疑問がある。
それは、予算の裏付けのなさという問題もさることながら、そもそもこの間進められてきた社会保障構造改革に対する政府の基本的な認識に対する疑問である。例えば、「社会保障国民会議」の中間報告は言う。「1990年代から2000年代前半にかけて、わが国では一連の「構造改革」を(ママ)実施されたが、「社会保障構造改革」はその重要な柱のひとつであった。(中略)これら一連の改革により、社会保障制度の構造改革が進み、経済財政との整合性、社会保障制度の持続可能性は高まった」。
さて、介護保険制度の創設は、改革の嚆矢として位置づけられていた。民間営利事業者の参入、措置制度から契約制度への転換、応能負担から応益負担への転換などがこれで実現した。その「成果」は政府や改革推進論者にはどう評価されているか。曰く、介護保険制度の導入で、みんなで支え合う「介護の社会化」が実現し、また、一方的で硬直化した介護サービスから多様な介護サービスを利用者・家族は選択できるようになった、等々。先にみた「持続可能性」に関わる評価もしかりである。
だが果たしてそれは事実なのか。介護の担い手である介護労働者に焦点をあててみただけでも、厳しい労働条件・低処遇を背景に離職が後を絶たないなど、現場から聞こえてくるのは、むしろ、介護・介護労働の持続可能性の困難である。介護あるいは社会保障制度の見直しの議論は、そういう事実をふまえて進めなければなるまい。そう考え、私たちの研究室では、多くの施設や労働組合(札幌地域労組、福祉保育労)の協力を得て、札幌圏の特別養護老人ホーム施設で働く介護職(539人)の労働・生活等の実態調査を行い、結果をまとめたので報告する。(なお回答者は、84.5%が女性で、若い年齢層が多い。調査結果の詳細については、以下を参照されたい。 http://www.econ.hokkai-s-u.ac.jp/ ~masanori/index )
仕事が続けられない!―低賃金・低処遇
介護職の高い離職率の主たる背景の一つは、賃金水準の低さである。非正規を含む介護職全体の2007年の収入は、「300万円未満」が74.2%、「200万円未満」も35.3%に及んだ。非正規に限ると、「200万円未満」は3人に2人の割合(67.7%)である。
ところで、非正規と一口にいっても、特養施設では、フルタイム型非正規とパートタイム型非正規が働いており、前者は、深夜勤務も含め、正規とほぼ(あるいは全く)同じように働いている。それにもかかわらず、一時金や諸手当がないなど、賃金・処遇は正規に比べて著しく低い。そんな理不尽な環境に彼女らはいる。例えば、「30歳未満」の若い非正規では、1人を除く全員がフルタイムで働いており、7割(72.9%)が深夜勤務にも従事していた。だが彼女らの3人に2人(66.0%)は年収200万円に満たないのである。「同じ仕事なのに何故?」「正職につきたい!」(自由回答)という彼女らの鬱屈した思いに、組織された正規労働者は敏感でなければなるまい。
介護の理想と現実―慢性的な人手不足と心身の疲弊
離職の背景は低賃金だけではない。なにがしかの夢をもって介護の仕事をはじめたものの、慢性的な人手不足の職場で時間に追われるように仕事をこなし、利用者(入居者)からの頼まれごとにも、「ちょっと待ってて!」が口癖に。あげくに、職員の目が行き届かないときに万が一事故が起こってはという心配から利用者の意に反して座ったままにさせておかざるを得ない、等々。利用者と向きあい、時間をかけて信頼関係を構築していくような理想の介護にはほど遠く、むしろ「人手不足で適切な介護ができない」(58.0%)、「ひろい意味での「身体拘束」をせざるを得ないことがある」(27.5%)というのが現状である。こうして、人手不足は介護の質をも変容させていき、それは、介護職の仕事のやり甲斐の喪失にもつながっていく。
しかも、その少ない人数で、早番・日勤・遅番・深夜勤という変則的な勤務をまわしていかざるを得ない。とりわけ深夜勤務時には職員配置が圧倒的に手薄になり、なおかつ、看護職も不在になるため、じつに2人に1人(56.3%)が何か起きるのではないかという不安を抱えながら夜勤に従事し、なおかつ、3人に1人(36.5%)が仮眠がとれないと訴えている。
さらに、そんな人手不足の中で、もし自分が休みをとってしまったらと考えると、有給休暇の取得もままならない。有休を「ほとんど使っていない」(36.5%)あるいは「4分の1程度の取得」(21.7%)だけで全体の5割を超える。そもそも、有休取得以前の問題で、「体調が悪くても休めない」(36.0%)状況に職場はある。
以上の結果、5割超の回答者がふだんの仕事で「強い疲れ」を感じ、「いつも」(19.5%)あるいは「よく」(27.6%)、疲れを翌日に持ち越してしまっている。これで介護・介護労働の持続可能性は高まったといえるのか、あらためて問いたい。
利用者の安全、介護の質の危機―犠牲的な労働による限界
こうした事態は、すでに示唆されているように、介護の質や安全性に否定的な影響を与えることにもなる。ひとつの事故の背後には、事故につながりかねないトラブルが数多くあるといわれているが、介護の現場でもしかりである。例えば、この1ヶ月の間で利用者の介護中にヒヤッとしたりハッとした経験が「ある」のは60.0%に及ぶ。
事態はさらに深刻である。程度・頻度の差はあれども、忙しさや処遇の低さ等を背景に、利用者につい憎しみを感じてしまったり(60.8%)、つい強い口調で対応してしまったり(76.9%)、あるいは、ついこづいてしまったり(11.4%)。職員の献身的な(犠牲的な?)労働ではもはや限界がきているといわざるを得ない。
身体拘束・虐待問題など利用者の人権に対して社会は感度を高めつつある。だがその一方で、十分な教育・訓練の機会も与えられずに現場に放り出され(人手不足でOJTも困難)、認知症の利用者から叩かれたり・暴言をはかれたりしながらも、なす術もなくぐっとこらえて働いている介護労働者の人権に対する私たちの感度はどうか。「介護の社会化」と称してその全てを負わせるのは社会的な虐待ではないか。そう主張することは、いささか感傷的に過ぎるとのそしりを受けるかもしれないが、3人に2人(65.2%)の介護職が「介護の仕事に対する社会的評価が低い」という思いを抱えて働いているその事実に対して、私たちはどうこたえるのか。
希望と誇りをもって働ける職場を―必要な介護保険制度の抜本的な見直し
個別の施設や事業所内で問題が解決可能であるのならば苦労はない。この労働者調査とあわせて施設側を対象に行った調査でも、8割超の施設長が、現在の介護報酬単価では職員の賃金増や正規化は困難であると回答している。つまり、一連の問題の背景には、介護保険制度あるいはわが国の社会保障制度のありよう、という構造的な問題があるのだ。解決は容易ではない。
だが、望みはある。よりよい介護や労働条件の獲得を目指した取り組みがすでに全国各地で労働組合や利用者・家族を中心に展開されつつあることもさることながら、例えば、「現行の社会保障費用「抑制」路線が介護現場に様々な問題を引き起こしている」という設問に7割(71.8%)の施設長がYes!と回答している現状は、立場の違いこそあれども、介護保険制度の見直しに向けた労使共同の可能性を感じさせる。
さしあたりいま労働組合や政党関係者に期待されているのは、こうした国民諸階層の声をひろく集め、真の意味で持続可能な社会保障の将来像を、きたるべき選挙において示していくことではないか。
注:紙幅の都合上、展開できなかったが、介護保険制度見直しの方向性については、伊藤周平(鹿児島大学)を参照されたい。
川村雅則(2008)「タクシー産業の確かな再生を──規制緩和下のタクシー労働(2)」『北海道雇用経済研究所レポート』第81号(2008年8月号)
見直しに入った規制緩和路線
この間の政策展開はいったい何だったのか、という思いを関係者は禁じ得ないだろう。タクシー産業の規制緩和をめぐる問題である。みんなが得をすると鳴り物入りで実施された規制緩和が、わが国の安全、安心なタクシーを破壊しつつある。需要(交通市場)が縮小しているにもかかわらず、新規参入・増車による著しい供給過剰が生じ、車両1台当たりの売上減に連動して運転者の賃金が低下し、事故も急増し、さらにはあふれんばかりの車両が交通渋滞を招く等々の事態がもたらされた。
タクシー運転者の困窮が社会的に認知される中、こんどは、運転者の労働条件・生活の改善を主たる目的に掲げた運賃改定が全国で相次いだ。だが、そもそもの供給過剰状態に手をつけないまま行われたこの措置は、物価の高騰という事態とあいまって、利用抑制(乗り控え)という事態を引き起こすに至った。みんなが得をするはずの規制緩和で、使用者・労働者・利用者のいったい誰が得をしたのだろうか。
「改革」の効果をアピールしていた政府もさすがにかかる深刻な事態を放置できなくなり、国土交通省・交通政策審議会にワーキンググループ(タクシー事業を巡る諸問題に関する検討ワーキンググループ)を設置し、タクシー産業の改善に向けた議論を開始した。また、それに呼応するように、事業者団体である全タク連は、学識者など第三者で構成された研究会を設置し、「安全・安心なサービスを提供するためのタクシー事業制度の研究」を進めている。
さらに政界においても、与野党ともに法案の検討や緊急提言を行うなど、タクシー産業の規制緩和政策の見直しに向けた議論が活発化している状況にある。もっとも、議論が最終的にどうまとまるかはなお予断を許さず、関係者それぞれが各地域で事態の改善に向けた取り組みを進める必要がある。そう考え、産別労組(全自交、交通労連、自交総連)の協力を得て、タクシー運転者を対象に大規模なアンケート調査をこの5月に行った(2166人から回答があった)ので、結果を紹介する。
タクシー労働力の再生の困難
主要な結果の第一は、やはりというべきか、賃金水準の低さである。2007年度の収入が250万円未満という割合は全体の44.2%を占め、06年度から7.3ポイントも増加した。札幌交通圏を除くとその割合は63.7%にまで上昇する。ちなみに、今回の運賃改定がその目的を果たしていないことは先述のとおりで、運賃改訂後に利用者や売上が「減った」という回答はそれぞれ85%前後に達した(札幌交通圏)。
最低賃金制度が収入減の歯止めになっていない。生活保障という目的を実現し得ない水準の問題だけでなく、文字通り歯止めになっていないのである。すなわち、説明文と計算式をふして、実際の労働時間で計算した場合に最賃水準を下回る月はあるかと問うたところ、年に1回以上あるという回答が46.0%に及んだのである。精査が必要だとはいえ、北海道労働局による調べでも、監督対象となったタクシー事業所の4分の1で最賃違反が明らかになっており、最賃違反がこの業界ではいまやレア・ケースではないことを示している。
売上減のもとで無理をした働き方も目立った。1週間の総拘束時間が60時間を超えるものが札幌交通圏に限ると44.3%に及んだほか、働き方にみられる問題点を尋ねた問いでも、所定の休憩よりも短い休憩しかとらずに働く(47.6%)を筆頭に、売上をあげようという焦り、体調不良、違反場所での客待ち等が自覚されている。
そして、他産業労働者と比べるとタクシー運転者の健康状態がよくない(疲労の蓄積、高い有病率など)という分析結果もさることながら、さらに懸念されるのは、低い収入を背景に、通院・治療の必要がありながら控えているという回答が21.4%に及ぶことである。この間指摘されている、所得水準による「健康格差」に通ずる結果といえよう。あわせて、金銭的な負担から親戚づきあいや近所づきあいを控えているという回答が20.3%を占めたことも、低い所得水準が生活の様々な面に否定的な影響を与えていることを示している(「社会的排除」の議論なども参照)。
タクシー産業の再生に向けた取り組みを
さて、この間の道路建設計画をめぐる騒動をみていても、わが国の交通政策はなおそういった大型の道路建設投資に傾斜している感があるが、将来社会、すなわち高齢者人口の急増、エネルギー資源や環境問題による制約といった事態を鑑みるならば、生活交通を重視し、公共交通機関の充実・整備を図るという方向にシフトすべきである。そしてタクシーは、鉄道やバスなどの大量輸送機関を補完する、個別的で、ドア・ツー・ドアの面的輸送を担う交通機関として、重要な社会的役割をもっている。そのことをまずは確認した上でタクシー産業の再生のために必要と思われる政策を幾つかあげると、第一に、この間の事態をみても、タクシー事業の特殊性を考えても、需給調整規制(適正な台数へのコントロール)が不可欠である。もちろんそれが、かつてのような直接的な規制方法をとるのか、事業や運転者の質的向上を図ることで間接的な規制を図るのかはいろいろ検討の必要があるだろう。
第二に、情報の非対称性などタクシー市場の特殊性を考えても、同一地域・同一運賃規制が必要である。規制緩和でタクシーが安く利用できることになったと、その利用者メリットを評価する主張もあるが、それは、無謀な価格競争が冒頭に掲げたような事態を引き起こしていることを考慮しない、狭い枠組みによる評価といえよう。
第三に、タクシーの増車による弊害があらわになりながらも有効な手立てをうてない現状を考えると、交通政策における地方運輸局や地方自治体の役割強化が必要ではないか。いな、交通のもつ地域性という事情を鑑みるならば積極的にそれを推進すべきだろう。
関連して、タクシーに限らず、この間の「改革」の推進過程においては、関係当事者を排して、大所高所からの英断がくだされる傾向にあったが、排除ではなく、ひろい範囲の利害関係者(事業者、労働者、行政・自治体、利用者)の参画と共同を制度的にも保障していくべきだろう。それは、地域交通再生法(「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」)の趣旨とも一致する。とうぜん、政策決定過程の透明化は不可欠であり、また、関係者には、行政任せにすることなく、市場動向等を常にモニターし客観的なデータを収集するなど政策立案の能力を高めていくことが求められる。毎年、いわば定点観測的に私たちが行っている上記の調査にもそういう意図がある。
これらの政策とあわせて、タクシー運転者の国家資格制度(ドライバーズ・ライセンス制度)の設置や、現行の労働法制度の内容の検証と改善(「改善基準告示」の見直しも含む)、名義貸しや最賃割れなどの違法状態の一掃など、ひろい意味での労働法制の改善が、歯止め無き競争状態に一定の規制をかけ、運転者の労働条件や社会的地位を向上させる上で不可欠である。売上が減っているにも関わらず割引運賃の設定や相次ぐ増車が事業者に可能であったのは、オール歩合制賃金や曖昧な労働時間管理など、運転者の労働条件・賃金の「柔軟性」にあった。労働法制度もそれを追認してきた(最賃違反の割合をみよ)。そのことが反省されなければなるまい。
冒頭の、規制緩和の見直しの動きは出発点に過ぎない。タクシー産業の確かな再生に向けた取り組みを各地で展開する必要がある。
川村雅則(2008)「自前の労働調査で独自情報を──ちょっとした調査でもこれだけわかります!」『北海道雇用経済研究所レポート』第77号(2008年4月号)
名ばかりの管理職の悲惨
最近、度を越えた長時間の不払い労働を強いられ、体を壊すなど限界まで追い詰められた、いわゆる名ばかりの管理職たちによる異議申し立てが続いている。日本マクドナルドの一審判決では店長側の訴えが認められた。もっとも、こうしたケースはまだ幸せというべきだろうか。若くして肩書きだけの店長職ポストにつけられ、非正規スタッフの管理だけでなく、あらゆる仕事を任せられて、超長時間労働で不幸にして命を落とすケースも見聞きする。いや、長時間労働は名ばかり管理職だけに限らない、わが国の古くて新しい課題というべきだろう。過労死110番などの電話相談を実施すると、息子・娘の長時間労働・過労を心配する親からの切実な相談が増えているとも聞く。内閣府によるワーク・ライフ・バランス(WLB)の提唱というそれ自体は非常に結構なことも、時短推進運動のいつの間にかの消滅というかつての歴史的経過や、欧州各国と比較したときに年間で2,3ヶ月も長く働いている(男性フルタイム)という現状を目の当たりにすると、実現しようという意欲が果たしてあるのかどうか、ホワイトカラー・エグゼンプションをめぐる騒動もさめやらぬいま、なぜWLBが持ち出されてきたのか、どうしてもうがった見方をしてしまう。
労働者調査からみえる労働現場の実態
◆長い労働時間
さて、私達の研究室では毎年、ハローワーク前で求職者(その多くは離職者)の方々を対象に、かつての職場での働き方など、すなわち、労働時間は?賃金は?不払い労働の有無は?離職の理由は?等々を質問の内容とした聞き取り調査を行っている。昨年は規模が小さく117人(正規68人、非正規等49人)からの聞きとりに終わったが、幾つかの特徴を紹介したい。
その一つは、正規の労働時間が、やはりというべきか長いことである。一週間の総実労働時間数は50時間以上が43.3%、60時間以上が23.3%、つまりおよそ4人に1人の計算になる。不払い労働を経験していたというものも半数に達する(52.5%)。
一例を紹介しよう。システム・エンジニア(SE)の過労だ。IT社会を牽引するSEには、常に新しい知識・技術を得ることが要求され、顧客の無理な注文にも応じなければならず、体力的に「使いもの」になる期間は短いということも聞かれる。そんな彼の1日の労働時間は11~12時間。週休2日制だったが、繁忙の月が年に4ヶ月ほどあり、そういう時期は、1ヶ月に休みが1日もなく、ホテルで生活をしていたという。そういう忙しさと、新しいことをどんどん覚えていかなければならない大変さで、結局、彼は、体を壊して辞めることになった。なぜそこまで?疑問をもたなかったのか?という問いに対する「忙し過ぎて感覚が麻痺していたようだ」という彼の回答は、働かされ過ぎの只中にあるひとの心情を示すものとして印象的だった。
なお、こうした長時間労働・ゆとりのなさが、構造的な問題への解決に向けた集団的な取組みにつながるのではなく、逆に、同僚への攻撃・職場のいじめを誘発するに至った不幸なケース(例えば看護師)も散見された。
ところで、こうした長時間労働は、非正規の仕事や責任が拡大する中で、非正規にも浸透しつつあるようで、非正規でも50時間以上は19.4%、不払い労働があったのは4人に1人(25.6%)に及ぶ。もっとも、処遇はそれには追いついていない。月の手取りはほぼ全員が20万円以内におさまり、7割(68.3%)は15万円未満で、年収でみても200万円未満が7割(73.3%)を占める。これでは経済的自立もあったものではない。
◆売上高200万円超のノルマ?!
仕事の厳しさは単なる労働時間の長さや密度だけではなく、達成困難なノルマ等にもよる。例えば、デパートのテナントで洋服を販売していたという、まだ20代前半の若い女性の事例はこうだ。
彼女ら販売員には1人当たり月200万円を超える売上が課せられていたという。休日日数を計算すると、1日だいたい10万円を売る必要があることになるが、売れなかった場合は、自分で商品を買うこともあったとう。売上が達成できない月の頻度や商品購入は強制だったのかどうかまで詳細は尋ねることができなかったが、彼女自身、学校を卒業してはじめての職場での経験だったので、こうしたノルマに驚いたそうである。もっとも、そういう問題の相談先はとくになく、友人に話しても、似たような境遇で働いているケースは珍しくなかったために、そのまま働き続けてきたという。もちろん(?)、学校では基本的なワーク・ルールを学ぶことはなかったそうである。
結局は、体力的にも精神的にもきつくなって辞めるに至った彼女ら若者に対して、「もっと権利を主張せよ!」というご意見もあるかもしれないが、むしろ、こうした無理難題がまかり通る社会への憤りや彼・彼女らへの広義の職業教育の重要性を強く感じる。そして、若者の高い離職率に対する「不当な」解釈を事実でもって覆す必要性も。
調査活動を通じた組織化、政策提起を
かつて筆者はこの求職者調査において、次のようなことを尋ねていた。すなわち、当時職場で様々な問題に直面したということだが、職場には労働組合は存在しなかったのか?労働組合による無料の電話相談などは利用しなかったのか?ということである。しかしながらいつからか、労働組合に関する質問項目ははずしている。そもそも労働組合が存在しない職場が大多数であり、若者等に至っては、労働三権はむろんのこと基本的なワーク・ルールさえ知らされていないことが珍しくないからである。だが、先の調査においても、聞き取りに応じてくれた求職者の6割が、職場で何らかの困ったことや悩みを抱えて働いていたと回答しているのである。未組織労働者への積極的なアプローチが待たれている。
こうした状況を前にして、労働者教育や非正規を対象にした取組みが全国で進みつつある。本誌でも、「職場の権利教育ネットワーク」や「連合」による「非正規センター」の発足あるいはディーセント・ワークの実現に向けた取り組み等が取り上げられている。大きな期待を寄せると同時に、未組織労働者へのアプローチも兼ねた労働者調査の実施を活動の一つに位置づけていただきたく思う。労働組合のマンパワーや資金力を考えると、私達の研究室でのごく限られた取組みとは比べものにならない調査活動が可能ではないだろうか。
今日、労働組合は既得権益者の団体であるというような主張が政策の審議・決定の場でまかりとおっている。そうした主張が不当であるのは言うまでもないが、それに対して、労働組合は地域における「公共財」である、という主張が世間にひろく受け入れられるような状況をつくっていきたい。私達の研究室はそのお手伝いをすることができる。
川村雅則(2007)「北海道の建設産業で働く季節労働者」『北海道雇用経済研究所レポート』第70号(2007年11月号)
危機にさらされる季節労働者の生活
行財政「改革」のもとで、公共事業費の削減が急速に進んでいる。歴史的に公共事業依存型の産業構造が形成されてきた北海道においてその影響は甚大である。建設投資額(出来高ベース)で公共事業費をみると、1999年に3.0兆円だったのが、2004年(最新値)にはその約半分の1.5兆円にまで減少している(国交省資料)。それにともない建設労働市場が急速に縮小している。ピーク時に35万人(全産業就業者の13%超)を数えた建設就業者は、2006年にやや回復したとはいえ27万(同、10%超)にまで縮小した。
本稿でとりあげるのは、積雪寒冷地という特性ゆえに毎年冬には失業を余儀なくされ、また、北海道における大型開発事業に動員され続けてきた季節労働者である。いま、彼らの生活が危機にさらされている。冬期間の彼らの生活を支えてきた特例一時金の給付額は50日分から40日分(いずれは30日分)に減額され、なおかつ、もう一つの支えであった冬期技能講習受講給付金は、講習制度自体が廃止されるに至った。
政府はいま、通年雇用促進支援事業と称して、季節労働者の通年雇用化を図ろうとしているが、その実現がいかに困難であるかは過去の経験が示している。かかる制度改変のもとで、高齢化した季節労働者の生活はどうなるのか。そうした危機意識にもとづき建設政策研究所北海道センターで行った、季節労働者の仕事や生活をめぐる2つの調査の結果を報告する。あわせて、彼らの雇用・生活を改善するための試論を最後に提起する。なお、上記の調査は、(a)技能講習会場で受講者を対象に行った2006年度の調査(有効回答1850部)と、(b)講習受講経験者に対して郵送方式で2007年度に行った調査(有効回答は711部)である。両調査結果の詳細は後日ホームページに掲載予定である。
年収200万円、社会保険制度からの排除
短期雇用特例被保険者数をもとに算出した北海道の建設業で働く季節労働者の数は7.7万人で、季節労働者全体の6割に及ぶ(北海道労働局調べ)。我々の調査で明らかになった第一は、季節労働者の就労日数の少なさと賃金水準の低さである。前者については、対前年比で就労日数が減ったものが全体の3分の1(32.6%)を占め、残りのほとんどは「ほぼ同じ」(57.7%)で、日数が「増えた」のは1割(9.7%)に過ぎなかった。あるいは、今年の1月から7月までの就労日数の合計(平均値)は96日で、8月以降の就労日数がこれに加わるとはいえ、四半世紀前(『季節労働白書』)の年間234日という数値と比べると大きく減少している。
それに対して、後者、すなわち賃金水準は軒並み低い。基本日額(平均値)では男性で9786円、女性では6420円である。回答者の中で最も多い職種である普通作業員に限ると8000円台である。当然、年収ベースにおいても、女性のほぼ全員(97.7%)、あるいは、男性の5割(51.7%)が、それぞれ200万円未満という水準におさまることになる。
むろん、本人収入が少なくとも他に就労者が世帯にいれば問題の深刻さは薄まることになるが、高齢化する彼らの世帯には、そもそも同居家族がいないか、いても就労者がいないというものは、例えば男性の場合には合計で4割を占めている。
特徴の第二は、社会保険制度をめぐる問題である。すなわち、彼らの多くが加入する国民年金や国民健康保険は、保険料が高い一方で給付の内容は低い・乏しい(例えば、国民年金は40年掛けても月に6.6万円の給付額であることや、国保には病気で仕事を休む際の傷病手当がないなど)。
だがさらに深刻なのは、そもそもそういった制度に加入さえできないものが存在することである。すなわち、60歳未満の男性の場合では、公的年金を「まったく掛けていない」か、あるいは、掛けていないケースを相当数含むであろう「分からない」という回答が、合計で3割、とりわけ若い年齢層では4,5割にも、それぞれ及んだ。彼らの老後はどう支えられることになるのか。関連していえば、「建設業退職金制度」に現在の勤め先が加入しているのが明らかなのは4割にとどまった。70歳以上の回答者の4割がなお就労していたのは、いわゆる「生きがい就労」とは無縁の、働かなければ生きていけない彼らの生活の困窮を物語る。
さて、後者の国保に関しては、高過ぎる保険料(税)を払えずに受診を控えて不幸にして命を落とすケースが全国で報告されているが、季節労働者も同様の状況におかれている。すなわち、全体の3割が保険料を滞納しており、かつ、正規の保険証から短期保険証に切り替えられたり、窓口で10割負担の資格取得証明書を交付されているケースが全体の2割を占めていた。40,50歳代では前者は4,5割、後者は3割にまでそれぞれ拡大する。
医療に関連して一点述べておきたいのは、一般産業の労働者と比較した際の彼らの健康水準の低さである。すなわち、今回の調査はいわゆる質問紙調査ではあるが、例えば、仕事による普段の疲労の程度が高かったり、振動障害など職業性関連疾患を疑わせる症状の訴えが少なくなかった。長期にわたり、劣悪な作業環境で、様々な工具や有害物質等を使って働いてきた彼らの健康問題が放置されている懸念がある。
公共事業改革と仕事づくり
ケガや病気あるいは高齢のために十分に働くことができないものの所得の保障や社会保障制度の改革が求められているのは言うまでもない。冒頭に掲げた制度の改変は、生活保護の受給を希望すると回答したものが1割超もいたほどの困窮にある彼らの生活にいかなる影響を与えることになるだろうか。緊急避難的な対策が必要ではないか。
あわせて、生活の困窮を背景にしているとはいえ、多くの季節労働者は冬も(通年で)働き続けることを望んでいる。彼らに対する仕事をどう確保してゆけばよいか。答えは容易に得られるものではないが、私達が考えているのは、公共事業改革を通じた仕事づくりである。それは、公共事業をめぐる問題、すなわち、無用のインフラ整備・環境破壊・国や自治体の財政逼迫・談合に象徴される不公正な慣習などに対する国民のまっとうな批判に一見すると応えるかのようでありながら、そのじつ、経済成長をなお前提として特定地域や大型開発事業に事業費を集中させて、総額の削減を図る現行の公共事業「改革」とは立場を異にする。我々は、高齢者人口がますます増加し、かつ、人口減が避け得ない将来社会にあっては、大型の開発事業ではなく、キーワード的に言えば、生活基盤型・福祉関連型・リフォーム型の公共事業こそを増大させていくべきと考える。それは、雇用創出効果という点でも、地域経済への波及効果という点でも、よりすぐれていることが指摘されている。
むろん、求められている社会資本の内容は地域によって異なるだろう。その意味では、事業の企画段階から、地域住民を含む幅広い関係者の参画が欠かせない。言い換えれば、公共の名のもとにこれまでの公共事業がいかに関係者不在で進められてきたかを問う必要がある。また、公共事業イコール建設という枠組みを脱する柔軟さも必要ではないか。数年前に行われた「緊急地域雇用特別交付金事業」では、当該地域で必要とされている事業が各自治体によって企画され、民間事業者等がそれを受注して雇用をうみだすという方式が採用されていた。問題点もあったが、いま、あらためて学ぶべき要素を多くもった雇用創出事業だったのではないか。
以上、現行の公共事業の検証作業を通じて、私達が考える公共事業改革と仕事づくりの具体化を図ってゆきたい。
川村雅則(2007)「規制緩和下のタクシー労働──学生と一緒に調査しました」『北海道雇用経済研究所レポート』第67号(2007年9月号)
規制緩和の評価に混乱
規制緩和後、タクシー業界では、新しい輸送サービスの登場のほか、初乗り運賃の大幅な減額、定額運賃や遠距離割引の導入などがあった。そのことをもって、政府(内閣府)は、この規制緩和を高く評価してきた。今年の3月には、価格低下分と需要増分とをかけあわせて算出された各分野の利用者メリットが発表された(「規制改革の経済効果―利用者メリットの分析2007年版」)。それによれば、タクシー業界における利用者メリット(見込値)は累積で125億円とされている。
ところが一方で、国交省は、規制緩和で競争が熾烈化した地方の中核都市など一部の地域で、新規参入・増車の再規制を図ろうとしているという(『朝日新聞』朝刊2007年5月27日付)。具体的には、要件を満たすことが厳しいゆえに関係者から「抜かずの宝刀」とも非難された「緊急調整措置」の発動ができるよう、要件の見直しをはじめているとのことである。
さらに全国ではいま、悪化したタクシー運転者の労働条件の改善を理由に掲げて、運賃値上げ申請が相次いでいる。申請の時期が早かった長野県と大分県では、すでに値上げが実施されたが、ここ札幌でも年内の値上げが予想されている。規制緩和による経済効果が喧伝されるタクシー業界で、運転者の著しい賃金低下(最賃割れ)や事故の急増など規制緩和に伴う弊害があらわになりもはや看過できない事態である。これは一体どういうことなのか。また、規制緩和という元栓を締めることには手をつけない今回の政府の策で、果たして事態は根本的に解決されるのだろうか。
調査の結果みえたこと
タクシー業界をめぐるこうした動きを念頭におき、ゼミの学生と一緒に札幌市内をまわって、客待ち中のタクシー運転者から、規制緩和は労働者に果たして何をもたらしたか(勤務時間や普段の働き方をめぐる問題状況、収入水準など)、また、運賃値上げは労働条件の改善につながるのかその予測などを中心に聞き取りを行った。
(1)調査は6月下旬の日曜日の一日かけて行い、267人から回答を得た(11人の個人タクシーを含む)。若い運転者は少なく、50代と60歳以上がそれぞれ4割(40.8%、38.6%)を占めた。また、正社員の運転者は全体の6割(62.5%)にとどまった。
嘱託など高齢の運転者が多かったのは、日曜日に調査を実施したことも反映しているかもしれないが、結局は、年金を受け取りながらでなければやっていけないような収入水準のため若い運転者が定着しないのだという。実際、回答者の2006年の年収(税込み)は平均で239.6万円である。正社員に限定すればやや上昇するとはいえ、それでも261.1万円にとどまる。ゴールデン・ウィークがあるためタクシーの利用が大きく減る5月の手取りは、平均で15.0万円(正社員に限定しても16.3万円)だった。聞き取りでも最低賃金水準レベルという言葉を運転者から何度も聞かされた。
(2)売上と連動する歩合制賃金が採用されているため、パイの少ない状況下で一定の収入をあげようとすれば、無理をしてでも働かざるをえない。その結果(複数回答可)、(ア)公休日の出勤がよくある(36.7%)、(イ)所定の拘束時間を大きく超えて働く(24.7%)、(ウ)体調不良で勤務に就くことがある(18.4%)、(エ)仕事中、体調不良等を感じる(28.5%)、(オ)運転中、売上をあげようと焦る(31.8%)、(カ)速度超過や危険箇所でのUターン(29.2%)、(キ)違反場所での客待ち(27.3%)等々の事態が生まれている。
聞き取りでも、例えば隔日勤務者の場合、「告示」で定められた21時間を目一杯働く、あるいは21時間を超えて働くこともあるという回答が少なくなかった。年金受給前の運転者からはとくに、「生活していくためには、時間がどうとか言っていられない」との訴えがあがった。
仕事による疲れも顕著である。50代と60歳以上では、それぞれ4分の1が、普段の仕事で「とても疲れる」と回答しており、厚労省による「労働者健康状況調査(2002)」結果(男性・産業計)と比べても、強い疲れを感じている割合は明らかに高い(厚労省調査ではそれぞれ8.3%、6.5%)。
(3)規制緩和に対する評価の低さ(規制緩和は「悪かった」が87.9%)もさることながら、今後の運賃値上げでタクシーの労働条件が改善されるかという問いに対する期待も、予想以上に低かった(「改善されないと思う」が86.0%)。なぜだろうか。
その一つには、これまでも、運賃値上げの際には労働条件の改善が掲げられてきたものの、実際には「足切り額」や「歩合率」もあわせて変更(スライド)させられてきたという過去の経験による。その意味では、運賃値上げを労働条件の改善に連動させる確実な担保が不可欠である。
もう一つには、すでに値上げが実施された地域で実際に起きていることだが、客離れという事態に加えて、運賃値上げを据え置いた事業者に利用者が集中し、それに対応するため当該事業者が増車を図るという思わぬ事態の発生がある(NHK『クローズアップ現代』6月19日放送)。それがここ札幌でも起きるのではないかとの不安である。値上げは実施しないと宣言している事業者もすでにある。運転者たちの予想は不幸にも的中しかねない。
従来のような需給調整規制が有効なのか、それとも、労働組合がその導入を強く求めているタクシー運転免許制度による質的規制の強化を通じた間接的な台数規制が有効なのかは検討の必要があるが、いずれにせよ、何らの台数規制もせずに運賃値上げだけしても根本的な解決策にはなるまい。
労・学共同への期待
さて、以上の調査結果も政策課題も、関係者にしてみれば自明のことであり、調査活動をあらためて行う必要性はどこにあったのか、とのお叱りを受けるかもしれない。
だが、この取組みに期待したのは単にタクシー運転者の実態を明らかにすることだけではない。調査活動が学生に与える、一種の教育的効果である。すなわち、調査後の彼らの感想に共通してみられたのは、マスコミによる情報で規制緩和の弊害やタクシー運転者の生活の厳しさはそれなりに理解していたつもりだったが、今回の調査活動を通じて、より具体的に、より深く、それが理解できたという内容だ。例えば、手取り10数万円で生活していくことの大変さ、売上をあげるための長時間労働や疲れが蔓延していることの問題性は、労働者から直接語られることで学生の中でリアリティを伴って響いてくるのではないだろうか。
あるいは、学生の中に、新たな学習課題の芽生えとでも言えるようなものを感じる。すなわち、政府が主張するような規制緩和による経済効果の存在を仮に認めたとしても、これだけの弊害をもたらしている規制緩和がなぜ放置されているのか、なぜ抜本的な対策がなされないのかという強い疑問が彼らの中で生じているのである。
もちろん、こうした一日限りの調査活動が彼らに与える効果を過大に評価するつもりは毛頭ない。だが(当事者でない以上、限界があるとはいえ)、厳しい現実や問題を共有することの意義は決して小さくない。もとより、そうした作業は、政策実現のための社会的合意を形成する上で不可欠の作業ではなかったか。労働組合関係者には、彼ら学生が社会の諸問題と格闘するための機会を提供してもらいたい。
川村雅則(2006)「若者労働をめぐる問題」『北海道雇用経済研究所レポート』第55号(2006年9月号)
若者の離職の自発性
ハローワークで出会った男性Aさん(20歳代)の経験から話をはじめる。大学卒業後にはれて道内大手の食品製造会社に営業職として勤め始めた彼の通常の勤務時間は、6時半から18時半の12時間。年末の繁忙期には、朝の5時から製造部門の作業も手伝い、仕事を終えるのは19時から21時の間だった。残業代は上司の裁量で「9割9分つかない」ため、月の総支給額は繁忙期でも23,24万円。目の下にくまをつくってそんなふうに休みなしで働いていた彼の3年目での早期の離職も、政府統計の分類では「自発的な離職」にカウントされる。
無業の若者あるいはアルバイトや派遣などで働く若者に対して、本人の就労意識の低さを嘆き、「ニート」「フリーター」と蔑む見方は、根強く存在する。その語られ方はさておき、もちろん、それら若者の無業・非正規雇用の問題は克服されるべき課題だ。
だが本稿で取り扱うのは、正規雇用を中心に拡大する、若者の働き過ぎ(働かされ過ぎ)・過重な労働負担の問題だ。総務省「労働力調査」によれば、30歳代男性の4人に1人が週60時間以上働いている。また各種のメンタル・ヘルス調査の結果は、やはりこの年齢層を中心に「心の病」が悪化していることを報告している(日本経済生産性本部)。付け加えれば、精神疾患等の労災申請件数の6割超は39歳以下だ。
若者を、過労で無業に転落させたり正規雇用への道を断念させて非正規雇用にとどまらせる、その意味では、正規のこうした働き過ぎは、無業・非正規雇用と地続きの問題でもあるのだ。離職者を対象とした上記のハローワーク調査もそれを示唆した。すなわち、いわゆる即戦力志向が強まる職場で、かつて正規雇用で働いていた男女の5割が週に60時間以上働き、4割半が「労働条件や処遇に不満」、そして2割が「体調不良・病気のため」を離職の契機(複数回答可)としてあげていた。
以下、筆者による2,3の調査結果をあげながら、この領域で考えていることを述べてみたい。
寝不足、体調不良7割
昨年のJR福知山線の大惨事から1年が経過した。事故で明らかになったのは、「日勤教育」という特異な労務管理もさることながら、鉄道現場のゆとりのないダイヤだった。こうした労働負担が、規制改革が猛威をふるう交通運輸産業で深刻化している。私達の日常的な「足」であるバスも無縁ではない。札幌圏で働く約200人のバス運転手から得られた、一週間にわたる勤務・睡眠時間の記録を分析した結果は、(a)一週間の総拘束時間は、60時間以上が全体の4分の3を占め、3割弱は70時間超、(b)その裏返しとして、在宅時間も睡眠時間も圧縮され、勤務日の一日の睡眠で最も多いのは5時間台(30.3%)、そんな厳しい働き方だった。結果、20,30歳代という若い層でも、仕事による強い疲れを感じ(そのウェイトは一般の労働者の2倍超)、乗務時の体調不良や寝不足(72.5%)、強い眠気によるヒヤリハット(50.8%)に追い込まれていた。
背景にあるのは、モータリゼーションを軸とした交通政策のもとで衰退してきた公共交通(バス業界)にさらに追い討ちをかけるがごとく導入された規制改革。そして、それを機に進む激しい合理化策、具体的には、鉄道会社からのバス部門の分離・子会社化、人員削減、非正規雇用の活用、賃金カットなどだ。検証も無いまま進む「構造改革」のもとで、経営の困難も働くものの負担も、増している。
福祉労働者の人権は
若い女性の主要な就労先の一つである福祉の分野はどうか。Bさんが働く、高齢者の終の棲家たる特養老人ホーム(80床規模)はこうだ。40数人の職員(介護師等)の9割は10,20歳代で、実践経験がなく専門学校卒がほとんどである。夜勤時には1人で20人弱の利用者を担当する。そんな強いプレッシャーや、月に25日の勤務(4回の夜勤を含む)に対する手取りが16万円という処遇の低さゆえに職員の入れ替わりは激しい。そして、要員不足などのこうした条件が、利用者の食事を急がせたり一時的に利用者を拘束したりなど、いわゆる不適切処遇に職員を追い込む。もっとも、そんな行為はどの施設でも「普通にある」という。さらに、社会保障「改革」を背景に職場では非正規への置き換えが進む。「1年後には正職員にする」という約束を反故にされ2年目も契約職員として働くことになった、不満そうな、しかしながら、利用者のために頑張ると気丈に語っていた教え子の顔を思い出す。
利用者・要介護者の人権擁護の気運がようやく高まりをみせつつある一方で、現場労働者の人権(労働条件の向上)を、という社会的な合意はまだみられない。あまつさえわが国は、ある種の純粋な思いをもった上のような若者をいずれ燃え尽きさせることになる、福祉職場のそんな土壌の改善を図るのではなく、その担い手を外国人労働者に求めることで事態を「解決」しようとしている。
サービス残業経験も早期のうちに?!
学生アルバイトに目を転じてみよう。いまや彼・彼女らの労働力なくして成り立たないという産業は少なくない。そのこと自体はさておき、ここで問題にしたいのは、働き方のルールが守られていないことだ。ミーティングには賃金が支払われないガソリン・スタンド。深夜割増は時給に50円が上乗せされるだけの居酒屋。そして、所定の時刻になると店長が従業員全員分のタイム・カードをきるが、その後も仕事は続くファミ・レス、などなどこんな事例は豊富で事欠かない(筆者アンケート調査でも3割が不払い労働の経験あり)。
さらに学生は、バイト先で働く社員さんの過酷な働きぶりをみて、正社員として働くことの意味を覚悟してシュウカツに臨むか、逆に、仕事も大事だけれども自分の時間を大切にしたいというささやかな願いをかなえるためには「フリーター」の道しかないのかなと考え始めるに至るのである。後者を、企業社会で生きていくにはひ弱と考えるならば、むしろそのことこそが問われる必要があるのではないだろうか。
若者の参加を
遅ればせながら若者の雇用対策が始まった。内容が「ニート」「フリーター」予防に傾斜しているのではないか、予算額が諸外国と比べて低過ぎないかなど疑問は多々あるが、対策が開始されたこと自体は高く評価される。だが、上でみてきたような若者の働き過ぎ問題に手をつけることのない雇用対策(就労促進)は、限界をもつのではないか。いまわが国は、ヨーロッパ諸国に比べて年間で400~500時間も長い労働時間(男性フルタイム)や、経済的自立が困難な非正規雇用の膨大な存在を不問に付して、否、むしろそれらを梃子にして、再び経済成長を追及し始めている。模索されつつある持続可能な社会・経済になぞらえていえば、持続可能な雇用・労働を!ということになるだろうか。問題は、それを実現させる担い手としての若者だ。
私達は、若い世代に、労働条件は所与のものではなく、労使の交渉で決まるものであるということを果たして伝えているだろうか。働き続けられる職場や魅力ある産業を形成してゆく、若者をそういう協同作業の担い手として想定しているだろうか。いま若者は、あまりに無防備のまま労働社会に飛び込んでいる。若者に対する内容豊かな職業教育(熊沢誠)が欠かせない。私見ではそれは、働くルールを学ぶのはむろんのこと、自分の仕事のしんどさを出発点にして産業や社会・経済のありようを鋭く問う視点を持つに至るものである必要がある。幸いにして、「連合」傘下の労組のご協力で、筆者の授業の履修生・ゼミ生と労働組合との交流が始まっている。アメリカの「ユニオン・サマー」(労働組合でのインターンシップ)を夢見たい。「ニート」「フリーター」という居酒屋談義を脱し、若者とむきあうことが関係者に求められている。
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川村雅則(2011)「学生と見た介護現場の疲弊──改善の必要はまったなしだ!」北海道雇用経済研究所レポート』第115号(2011年3月号)
川村雅則(2010)「困窮する公共サービスの担い手たち──官製ワーキングプアと保育をめぐる問題」第108号(2010年9月号)
川村雅則(2008)「介護現場は持続可能か」『北海道雇用経済研究所レポート』第83号(2008年10月号)
川村雅則(2008)「タクシー産業の確かな再生を──規制緩和下のタクシー労働(2)」『北海道雇用経済研究所レポート』第81号(2008年8月号)
川村雅則(2008)「自前の労働調査で独自情報を──ちょっとした調査でもこれだけわかります!」『北海道雇用経済研究所レポート』第77号(2008年4月号)
川村雅則(2007)「北海道の建設産業で働く季節労働者」『北海道雇用経済研究所レポート』第70号(2007年11月号)
川村雅則(2007)「規制緩和下のタクシー労働──学生と一緒に調査しました」『北海道雇用経済研究所レポート』第67号(2007年9月号)
川村雅則(2006)「若者労働をめぐる問題」『北海道雇用経済研究所レポート』第55号(2006年9月号)